こんにちは。
『海とオーロラ』は里中満智子によって1978年から1980年まで講談社の「週刊少女フレンド」で連載されていた長編漫画です。

いわゆる歴史モノの漫画です。
古代エジプトを舞台の一つにしていることもあって手を出してみたのですが、予想外の魅力に溢れていて面白かったです。
というわけでざっくばらんにその魅力を語ろうと思います。
目次
『海のオーロラ』の超ざっくりなあらすじと魅力。
まずはエジプト編!
最初の前提として。
この『海のオーロラ』はいわゆる「少女漫画」にカテゴライズされると理解して問題ないと思います。
主人公は貧しい家庭でけなげに頑張る15歳の少女ルツです。
色々あって貴族の家でお仕えをするようになり、ハンサムなイケメン二人と交流を重ねるようになります。
まずは一人目。
レイです。
知性的で穏やかな性格です。
北方の小国エルトニア(エトルリア=今のイタリアのことでしょうか…?)から服従の意を示す人質と差し出され、エジプトに滞在しています。
次は二人目。
トトメスです。
こちらは意気揚々の血気盛んです。のちに王位を次ぎトトメス3世となりますが、物語が始まった段階では圧倒的な権力を持つ叔母ハトシェプストのせいで、自分の将来をあまり期待していません。
ルツは時折不思議な夢を見ています。
今にも崩壊しそうな世界が舞台です。オーロラが海原に揺れ、大地や建物が崩れ落ちる。そこでルツは手を伸ばし必死に誰かを求めています。
そして、二人は「ラ・エデンで出会おう!!!」といういかにもキーワードになりそうな約束をしています。
で、ルツが繰り返し見る夢の相手がどうやらレイっぽいのです。
実際、ルツはレイのことを最初から気になっていたし、徐々に惹かれていきます。
だけど、そうは問屋が卸しません。
レイのことが好きな女性ライラが登場します。
良い子のルツはやはり攻め手を打ちにくい。
そのうち、押せ押せ系のトトメスがぐいぐいルツに迫ってきて……!
という感じで、恋模様は大混戦の様相を呈してきます。
このガチ恋バトルの威力はすさまじく女王ハトシェプストとトトメス3世の権力争いさえ、自分たちの気持ちを盛り上げるスパイスのごとき扱いをします。
なんちゅうか、たとえ戦争というか人殺しであっても、全ての価値判断が恋なので、かなりぶっ飛んだことをして、しかもそれが特に突っ込まれないんですね。それが笑えるんですね。
それから、実はルツとレイには前世があって、ムー大陸で悲恋の末に亡くなったということも発覚します。
が、しかし、レイの側はそれを覚えていません。
二人の恋の運命、イマイチかみ合わないません。
それでも二人は惹かれあっていきます。
しかし、途中から二人とも何故かわけがさっぱり分からないくらい臆病になり出して、ついにレイは「お前を見ているとイライラしてくる」というようなことを言われてしまいます。
私もウジウジ男性なので同タイプの登場人物には非常に甘いのですが、この意見には同意せざるを得ませんでした。
あと、そうですね。レイ、途中でウジウジしだす以外は非常に完ぺきな男なのですが、逆に完ぺき過ぎた節はあるなあと。
理想的な男性でなければならないという少女漫画のイケメンの宿業を背負っているがゆえに、人間性に遊びがないんです。
逆にサブイケメンの地位に甘んじたトトメス3世は理想的な男性という宿業を背負わずに済んでいるので、人間性の幅が生まれます。
結果、リアリティも増すし魅力的に見えます。
さて、話を物語に戻します。
そして、ルツとレイは愛し合いながらも歴史の波に飲み込まれ、ついには結ばれることはありませんでした。
という感じで物語の多くを占めるエジプト編が終わります。
残念ながら、ハッピーエンドとは言えませんでした。
まさかまさかの邪馬台国編→ナチスドイツ編
というわけで話がいきなりぶっ飛びます。
邪馬台国編がスタートします。
最初はいったい何が起きたのかと思うのですが、徐々にレイとルツが生まれ変わっていることが分かります。
