Sparklehorseのアルバムについて語る。 破滅のピュアネスとかき鳴らされるノスタルジー。マーク・リンカスの言葉と共に。


こんにちは。

Sparklehorseはアメリカ合衆国ヴァージニア州出身のマーク・リンカスによるソロプロジェクトです。

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その音楽をシンプルに言い表すなら、インディー的な男性シンガーソングライターといったところになるのでしょうか。

アメリカの原風景的なノスタルジー、武骨な哀愁、純粋ゆえの繊細さが描き出す憂鬱な叙情性が持ち味と言えるでしょう。

2010年に亡くなるまでの間、Sparklehorseは4枚のフルアルバムをリリースしています。

相関関係は、こんな感じです。

Sparklehorseの全アルバムと彼の活動について

本記事について

目的

本記事は、

  1. 遺されたアルバムを起点にしつつ、Sparklehorseの歩みをおおまかに振り返ってみること
  2. Sparklehorseを聴いてみたいと思っている方の一助となること

を目的としています。

注意点

本記事では、Sparklehorseの音楽をより楽しむために歌詞にも触れています。

ただし、僕は英語に明るいわけではありません。
和訳については、雰囲気を楽しんでいただければと思います。


また、明確な誤訳があったら教えていただけると嬉しいです。


それでは本題に入りましょう。

(1st)Vivadixiesubmarinetransmissionplot

前史:アルバムをリリースするまで

80年代、マーク・リンカスはDancing Hoodsというバンドでロサンゼルスで活動していました。
しかし、成功には程遠い日々を過ごし、やがて徐々に薬物中毒に苦しむようになっていきます。


そんな状況を打破しリスタートを図るためヴァージニアに戻ってくるものの契約してくれるレーベルは現れず、バンドも解散してしまいます。

そんな不遇があったからでしょう、マークは派手なロックサウンドが幅を利かせていたロサンゼルスにうんざりしていたそうです。

そして、地元のバンドと活動をしていくなかで、都会で出会った華やかなロックとは対照的な古い時代のピュアなサウンドに惹かれていくようになったそうです。

マーク・リンカスの心情的な変遷を経て1995年にリリースされたのが、本作Vivadixiesubmarinetransmissionplotです。

サウンドの世界

アメリカの原風景的なノスタルジーと男性的な土臭さ、今にも崩れ落ちそうなピュアネスが聴き手の胸に迫るアルバムです。

余分なものは何もありません。
己が魂を極限まで傷つけ、削ぎ落したような、物憂いオルタナSSW系サウンドです。

俯きがちに呟くようなボーカル、
粗野で優しいアルペジオや武骨なストロークを奏でるエレクトリックギター、
淡々と低音を身を潜めるベース、
シンプルなビート。
泥臭く、センチメンタルで、サウンドの奥底で焼け付く様な絶望とほんの僅かの希望が波打っています。


時に激しく、時に穏やかに、時に淡々と、時に叙情的に。
そして、いかなるときもメランコリックに、剥き出しの痛みをさらけ出しているアルバムです。

歌詞の世界:『暗黒の狼が俺に覆いかぶさる』

都会の喧騒から故郷に帰ってきたという事情もあってか、本作の言葉はとりわけノスタルジックです。

ただし、それは甘酢っぽい郷愁ではありません。
暗澹たる現在と未来を自然風景に投影しており、憂鬱な色彩を帯びています。

しかし、そんなダークな現実に対置される存在として、追憶の中の女性が登場することが多いことも本作の特徴です。


では、いくつか見ていきましょう。

アルバム冒頭を飾るHomecoming Queenは本作の歌詞世界の特徴を見事に捉えています。

馬よ、馬よ、磁場のうえでガタガタ鳴る、馬のための俺の王国。ああ、線香花火なら使い切っちまった、湿ったり腐ったり、そんな風に悪くなるまえに。ホームカミング・クイーン、ホームカミング・クイーン。鋭かった歯は打ち砕かれ、何も喋れない。俺の曲がった背中はさらに脆くなる。かつてまっすぐ伸びて、太陽に向かっていたものはスポンジみたいな汚物に向かって後退することに夢中になってる。ホームカミング・クイーン、ホームカミング・クイーン

※ホームカミング・クイーンとは高校や大学のミスコンで1位になった女性を指します。

Homecoming Queenより(全訳)

Homecoming Queenの歌詞の特徴として、本来は美しかった何かがそうではない状態に陥っているという点が挙げられます。

例えば、

  • 線香花火
  • 太陽に向かって真っすぐに伸びていた背中

というポジティブな言葉に対して、

  • 「使い切る(=喪失)」「湿る」「腐る」
  • 脆くなる、曲がってしまう、スポンジみたいな汚物に近づく

というネガティブな言葉がまとわりついています。

その一方で、サビで繰り返されるホームカミング・クイーンというまばゆい言葉には、マイナスの形容詞は一切付与されません。

暗鬱なノスタルジーのなかで、ホームカミング・クイーンだけはネガティブな言葉にまとわりつかれることなく、手を伸ばしても決して触れられない場所で美しく顕現しています。
壁を隔てた向こう側、汚れなき美しい世界の住人のように。



