新宿タワーレコード、夜のドコモタワー、2010年のプレイリスト。

最初に。
この記事は僕の完全な自分語りで、2010年頃に僕が聴いていた音楽がテーマです。
下記のプレイリストを聴くなり眺めるなりしていただけると、少し嬉しいです。

偽りの秘密兵器

僕は歴史学者を志したのは単に自分に自信がなかったからで、本当に歴史のことが好きだったのかと問われると答えはノーだ。

ただ、当時の僕が生きていくためにはこれしか術はないと思っていた。
僕にとって人から褒められるのは、人より優れているのは歴史学に向き合った時だけだった。

だから、随分必死に勉強をした。ただ、それは単純に自分のやりたいことを学ぶにはレベルの高いところに入るしかなかっただけなんだけど。
そして、僕は後に「学歴ロンダリングって知ってるか?」と先輩から堂々と揶揄されるほど身の丈に合ってない大学院に入った。

当時の僕からは凄まじい気合と気負いが漲っていたと思う。
手持ちの武器の中で、社会に通用するのはたった一つだけ。
その一つを限界まで研ぎ澄ませて格上の相手をなぎ倒し、数少ない必死をなりふり構わず掴み取る。
入学前の僕は、そんな未来を描いていた。

というタイミングで父さんが死んだ。ガンだった。
見つかってから逝ってしまうまで一か月くらいだっただろうか。
家族で嫌いじゃないのは父さんと犬だけだった。

何にせよ、「これからが勝負だ」というタイミングで僕は経済的な後ろ盾を失ったことになる。
なおのこと必死にやらなくてはならない。僕はますます気負う。
「大丈夫、逆境をはねのけるだけの力はお前にある」と僕は自分に言い聞かせる。
ただ、残念ながら、僕は自分がパニックになってるのに気づいていなかった。

入学する。何をやっても全然ダメ。
当然だ。僕にはもともと大した実力不足もなかったのだ。
人並みの大学で井の中の蛙を気取っていただけで、能力はゴミみたいなものだった。

そこに加えて、凄まじい気負いが引火して空回りの大爆発。
失敗が失敗を呼び、ドツボにハマってぐちゃちゃになっていく。

おまけに今度は犬が死ぬ。
自分の苦悩にかまけてアイツの最後をちゃんと看取ってやれなかった。
僕は今でも思いだしては後悔する。

話が逸れた。
とくに憂鬱だったのが都心でやっていた偉い方々や優秀な方々との読書会だ。
アマゾンでも図書館でも著者名としてよく目にする名前の方々の前で、尊敬する方々の前で、僕はまるでダメだった。


毎週その曜日が来るのが、本当に嫌だった。

音楽の話

そんな僕にとって、新宿タワーレコードは夜空に浮かぶ月のような存在だった。
読書会の後はいつも新宿駅で降りては寄り道して、棚やポップを眺めていた。

惨めな気持ちを抱えていた僕にとって、そこで色んな音楽を聴くのは本当に楽しかった。

上手く言えないんだけど、痛む傷跡を優しくしてもらえているようなふわふわとした気持ちよさがあった。

そのころに僕が良く聴いていた音楽は、エレクトロニカ、日本語ラップ、ポストロックあたりになると思う。あと神聖かまってちゃんも。

お金に余裕があるときは(というかなくても無理して)CDを買った。
I-PODで音楽を聴きながらふらふら散歩をして、今はない南口の紀伊国屋書店に行って本棚を眺める。
それから缶コーヒーを買って、夜空を照らすドコモタワーをぼんやり見上げていた。
色んな音楽を聴きながら。

Tha Blue Herbを聴いて奮起してみたり、
Serphを聴きながらビルの灯りを見上げて空想をしてみたり、
MONOを聴きながら壮大な何かを見ているような感覚になったり、
神聖かまってちゃんに感情をかき乱されたり。

ドコモタワーで色んなことを考えながら音楽を聴くのは好きだった。

あのときの感情を上手く言葉にするのは難しい。
日によっても全く違ったし。

「絶対にこの逆境を跳ね返してやる、絶対に!」と感情を高ぶらせることもあれば、
「ただただ恥ずかしい」「どうやら俺は能力がないらしい」と絶望に沈むこともあれば、
「でも、なんか気分転換はできたな」「癒されてる」「そのうち何とかなりそうな気がする」と傷心ながらも気分転換できたり。

