今日語りたいのは重松清の短編集『青い鳥』です。
重松さんの言葉を借りるなら、ヒーローの登場する物語です。
だけど、このヒーロー、世間が憧れるようなスーパーマンではありません。
彼の名は村内先生。
冴えない中年で、非常勤講師で、どこの学校に行っても生徒からは馬鹿にされ、そして吃音です。
彼は行く先々には、青春の中で苦しむ少年・少女達がいます。そして、彼等の悩みは重く、深く、簡単な慰めでは解決しそうもありません。

トラウマでどうしても喋ることができない女の子、訳の分からない衝動にかられ、教師を刺してしまった少年、親が交通事故で人を殺してしまった少女、自殺未遂をした同級生へのいじめに加担してしまった少年。等々。彼等は二項対立的な被害者でもなければ加害者でもありません。ただ、社会の仕組みやどうしようもない理不尽に捕らわれ、苦悩の沼に深く沈み込み、溺れかかっているのです。
ただ、僕も(おそらく貴方も)そんな彼等に簡単に救いを与えることはできないでしょう。薄っぺらな正論を投げかけて諭したり、そんなことをおそらくしてしまうのではないでしょうか。「頑張れ」「悪くない」「反省しなさい」「自分を救えるのは自分だけだ」
とか、そんな感じの。
ただ、そういうのって世界の複雑に入り組んだところを無視して単純化した言葉で、当事者ではない人々はそういう単純な言葉をぶつけてしまいがちです。複雑なところに目がいかないゆえに。
そして、仮に見えていたとしても、救えるような言葉が思いつかず、何も言えないのではないでしょうか。
だた、村内先生の凄いところは、彼等を救おうとしないこと。彼等を見て、感じて、きちんと寄り添ってあげること。
思い悩む少年少女に必要なのは、誰かが分かってあげることなんです。
少年少女だった昔の皆さんにとって、一番大きな救いだったんではないでしょうか。
それなのに、僕たちはついつい思い上がって、相手を見下し、救って『あげよう』なんてしてしまう。
結果的に、相手の人生に深い傷を残していることにさえ気づかないままに。
村内先生は、そっと手を差し伸べ、そっと寄り添い、静かに去って行きます。
少年少女達の日常は相変わらず暗いけど、だけど目に映る景色の色彩は確かに変わっています。
トンネルの中で、遠くにかすかな光がみえるような、そんな物語。
苦悩する少年少女と、かつての少年少女だった全ての大人達に。

それでは、また。
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