続いて、壁を隔てた「向こう側」にいる女性とそうではない自分の対比を、もっとも分かりやすく表現しているCowを見てみましょう。

艀の聖人、爪達の女王、輝くドラムセット、カラスの群れ、回転木馬の金属製の歯、電気椅子の上で光る葉巻、ビルはルーク、自然は悪、ディーゼルエンジンがガタガタ鳴る音、蛇達は自分の尾を喰らう。牛の乳を搾る、可愛い娘さん。牛の乳を搾る、可愛い娘さん。 牛の乳を搾る、可愛い娘さん。牛の乳を搾る、可愛い娘さん。

Cowより(全訳)

「こちら側」の不気味な世界を織り成す言葉を羅列し、最後に「あちら側」の美しい世界を羅列しています。

それ以外には何も歌われていませんが、胸を締め付けるような旋律と相まって切迫した感情を感じ取ることができます。


以上の2曲は女性への追憶が歌われているため、憂鬱さは控えめでした。
一方、それ以外をテーマとしている曲は、重苦しい色彩が非常に強まります。

お前が死んだとき寄生虫はお前のことを愛するだろう。全てのガタガタ鳴る音を俺のベッドに隠して、目を見開いて這い寄ってきな。ほら、まがい物の月が昇ってくるのが見えるな。トラック全ての砂利を慣らしながら、俺の背中にある短剣のことを忘れろ。彼女の髪の中の炎と共に芝生に向けて悲鳴を上げろ。ミリオネア達が階段を転げ落ちてくる。でかい風が女を吐き出す。雨、歯。暗黒の狼が俺に覆いかぶさる。ウール、フリース。 目を見開いて這い寄ってきな。ほら、まがい物の月が昇ってくるのが見えるな。

Weird Sitersより(全訳)

ダークな何かが近づいてくる、というテーマの歌詞です。
「寄生虫」「目を見開いて、這い寄る」「階段から転げ落ちてくるミリオネア」など、不気味な単語で世界観を構築し、「まがい物の月が昇ってくるのが見える」という言葉を決め台詞として使っています。

抽象的な表現なので具体的に何を指すのかは分かりませんが、希望に満ちた意味が込めているわけではないでしょう。
この「ダークの何かが近づいてくる」というテーマは、しばしば登場します。

では、次のパターンです。

俺のレコードを返してほしいんだ。あと、それから真っ黒に染め上げちまったオートバイのガスタンクも。フクロウ達が俺に語り掛けるけど、秘密厳守を約束させられちまってるんだ。俺は燃え尽きた地下室で目覚めた。手は金属製でさ、俺は魂の溝の中にいたんだ。月は馬の笑い声と一緒に昇るだろう。そいつはピアノを海に引きずり沈めるだろう。もし俺に家があったら、そいつはトロンボーンの中にあるのさ。俺は燃え尽きた地下室で目覚めた。手は金属製でさ、俺は魂の溝の中にいたんだ。

Spirit Ditch(全訳)

こちらは等身大の独白のようにも聞こえます。
フクロウなどの自然はダークな心象風景ではなく、「俺」に何かを語り掛ける存在です。
しかし、「俺」は彼等に答えることが出来ず、貸したレコードも手元に戻らず、孤独を深めています。


しかし、ポイントになるのはサビの三節です。

  • 目覚めたら「燃え尽きた地下室」にいたこと
  • 身体が金属製という違和感のあるものであったこと
  • そして、魂の溝(汚れが集まる場所)の中にいたということ

自分を取り囲む環境も、自分の体も、自分がいる場所も、全てがマイナスの感覚に結び付けられています。

ぽつぽつと語られる曲の奥には、深い絶望があるようです。


ここまで見てきた歌詞には重苦しいものでした。
しかし、アルバムが後半に向かうにつれて、ほんの少しだけではありますが、明るい雰囲気を見せるようになります。

俺たちは二人とも君のママのリビングに立ってる。7月の酷い暑さのせいでたっぷり汗をかいていて、君の頬や口の中にまで流れてる。これが嘘に違いないってことくらい分かってたさ。だって、君のママは俺を家の中に入れてくれたことなんてなかったからな。君は一番美しい未亡人。君は一番美しい未亡人。君はこの街で一番美しい未亡人さ。長い年月が過ぎ去ったあと、どんよりとした12月、俺はポケットに手を突っ込んで立ってる。キラキラに輝くウェディング・ポートレイトを避けようとしながら。老女の壁にしがみ付きながら。だって、俺は君が笑顔を着てるって知ってるから。あれは、見上げるにはあまりにも痛々しすぎる。 君は一番美しい未亡人。君は一番美しい未亡人。君はこの街で一番美しい未亡人さ。

