変幻自在に描き出される世の理『荘子・内篇』




こんにちは。

紀元前文学 第5回は古代中国の『荘子・内篇』です。

後代に荘子の著作とされる説話をまとめた『荘子』には彼以外の著作も多く含まれているそうです。
しかし、今回取り上げる『荘子』のうち『内篇』は、本人の著作であると考えられています。

つまり、説話の成立時期は紀元前3世紀頃ということになるでしょう。

荘子とは何者か? 『内篇』とは何か?

荘子とその思想

荘子は古代中国において大きな影響力を持った思想家の一人です。
彼が生きた紀元前3世紀の中国は、諸子百家と呼ばれる優秀な思想家や学者が多数輩出された時代です。

最も有名な孔子を含む儒家達が政治の世界でも活躍したのに対し、
荘子は世俗から徹底期に距離を置いた思想家でした。
荘子は、現実世界という束縛からの徹底的な精神的開放をうたっています。
無為自然という、あるがままの姿でいることを目指しています。
世俗での成功に、何一つ意味を見出していないのです。

『内篇』とは?

『荘子・内篇』は7篇に分かれています。
基本的には主題ごとに掌編がまとめられています。

その特徴は軽妙な語り口と摩訶不思議な寓話。
そして、突き付けられる現実の虚無と人生の深淵。

まさに仙人の話を聞いているような気分になります。

『荘子:内篇』あらすじ 荘子が描く宇宙

では、各篇ごとに内容を簡単にまとめてました。

逍遥遊篇 第一

体長が何万キロもあるに巨大な魚がいて、その魚は同じくらい巨大な鳥に変身することができます。
そして、この鳥は天にある池にまで飛ぶことができます

小さな生き物であるひぐらしや小鳩はその話を聞いて嘲笑します。

自分達は木の枝にさえうまく止まれないことがあるのに、そんな最果てを目指すことに何の意味があるのか。巨大な鳥/魚のすることをまるで理解できないと馬鹿にします。

この説話には、小さな知識では雄大な知識が目指すことを理解できないという比喩が込められています。

その視点に立てば、世俗社会で国に士官している人々は名誉や功績に執着していることになります。
そして、たかだか1国のみに使える小さな生き物達と同様であると非難されています。
真に優れた者には功績も名誉も私心もない、と。

斉物論篇 第二

弟子と師による天の笛、地の笛、人の笛についての問答が繰り広げられます。

人の笛は竹管から音が出ます。
地の笛は大地の穴から噴き出す風から音が出ます。
「では天の笛とは?」と弟子は問います。
しかし、師はどんな笛でも音は音であり、そのような細々とした知識はつまらない世俗に属するものだと切り捨てます。

さらに、世俗にかかわる人々は面倒な厄介ごとに日夜とらわれていると言います。
良し悪しの基準を定め、自らを良しのほうに置こうとしていると、その精神は徐々に秋や冬のように枯れ果てて、やがて元に戻すことはできなくなってしまう、と。

善悪の基準は主観的であり、そこに分別を立てることの愚かさを説きます。

養生主篇 第三

冒頭で「我々の生命は有限であるが、心の働きは無限」であり、有限の身で無限に近づくことの危うさを説きます。

続けて、牛の解体を生業とする者を主題とします。
牛の体の仕組みを理解し、それに逆らわず無駄な力を入れず、熟練した包丁さばきで華麗に牛を解体していく様にこそ、生きる神髄が詰まっていると主張します。

他の説話も生きていくうえでの心の持ちようについて語っていきます。

人間世篇 第四

暴君と病気に苦しむ国へ人助けに行こうとする正義感あふれる弟子を、孔子がいさめる話から始まります。

「そんな危険なところに行けば、何に巻き込まれるかわからない」と孔子はかなり強めに引き留めます。
それでも行きたいと主張する弟子に対し、孔子は「お前は自分の分別に頼りすぎている」と辛らつに評し、許可をしませんでした。
その後、弟子が心を空虚にし、人の力ではどうにもならない運命に身を任せることができる状態になって、孔子は初めて弟子に出立を許可しました。

また、大きな神木のエピソードも印象的です。
大工が「木材になったり果物をつけることができないから生き延びて大きくなることができた」と馬鹿にします。
すると、神木が「役に立つ木はみんな切られてしまったじゃないか」と言い返すのです。

徳充符篇 第五

足を切られた男や醜い男をテーマとする話が続きます。
似たような話が続きますが、外見は自然の摂理によって与えられたものであり、外見や周囲に対して強い感情を抱いて自分の身の内を傷つけてはいけない。という無為自然の主張が続きます。

内面に確固かつ泰然とした心があり、物事の本質を見抜ている者は、どんな外見であろうと人望があることも示しています。

大宗師篇 第六

まず、自然の営みと人間の営みを理解し、最高の英知を手にした『真人』の何たるかを長く語ります。
彼等は逆境に無理に逆らわず、栄光を手にしても驕ることなく、欲深くなく、生きていることを喜ぶわけではなく、死を恐れるわけでもありません。

続けて、真人のような男たちの生き様と死に様が語られていきます。
友情を誓い合った仲間の外見が病気のせいで異様になっても悲しみません。
仲間が死んでも棺の前で堂々と楽しく歌います。

すると、孔子の弟子があまりにも常識を欠いた振る舞いを師に向かって非難します。
しかし、孔子は「我々は世間の内で遊ぶが、彼等は世間の外で遊ぶ」「無為自然のはたらきをのびのびと楽しんでいる」と彼等の生き方を評します。
ただ、弟子から奇人とまで呼ばれています。

応帝王篇 第七

主に政治に関する説話が続きます。

特定の立場から他人を非難する政治の在り方を非難しています。
自分のエゴを主張せず、物事の自然な在り方を見抜き、それに合わせて治めていくべきであるとも主張しています。

『荘子・内篇』の魅力 夢幻なる語り部が指し示すのは蝶か、人か。

『内篇』は言葉では伝えにくい世の理を、不思議な話に仕立てて語っています。
その語り口が本作一番の面白さでしょう。

また、不思議な登場人物達が出てくるのも楽しいところです。
大きな鳥や喋る神木。牛肉の解体屋、昔の偉人に仙女様など次から次へと登場します。
さらには貧乏に絶望して泣き歌う男だって出てきます。


そして、軽妙な語り口から放たれるのは、極端な世俗の否定です。

僕達が持つ世俗的な執着(金・名誉・生)への欲望が、次から次へと否定されていきます。
自分の欲望やエゴに支配されず、徹底的にあるがまま自然の状態を受け入れて生きていくということが荘子の主張でしょう。

もう少し、深く考えたいと思わせる一冊でした。

まとめ 『荘子・内篇』。現代日本にどう響くか。


非常に面白い作品でした。
でも、荘子のような超然とした生活を現代日本でするのは難しそうです。


いかがでしたでしょうか。

それでは、また。

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