しかも、エジプト編と違って、ルツではなくレイが前世の記憶を持っています。そして、そのせいかレイの性格・振る舞いからエジプト時代のウジウジ感が薄まっています。というかないです。
レイ、かっこいいやん。
となるわけですが、例のごとくヒミコ様の予言とか魏からの使者とかそういう重要な事態を巻き込んで、二人は恋模様を繰り広げます。
そして、周りからの邪魔もあって二人は再び結ばれずに死を迎えます。
今度はナチス統治下のドイツに移ります。
ルツとレイ、例のごとく生まれ変わっています。
ルツがユダヤ人になっていてレイが日本人で、報われない悲恋で終わります。
なかなか上手く行きませんね。
で、邪馬台国編とドイツ編の特徴として、二人の恋をあえて邪魔する明確な敵が表れているということです。
彼等はルツやレイや、あるいはほかの登場人物のことが好きだからこそ、恋敵を邪魔しようとします。(その振る舞いにはとても人間味があります)
しかし、そんな恋敵たちですが、ルツやレイに比べて恋への執念が足りず(=意地でも思いを添い遂げようとせず)、地に足を付けた幸せで満足する者もいたりします。
さらには合間の断章(転生前のひと時)では、エジプト編の友人ライラからルツに「生きることの苦しさにおびえているので自分はもう転生しない」というような宣言があったり、転生を繰り返そうとするルツに対して「痛々しいからもうやめろ」と諫めるような言葉が見られます。
これも、等身大のリアリティもある台詞であり、私自身ライラの身の上だったら全く同じ選択をして、全く同じ発言をする可能性は高いと思います。
しかし、ルツは諦めずにまたしても転生を決意します。
未来編
最後にSF的な未来社会に転生します。
ただ、『海のオーロラ』なので話の中心は恋です。
その時代では結婚相手は適性をもった相手から決めるシステムがあります。
当然、集団見合いみたいなイベントがあるわけですし、適性のない相手とは結婚できません。
ルツがそこに向かう途中でトラブルに見舞われて、華麗にレイが助けてくれます。二人はここで出会います。
華麗にトラブルを解決してくれるレイに惹かれつつもルツは集団見合いパーティに向かいます。
しかし、気になる相手はいませんでした。
そして、ますますレイのことが気になっていき――。
という展開です。
「決められた枠の中で暮らすことが幸せか?」という、現代人の大多数への疑問を投げかけている章でもあります。
『海とオーロラ』の根幹をなす魅力
最初、『海とオーロラ』は二人の恋模様として始まります。
最初はふたりとも周りに遠慮したりウジウジしたりなんかしています。
しかし、途中から互いへの思慕が強烈になって、どんな困難にも負けずに手を伸ばそうとするようになります。
執念という言葉ではとても納まりきらない、情念そのものをエネルギーにして二人は幾度も転生を繰り返します。
特に未来編で見せたルツの執念は、いわゆる主人公の枠を超えていると思います。
また、言い換えると等身大の人物とは言えないでしょうし、それは等身大の他人物の対比的な描写を見れば明らかです。
あと、最初は運命の相手なのかどうか?という点もルツは重視していましたが、最後には運命の存在に対して疑問符をつけています。
愛と情念を同じものとして、それがルツ自身が納得できる結末へ辿り着いた要因だと結論付けています。
それはつまり、作中で恋路を邪魔するために登場した(小)悪党たちが人間的な生々しさを持つことに対置的な意味を持たせたことになります。
必要なのは、ぶっとんだ情念。
この『海のオーロラ』、決して欠点がないとは言えません(行動原理が?となる瞬間は少なからずあります)。
ただ、ルツという少女の恋/執念/情念を描き切ったという意味において、その意味をワイルドに読み手に投げかけたという意味において、比類ない魅力があります。
読んで損はしない作品だと思います。
それでは。
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