Most Beautiful Widow In Townより(全訳)

Homecoing QueenやCowのようにノスタルジーの中にある――つまり自分の中にある――女性について歌っていますが、この曲においては女性はキラキラした「あちら側」にいるだけでなく、現実世界における現状についても触れられています。

つまり、女性が「あちら側」から少しずつ「こちら側」に近づいています。

アルバム後半にはその過程が見え隠れする曲が多くなります。

彼女は頭を俺の胸に乗せる、太陽が西へ向かって燃え落ちるように。俺達が手にしているものはまだある。これはこの駐車場でのラストダンスだ。俺は暗闇の心臓を手にした。俺は暗闇の心臓を手にした。そして、彼女は炎のなかで目覚める。炎は激しく燃え続ける。悪魔は彼女の悲鳴を笑うだろう、そして彼女は夢から覚めた。 俺は暗闇の心臓を手にした。俺は暗闇の心臓を手にした。

Heart of Darknessより(全訳)

前半は「彼女」との親密な関係を匂わせています。
「日が沈む」ことに不穏さを滲ませつつも、この流れから辿り着くサビの「暗闇の心臓」という言葉からはマイナスさを感じません。
何より、女性は「こちら側」にいます。

しかし、後半は違います。
「彼女が目覚め」、「異質な炎」が現れ、「悪魔が笑う」ことによって、世界のおぞましさを目にした彼女は夢から覚めてしまいます。
「あちら側」に帰ってしまったのでしょうか。

何にせよ、サビで歌われる「暗闇の心臓」という言葉が持つ意味は、前半と後半では大きく異なります。



また、女性以外がテーマでも、ほんの少しだけ世界が明るくなっています。

時々俺はすごく哀しくなる。時々君は俺をおかしくさせる。悲しくて美しい世界だ。悲しくて美しい世界だ。時々俺は全然行かない。時々俺はノーと言えない。悲しくて美しい世界だ。悲しくて美しい世界だ。 時々日々はすぐ過去になる。時々今日が最後なんじゃないかって思える。 悲しくて美しい世界だ。悲しくて美しい世界だ。

Sad and Beautiful Worldより(全訳)

悲しみと悲嘆に溢れています。
しかし、前半の歌詞のように世界を化物みたいに捉えているのではなく、あるがままの美しさを見ようとしています。


世界をどうにか肯定しようとする傷だらけの力強さを感じます。

そして、アルバム最後の曲がこちらです。

君がドアの前に置いてきた悪魔の花、ひび割れた花瓶に活けてあって、俺の血の味がしたな。今日、君の髪がとても綺麗に見える。ガソリンホーセー達が俺達を遠くに連れて行ってくれるだろう。あいつらは4頭を要求した。しかも、炎のたてがみがあって、腹に時計が搭載されてるやつ。4トンにもなるぜ。耳が聞こえぬ者と喋れぬ者、俺達は神の哀れな老犬だ。今日、君の髪は陽光みたいな匂いがする。 ガソリンホーセー達が俺達を遠くに連れて行ってくれるだろう。

※ガソリンホーセー(Gasoline Horseys) 馬(Horse)とハーレー(Hurley)を組み合わせた造語だと思われます。

Gasoline Horseysより(全訳)

ポジティブな匂いがする言葉で締めくくられていることが印象的です。

冒頭では、「俺」の血の匂いがして、「ひび割れた花瓶」に活けてあった「悪魔」の花を置き去りにしています。

不吉なものと留まることを良しとせず、「髪の綺麗な君」と一緒にどこまでも行けると感じているのです。

続いて、理不尽な買い手に苦しめられ、自分達は「哀れな老犬」だと現状を評しながらも「陽光みたいな匂いがする髪の君」と一緒にガソリンホーセーがどこまでも連れて行ってくれるだろう、という未来形で締めくくっています。

ガソリンホーセーとはSparklehorseとしての自分を比喩的に表現しているのかもしれません。

絶望的に思えた現実をきちんと受け入れ、前に進むところで本作は締めくくられています。


(2nd)Good Morning Spider

前史:アルバムをリリースするまで

前作をリリースしたあと、Sparklehorseの存在はRadioheadの目に留まることになりました。
なんとOK Computerリリース時のヨーロッパツアーにオープニングアクトとして帯同します。