つまり、色々だったのだ。

ただ、一つだけ言えるのは、新宿タワーレコードとドコモタワーは僕にとって息継ぎができる数少ない場所だったのだ。

今の僕と2010年の僕

そして、あの優しい息継ぎの場は、そこで過ごした時間は、今の僕にも影響を残している。

大学院時代に徹底的にプライドをへし折られたこと、その時にああいう音楽が僕のそばにあったこと。
そんなことが今の僕の生き方や音楽の愛し方、理想の在り方の一部を構成している。気がする。

あの頃の音楽が今僕が聴いている音楽の方向性を決定づけたと言えるだろう。
ポストロック、エレクトロニカあたりは間違いなくあれからずっと主食だ。

その一方で、今は日本語ラップと神聖かまってちゃんを以前のように聴くことはない。
(もちろん、そういう音楽を否定しているわけではない)
それは僕の今の生き方にも関係している。
今の僕は共感や感情をブーストさせることに、意味を見出していないのだろう。
(もちろん、そういう生き方や音楽の聴き方を否定しているわけではない)

少なくとも僕の人生においては、一時しのぎの高揚感や安心感は与えてくれるけれど、その代償はとても大きいものだった。
僕の判断力は曇ってしまった。

今の自分にとって本当は何が大切なのかを見定められなくなる。
そして、感情を高ぶらせた反動はいつか一気に心をズタズタにする。

重ねて言うけど、これはあくまでも僕にとってだ。他の在り方も当然ある。

話を戻す。
そして、そんな経験と音楽摂取を経たうえで、僕の音楽への接し方は2010年頃から徐々に変わっていった。
今の僕にとって、音楽を聴くことは大渓谷を見下ろすことや巨大なピラミッドを見上げることと一緒になっている。

音楽からも雄大な光景からも何かを感じ取ることができる。
相性が悪ければ、できないこともある。
ただ、それだけ。

感じ取った何かが役に立つことも、時にはあるだろう。


だから、僕はインストゥルメンタルの曲を好むのだと思う。
エレクトロニカやポストロックなどはまさにその例だ。
歌が引く分、作り手の自我が後ろに下がり、風景と同じような印象を与えてくれる。
受け取る側の自由が、より広い。

ただ、これも僕の主観だ。他の理解も当然あるだろう。

「若さ」の消失

そして、音楽を聴くということに対して、「今」を追いかけようという気力が霧散したのもこの頃だ。

音楽を栄養ドリンクみたいにして未来を切り開こうと必死に戦って、連日のようにボコボコにされた挙句、完膚なきまでに敗北した。

その精神的な負荷に耐えきれず、僕の中の「若さ」という松明が燃え尽きてしまったのだと思う。
カルチャー全般の「今」を追う力は消失してしまった。何かの筋肉が一気に衰えてしまったみたいに。

2010年頃が僕にとって「最後の今」なのだろう。

灯りを失ったその後の僕は、見当違いの迷走を続けることになる。

遠ざかるあの日々

僕はいまだに夜の新宿が好きだし、あの頃好きだった音楽には今も深い愛着を持っているものが多い。

でも、缶コーヒーは胃が痛くなるので飲むを止めた。
そういえば、あの頃はいつか新宿に住みたいなんて思っていた。
あの頃の僕は、真摯に努力をすれば何かが変わると思っていた。

そう言えば、もう新宿タワーレコードにも随分行っていない。
たまには、何か買いに行かなきゃ。
でもそこで僕がCDを買ったとしても、たぶん僕が手にするのは本当はCDじゃない。
黄色いビニール袋に入っているのは、2010年に落としてきた、ひとりよがりの感傷だろう。

僕はあの時ずっと一人だった。

今は?

灯りはない。
だから、もう二度と出口は見つからない。

ただ、それだけの話。
楽観もせず、悲観もせず、やれることをこつこつやっていくだけだ。
そうあろうと努力するだけだ。
クールに、ドライに、落ち着いて。

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