しかし、Gasoline Horseysで歌われたように、ボロボロになりながらも前向きに進むことはマークには出来ませんでした。

マーク・リンカスはこのツアーの最中に抗うつ薬、アルコール、バリウム、ヘロインの過剰摂取によりオーバードーズを引き起こしました。

長年うつ病や不眠症に苦しめられていたマークですが、この時の記憶はなく、意図的な行為(つまり自殺)であるかどうかは自分でも分からなかったようです。

何にせよ、三か月間の入院や半年間も車いすを必要とする生活を強いられることになりました。
痛みを伴う手術も複数回に及んだそうです。


また、脳への症状から回復後もギターコードを奏でられるようになるのも時間を要したと彼の友人が述べています。

そんな闘病時の精神状態が反映されているのが、1998年にリリースされたGood Morning Spiderです。

サウンドの特徴

刺々しいパーソナルな空気感が強まった作品です。
また、前作よりも若干表現の幅が広がっています。


不安定なフラストレーションを叩きつけるような激しいロックサウンドを奏でるときもあれば、くすんだ音色のキーボードと一緒に沈み込んでいくような展開も見られます。

ドラムマシーンを多用しているせいか、躍動感よりも内向性が前面に出ているかもしれません。

病院での生活と挫折が投影されているのでしょうか。
感傷的なノスタルジー的な色彩は消え失せ、生々しい感情の吐露が続きます。

艶消しを施された心象風景の奥底で静かに波打つ、焼け付く様な絶望と生への渇望を感じられるアルバムです。

歌詞の世界:『俺が望む唯一のことは、幸せな男になること』

前作がノスタルジーやその彼方此方にいる女性との距離感が描かれていたのに対し、Good Morning Spiderはオーバードーズ後の入院/闘病生活の苦悩がテーマの中心になっています。

紡がれる言葉からは孤独が立ち昇り、幸福とは程遠く、どこか遠くへ行きたいという願いを抱えています。
そして、最後の最後まで希望は訪れません。


一曲目を飾るpigでは、後遺症で身体が動かなかった痛切な経験が歌われています。

あの可愛い子守歌を俺に歌わせてくれないか?それから君が上手に歌っているときに、全部詰め込んじまおう。俺は今すぐ新しい顔が欲しい。やばいくらい欲しい。力強くて新しい体が欲しい。俺は屠殺された牛なんだ。俺は挑戦したいし飛びたい。俺は挑戦したいし死にたい。俺は豚になりたい。俺はファックしたい。俺は今すぐ新しい顔が欲しい。やばいくらい欲しい。力強くて新しい体が欲しい。俺は屠殺された牛なんだ。 馬鹿で浅はかなマザーファッカーになりたい。強い肌のビッチになりたいけどどうすればなれるか分からない。スポンジみないな脳みそのぴかぴかの新しい赤ちゃんになりたい。訓練を受けることのない炎に包まれた馬になりたい。

pigより(全訳)

前作は自分の苦悩について叙情的に表現していましたが、Good Morning Spiderは非常に直接的です。

「死にたい」という直接的な感情の発露だけでなく、自分を「屠殺された牛」に喩えたり、「マザーファッカー」や「ビッチ」になりたいと宣言したり、その感情表現は強烈です。


三曲目のSaint Maryは入院中の苦悩を歌っています。

素敵な看護師さん、俺に毛布をくれ。そして、炎から俺を守ってくれ 俺は森に戻らなくちゃならないんだ。なあ、女の子たち。俺は森に戻らなくちゃならないんだ。彼等の最初の一杯の紅茶のために昇っていく血まみれのエレベーターの中で、この現代で、いつ空は宇宙になって、空気は風になるんだ? 俺が本当に必要としているものは水と銃と、それからウサギ。休ませてくれ、熱っぽい俺の頬、お前のあったかくてスイートな腹のうえで。
彼等の最初の一杯の紅茶のために昇っていく血まみれのエレベーターの中で、この現代で、いつ空は宇宙になって、空気は風になるんだ?

Saint Maryより(全訳)

闘病生活の苦悩と無力感が歌われています。「俺」を焼く「炎」とは孤独なのか、痛みなのか、あるいは鮮血なのか。
「炎」と対比される「森」(外の世界、ミュージシャンとしての自分)へのかなわぬ帰還願望を歌っています。


少し違うタイプも見てみましょう。
Sick Of Goodbyesでは入院生活の夜の孤独を歌っています。

俺のバカみたいな精神を一緒に持って行けたなら、俺の心は大地を超えて君に会いに行く。ヴァンパイアの惑星じゃ誰も君を見ない。俺みたいなやり方じゃ誰も君を見ない。(中略)俺はグッバイにうんざりしてる。俺はグッバイにうんざりしてる。夜は四人全員の上に忍び寄る。床から俺たちの夢を吸い上げる。

Sick of Goodbyesより(抄訳)

見舞いに来た恋人が去った後の苦悩でしょうか。
病院の夜が心細い、という感覚に共感できる方も多いと思います。

そんな普遍的な心細さが明け透けに歌われていると言えます。
ただ、世界を「ヴァンパイアの惑星」に喩えたり、夜の恐怖を「俺たちの夢を吸い上げる」と言い表すなど、マークにとってその不安は僕達の予想を上回るものだったのかもしれません。



続いては、強烈な無力感が印象的な曲です。

俺は目を開けて、太陽を見つめた。リラックスして風を止ませるため、夜の間中不在だった。でかい時間がやってくるだろう。波が俺が救ってきたゴミをぶっ潰すだろう。月が爆発するか浮かび上がったとき、俺が作ったお土産を失うだろう。俺は草原に横たわる。身体を這いまわる昆虫たちには好きにさせてやる。彼女は羽で俺を覆い、俺の頭を抱擁し、そして言った。「かわいそうに」

sunshineより(全訳)

圧倒的な力を持つ何かがやってきて自分が築き上げたものを蹂躙してしまう。
強大な何かと卑小な自分の対比を伴うこのような無力感は、前作にはなかったように思います。

そして、次の曲が最も明け透けな表現をしています。

もし俺がもっと沢山持っていたら、君の足元にはもっとたくさん横たわっていただろう。もし君が些細な微笑みをくれるなら、俺の足跡にいるあの犬は俺を監獄に引きずり返さないだろう。霧ががった朝、俺は馬の胃袋の中で目覚めた。あいつの目はクレイジーで、セメントのゲートに突っ込んでいきやがった。俺が望む唯一のことは、幸せな男になること。 俺が望む唯一のことは、幸せな男になること。 水平線の向こうに歯を見たんだ。大地に屹立し、黄色にまたがる牙達。

Chaos Of The Galaxy/Happy Manより(抄訳)

幸せになりたい。痛々しいほどにまっすぐな表現です。
陶酔的なノスタルジーが介在する余地など微塵もありません。

甘美な感傷に浸る余裕などない、壮絶な日常を経てきたことを感じさせます。

そして、アルバムの最後を飾る曲にも前作のようなポジティブさはありません。

湖の煙たい水から起き上がった美しい女性、手の中で燃えるキャンドル、床にそっと沈んでいく俺の歯。小さなジューンバグ、俺の幸運をいくらか持ってきてくれないか。お前らのいとこは海に向かう神々だ。三月の午後、太陽と月。

Junebugより(抄訳)

ただ、幸運の到来を願っています。
ガソリンホーセーと一緒に何処までも行けると感じていた前作の結末に比べると、その差は明確です。

前作と比べると他者とのコミュニケーションへの要求も薄れ、ただ厳しい現実に立ち尽くし幸運を願っているのが結末なのですから。

ただ、願っているということはそれでも前を向いている、と言うこともできるかもしれません。

(3rd)It’s a Wonderful Life

前史:アルバムをリリースするまで

Good Morning Spiderをリリース後、マーク・リンカスを取り巻く環境はまた少し変わったようです。

レーベルの担当者が変わり、本作It’s a Wonderful Lifeはプロデューサーと共に働くことを要求されるようになったと苛立たしげに語っています。

また、オーバードーズによる入院騒ぎと彼の作品の陰鬱な雰囲気のせいでアメリカにおけるSparklehorseのイメージが気味の悪いものになっていることに、マークはフラストレーションを抱えるようになっていきました。

当然、そんなイメージから派生する批評家の言葉もマーク・リンカスを苛立たせるものでした。

いわば、否応なしに周囲との関係を意識せざるを得ない状況になった、とも言えるかもしれません。

そして、2001年にIt’s a Wonderful Lifeがリリースされました。

サウンドの世界

「Sparklehorseの作品にしては」という枠組みの中ではありますが、もっともリラックスした雰囲気のアルバムです。

本作It’s a Wonderful Lifeはフルバンド体制でレコーディングされ、Tom WaitsやPJ Harveyなど数多くのゲストミュージシャンを迎えています。

それゆえ有機的でゆったりとしたビート感を伴い、曲が展開されていきます。

今までよりもリラックスしたマークの歌い方も、
物憂い囁きのようなエレクトリックギターも、
柔らかに結びつくベースとドラムスも、
傷だらけの心にじんわりと響くような、ひりひりとした優しさがあります。

生々しい憂鬱の奥底に温かな静謐さを秘めているアルバムです。

歌詞の世界:『俺は鎖を引きずっていく』

Sparklehorseらしい諦観に満ちた比喩を散りばめつつ、全体的に1stやGoodbye Moning Spiderに比べると優しい雰囲気になっています。

そして、エネルギーに満ちた世界とそこに少し距離を感じる自分、そして時にはそんな世界に抗う自分、さらには誰かへの祝福といった観念が現れます。

まずは冒頭を飾るIt’s a Wonderful Lifeから見ていきます。

向こうにいるあの馬に乗れるのは俺だけだ。海で死んだ蜂達が俺にまとわりついてる。素晴らしい人生だ。素晴らしい人生だ。俺は雄鶏の血を身にまとう。連中が鳩みたいに飛んだ時にな。俺は毒ガエルの沼なんだ。素晴らしい人生だ。素晴らしい人生だ。 俺はお前のバースデイケーキを食っちまう犬なんだ。 素晴らしい人生だ。素晴らしい人生だ。素晴らしい人生だ。

It’s a Wonderful Lifeより(全訳)

繰り返される「素晴らしい人生」という台詞はオーバードーズの事件ばかりに注目し、曲のそのものを美しさを感じようとしない批評家たちへの「Fuck You」なのだそうです。

曲調自体は非常に穏やかでオールドアメリカンなノスタルジーに満ちているのですが、紡がれる言葉は攻撃的で世界への反撃が明確に感じられます。

「鳩みたいに飛んだ雄鶏」の「血をまとう」というタフネス、
自分にまとわりつくものを「海で死んだ蜂」に喩える皮肉、
「毒ガエルの沼」と同等なほどに自分が危険な存在であることのアピール。
そして、繰り返される「Fuck You」。

1stアルバムのSad and Beautiful Worldが無力感のままに世界を眺めて肯定していたことに対し、It’s a Wonderful Lifeは世界に噛みついています。


また、今までにないほど力強い闘争心の表現として、Devil’s Newも要注目に値します。

俺は心臓を引きずり出した。心臓を引きずり出した。山の上まで高く。俺は心臓を太陽に置いてきた。でも死なないだろう。死なないだろう。お前は新しい悪魔か? お前は新しい悪魔か? お前は新しい悪魔か? それともスパイか? 俺は鎖を引きずっていく。山の上まで高く。山の上まで高く。山の上まで高く。

Devil’s Newより(全訳)

前半部は「心臓を高々と引きずり出して太陽におく」という突き進む様な衝動性と「それでも(自分は)死なない」という強い意志を表現しています。

一方後半部では「鎖を引きずる」という自分にまとわりつく何かと戦うような比喩表現がなされています。

どちらも能動的な行動を示唆していることです。


陸へのジェット機を待ってたら日焼けしちまった。毛深い手をしたサーカスの連中、来いよ少年たち、軍の楽隊を演奏させな。ジェット機を待ってる間に日焼けしちまった。どんな気分なんだ? どんな気分なんだ? 硬くて大理石みたいな目の俺には見えないみたいだ。

Piano Fireより(抄訳)

「日焼け」、「サーカス」、「群の楽隊」などのエネルギーを感じさせる言葉で世界を描写したうえで、「硬くて大理石みたいな」俺の目には見えないと距離を置いています。

猛るような攻撃性は感じませんが、世界そのものへのマイナスイメージは感じられません。

そして、ここからが本作におけるSparklehorseの重要な変化です。
祝福を歌っているのです。

おはよう、俺の子供。しばらくの間一緒にいてくれ。君にはいるべき場所がなかった。しばらく座らないかい。君の瞳にはダイヤモンドがある。さあ、起きる時間だ。太陽を浴びよう。時々どうにもならないこともあるけどさ。お前のカラスを全部遠ざけて、痩せこけた狼を海辺に追いやって、笑顔の銀色の積み重ねの中で、君の日々が黄金でありますように。

Gold Dayより(抄訳)

君の声の音が、猫達の墓を目覚めさせた。君のステップのドキドキが洞窟のコウモリ達を起こした。太陽の上の赤ん坊達、太陽の上の赤ん坊達。君の最初の燃え上がるような呼吸は、シンフォニーだった。そして、馬でいっぱいの船は海へと沈んだ。太陽の上の赤ん坊達、太陽の上の赤ん坊達。

Babies on The Sunより(全訳)

マーク・リンカスには子供もいたようです。おそらくは子供に向けた言葉でしょう。
どちらも優しさに満ちており、慈愛に満ちた温かさを感じます。



そんな本作ですが、最後を飾る曲は死について歌ったものになっています。

白銀の朝の空虚さの中で、震えて、年老いて。だいたい10年くらいか。抱えるには大きすぎるな。俺が部屋に入っても彼女は起きない。彼女はもう野原を駆け回らない。キッチンに火を起こした。ストーブで彼女のベッドを作った。墓地まで散歩した。でも、彼女は行きたくなかった。彼女はカラスの群れを気にしない。まあ彼等は届かないところにいるけど。 俺が部屋に入っても彼女は起きない。彼女はもう野原を駆け回らない。

Morning Hollowより(全訳)

大切な誰かの死を歌っているのでしょう。

前作Goodbye Morning Spidersの最後が幸運を望んでいたのに対し、It’s Wonderful Lifeは去りゆく幸福を静かに悼んでいます。

優しさを感じる言葉です。
深い悲しみと過去作にはない静謐さを湛えた、とても穏やかな最後の一曲と言えるでしょう。

(4th)Dreamt For Light Years In the Belly of a Mountain

前史:アルバムをリリースするまで

前作It’s a Wonderful Lifeのリリース後、マーク・リンカスは再び激しいうつ状態に悩まされるようになります。
作曲に取り組むこともままならず、レコーディング作業は遅々と進んでいきました。

最終的には次第に家賃の支払いにも苦しむようになったそうです。
また、多くの人が彼の周りから亡くなったり去って行ったとも述べています。
(インタビューでは言葉を濁していました)


結果として、2006年に55分中25分は既発表曲が占めるアルバムDreamt for Light Years in the Belly of a Mountainがリリースされました。

サウンドの世界

従来の武骨な繊細さの上を、USインディー的繊細さの薄い膜が覆っています。
つまり、本当にほんの少しだけシャープかつポップになっています。


ただ、激しさは前作よりも増しており、粗野にかき鳴らされるエレクトリックギターも耳にすることができます。

ぼそぼそと呟かれるボーカル、
ドラムマシーンの無機質なビート、
質素でけだるいベースライン、
メランコリックなシンセの音色、
ダウナーなギターアルペジオ。
旋律自体がややポップになったため、ノスタルジーも透明感を増しています。

深い苦悩を感じますが、1stや2ndのような焼け付くような剥き出しさではなく、大人びたビターさでろ過しています。
特に静謐な曲において、洗練されていないがゆえの深みが上手に出ているように感じます。

武骨な生命力を感じさせる力作だと思います。

歌詞の世界:『胸の中で、星々が死に絶えていく』

アルバム全体において歌われている内容の傾向として、下記の2点が挙げられます。

  • 自分を取り巻く世界との折り合いの悪さ
  • 自分のもとから去ってゆく女性を引き留めようとすること/引き留められないことを受け入れようとすること



では、まず冒頭曲Don’t Take My Sunshine Awayから見ていきましょう。

君の顔は大洋に沈む太陽みたいだ。君の顔はまるで素早く成長していく観察中の花のようだ。君のキスは全て飲み込まれてしまった。輝く朝と空虚。俺の蔓と木のこぶは結びつかないままやってくるだろう。君は俺の陽光。陽光なんだ。どうか俺の陽光を奪いさらないでくれ。接地するトンボ達は死にゆく星々だ、大地へと帰っているんだ。俺には彼等が泣いているのが聞こえる。俺が飲み込んだクリスマスの飾りのように、空虚へと去って行った木の中で眠った。そして、もう二度と冷たい冬を感じないだろう。 君は俺の陽光。陽光なんだ。どうか俺の陽光を奪いさらないでくれ。

Don’t Take My Sunshine Awayより(全訳)

「君」とは「キス」をする関係であり、「君」は「陽光」であり、遠くに行こうとしています。

また、世界に対して、「君」を自分のもとに留めおくよう嘆願しています。

1stの最終曲では「陽光」のような髪の匂いがする「君」が一緒にいてくれたことと、対比を成しているように感じます。

続いて、もっと直接的な歌詞を見てみましょう。

ブラザーマウンテンが生じた。お前のコイルを叩く俺たちの蹄。川はお前の空虚を削り出す、俺の涙と共に。帰ってきてくれ、帰ってきてくれ、俺の愛。俺の愛。

Return To Meより(抄訳)

「涙」「川」といった分かりやすい比喩のあと、 「帰ってきてくれ、俺の愛」と去りゆく人のへの思いを痛々しいほどまっすぐ歌っています。


君は俺のヒナギク。君は俺の子守歌。太陽を持ち上げろ。俺の犬は消えるだろう。スイカズラと深々たる月光。彼女は俺の黒い地球で背骨の中の炎だった。彼女の磁場は誕生を与える。俺はもっとも君を愛した人間だった。でも、君は幽霊を抱きしめることはできない。いつか甘美な日に、君は俺のものになるだろう。俺のものになるだろう。 いつか甘美な日に、君は俺のものになるだろう。俺のものになるだろう。

Some Sweet Dayより(抄訳)

「俺はもっとも君を愛した人間だった」という一節のあと、「でも君は幽霊を抱きしめることはできない」と続きます。

自分を幽霊に喩えていることが、非常に痛切です。
そして、去りゆくことに理解を示していることも。

千年間、君の顔をずっと覗いていられたら。それは痛みと歓声の内戦みたいだ。でも、もし君が馬だったら、手綱で君を助けてあげられた。君に乗って野原を駆け回ることができた、その炎のようなたてがみのそばで。君の影が甘美であるように、湖の上を漂うように、太陽が蜂蜜で出来ている場所で。君が燃えている間、俺はダイヤモンドを泣かす。だって、ここの連中はだれも君を救ってやれない。彼女は地球に帰ろうとしている、だけどいつか銀になるんだ。俺の胸の中で星々が死にゆく、君にもう一度会えるまで。彼女は鷹の翼と共に生まれた。今は自分の血で髪を梳かしている。君の影が甘美であるように、湖の上を漂うように、太陽が蜂蜜で出来ている場所で。

Shade And Honeyより(全訳)

去りゆく人への想いを語り、その(おそらく今は幸福ではない彼女の)幸福を願っています。

一方、「俺の胸の中で星々が死にゆく」という表現から自分の状況が破滅的になりつつあることも示唆しています。




ただし、この絶望の深さは去りゆく誰かに向けられたものだけで、それ以外の周囲/世界との折り合いの悪さは前作It’s a Wonderful Life時と大きく変わりません。

前作制作時に創られた曲が多く収録されていること関係があるのかもしれません。

具体例として、SparklehorseとしてはキャッチーなSee The Lightを見てみましょう。

黄金のカラスと共に遠く離れ、彼等の魂が年老いていることは分かってる。彼女の腹部の温もりに潜む、波と雷の散文。眠れる大熊が息をする場所、木立のせいで光が見えないんだ。俺は火の湖にいた。俺のベッドは古代の薪。星々は海へと落ちていく。木立のせいで光が見えないんだ。木立のせいで。 木立のせいで。木立のせいで。

See The Lightより(全訳)

「木立」のせいで「光が見えない」。
確かに存在する光と、それには触れられない自分という対比がなされています。

お前の森に火をつけて、尖塔に逃げ込んだ。炎は空高く舞い踊ってたぜ。あいつらは俺達の曲を演奏してる。あいつらは俺達の曲を演奏してる。 あいつら、勘違いしてんな。

Getting It Wrongより(抄訳)

こちらは明確に周りとの軋轢を表現しています。

2ndにおいて「森」はミュージシャンとしての地位の比喩も意味していました。
そう考えると、「勘違い」している誰かのアイデンティティに関する攻撃ともいえるでしょう。



起きるために。柳に飲み込まれるためじゃなく、未亡人に半分喰われ、新しい一日が始められる。笑えよ。だって、ここじゃ何でもいいからな。蜘蛛達が太り始めた。太陽の中で燃えろ。来いよ、そんなに難しくないはずだ。

It’s Not So Hardより(抄訳)

「半分喰われている」状態からの奮起を表現しているのでしょうか。
厳しい状況の中、それでも進んでいこうとする意志が強く感じられますが、状況の困難さも表現されているように感じます。


なお、最終曲Dreamt for Light Years in the Belly of a Mountainはインストゥルメンタルとなっています。


エレクトリックギター、ピアノ、管楽器による叙情的で物憂い旋律が10分間以上続き、静かに消えていきます。

最後の曲に、言葉はありません。

主要参考サイト


https://en.wikipedia.org/wiki/Sparklehorse

https://genius.com/artists/Sparklehorse

http://www.freewilliamsburg.com/february_2002/interviews.html

https://pitchfork.com/features/interview/6489-sparklehorse/

最後に Sparklehorse 全てのアルバムに焼き付けられたマーク・リンカスの生き様

Sparklehorseはマーク・リンカスの音楽家としての一面であると同時に、どうにもならないその時々の感情を焼き付けたフィルムでもあると感じました。

そして、残されたアルバムは未来へと連れて行ってくれる希望であると同時に、焼き付け終わった過去に縛り付ける亡霊でもあったのかもしれません。

Sparklehorseを通してしかマーク・リンカスに触れられないこと、少し歯がゆいですね。



それでは。

4 件のコメント

  • この間が彼の10周忌ということで調べていたら、ここに辿り着きました。彼に関する日本語の記事が乏しかったため、嬉しく思います。参考にさせて頂きました。
    ダニエル・ジョンストンも近年亡くなってしまったこともあり、彼がプロデュースした作品も含めて今でもリピートで聴いています。
    sparklehorseを知ってかなり経ちますが、何度聴いても感動させられます。これからも彼の作品群は自分のオールタイム・ベストであり続けるだろうと確信しています。

    https://youtu.be/dQxmTtPm8BY

    • コメントありがとうございます。

      Sparklehorseをお好きな方とお話できて嬉しく思います。
      そういえばもう10年周忌になりますね……。彼の美しい作品をずっと聴いていきたいです。

      ダニエルジョンストンのMost Beautiful Widowのカバー、素敵ですよね。
      上手く言葉にできませんが、深い切なさがあると思います。

  • 昔聴いたSparklehorseがなぜか無性に聴きたくなり、アルバムを聴きなおすなかで、
    当時微妙に感じられた4thアルバムの美しさにもハッと気づき、
    気が付くと彼の遺した作品のほぼ全曲が自分にとってのフェイバリットとなっていました。
    今では毎日毎日聴いています。
    この素晴らしい音楽の背景には一体どういうことがあったのだろうと感じ、調べてゆくなかで
    このサイトにたどり着きました。素晴らしい記事に感謝します。

  • コメントありがとうございます。
    そうおっしゃっていただけると本当に嬉しいです。
    4thの美しさ、私も同感です。

    日本では音楽的背景が知られていなかった存在ですが、そのあたりももっと知られれば良いのになと思います。

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