古代中国の深山幽谷が育む、素朴な詩情『詩経』 ~おすすめの詩など交えつつ~



こんにちは。

紀元前文学その11、今回は中国最古の詩集『詩経』です

主に周王朝の時代に広く詠われていた詩を、孔子が現在の形に編纂したとも伝えられています。
それ以降、中国では儒教における経典となっています。

収められている詩の成立年代については、諸説ありますが、紀元前10世紀から紀元前6世紀頃とされています。

『詩経』の概要・詩の分類

『詩経』の詩は、舞踊や楽曲を伴って詠われるものであったと考えられているそうです。

さらに詩の用途に応じて、3つに分類されます。

  • 各地の民謡を集めた『風(ふう)
  • 貴族の宴席で流されていた音楽の歌詞である『雅(が)
  • 祭祀に用いられた儀式的な歌の歌詞である『頌(しょう)

『風』は愛、収穫、生活苦などの日常に関するものです。
『我』は、宴の楽しさを享受するものや、兄弟の結束を訴えるもの。さらには、王を褒めたたえるものなどが中心になります。
『頌』は、儀式で歌われていた祝詞のようなものが多く感じられます。

『詩経』の魅力 ~おすすめの詩も交えつつ~

詩経の魅力とは

さて。色々と分類を見てみましたが、『詩経』の作品には共通して見られる魅力があります。
それは、大変に素朴なところです。


シンプルで力強い言葉の数々によって、感情がストレートに放たれています。
また、詩を創った人々の発想力も実に純朴です。
彼等の心が捕らえるのは、山々、木々、虫、月の光に、川の流れ。
自然に関する表現が実に活き活きとしています。


そして、そこに乗せられる人々の毎日の楽しみ、日々の安らぎ、王朝への皮肉。
その感情は非常に瑞々しく、3000年近く前の人々とは思えないほどの親近感が湧いてきます。

『詩経』を、ほんのちょっとだけ見てみる。

でが、ほんの一部を抜粋して見てみましょう。

さて。古代中国では、男女が別々に集団労働に従事していたそうです。
そして、そんな労働の合間に、男女が互いに歌いあう詩があったそうです。

最初は男性から始まります。
大きな川の向こう側にいる女性に向けて歌っています。

南有喬木 不可休息 漢有游女 不可求思

南に高い木があれど 陰に休もうすべもない 川のほとりに娘はいるけれど ちょいと言い寄るすべがない

「漢広」,『詩経』日加田誠,講談社学術文庫,P.18より抜粋

一方、女性達は下心を見抜いてひやかします。

有狐綏綏 在彼淇梁 心之憂矣 之子無裳

淇水の梁にぶらぶらと 何を求めて雄狐の 裳裾がないのが気になるね


「有女同車」,『詩経』日加田誠,講談社学術文庫,P.18からP.19より抜粋

辛らつですね……。

まあ、遊び半分で休憩時間中にやりあっていたんでしょう。
苦しい生活の中でのちょっとした楽しみ、と言ったところでしょうか。


さて。次は月を見上げて誰かを想っている詩です。

月出皎兮  佼人僚兮  舒窈糾兮  勞心悄兮

月がさやかに出ている 美しき人の麗しい姿よ そのたおやかさよ 言葉もなくただ心に染みていく

「月出」風,『詩経』日加田誠,講談社学術文庫,P.36より抜粋

素晴らしいですね。詩情、というのはこういうときのためにある言葉なのではないでしょうか。


続いては結婚を祝う歌です。
若い花嫁を桃に喩える、素直な感性が素敵です。大好きです。

桃之夭夭 灼灼其華  之子于帰  宜其室家

桃之夭夭 灼灼其華  其葉蓁蓁  宜其室家

桃は若いよ 燃え立つ花よ この娘嫁げば 行く先よかろう

桃は若いよ 茂った葉だよ この娘嫁げば 行く先よかろう


「桃夭」,『詩経』日加田誠,講談社学術文庫,P.53より抜粋

ピチピチの桃、という表現も死語の山に埋もれていることですしね。


続いては、宴会を開くことにしたものの「誰も来てくれないんじゃないか…」という不安に駆られながら皆を待っている詩です。

伐木丁丁 鳥鳴嚶嚶  出自幽谷  遷于喬木  嚶其鳴矣  求其友聲

木を伐る音が丁々と響き 鳥の鳴く声が嚶々とこだます 深き谷からやってきて 高き木に移るその鳴き声は 友を求める声だ

「伐木」 ,『詩経』日加田誠,講談社学術文庫,P.84より抜粋

当時は、電話なんて当然なく手紙だってすぐには届かないような世界ですからね。
不安を覚えやすい僕のようなタイプの人々にとっては、非常に生きづらかったでしょうね……。
まあ、そんなことよりこの詩は自然への感情を載せ方が素敵です。
鳥の鳴き声を立体的に捉える感覚は、郊外育ちの僕にはありません。


彼は、日本とはスケールがまるで違うような山深いところに住んでいたんでしょうか。
どんな人物だったのか、ちょっと気になります。



さて。続いては、無事に宴が始まるとどうなるのかを分かりやすく詠っている詩です。

賓之初筵  温温其恭  其未酔止  威儀反反  曰既酔止  威儀幡幡  
舍其坐遷  屢舞僊僊

賓客が席につく最初は 穏やかに恭しく まだ酔わぬそのうちは 威儀も深く慎むが さて一度酔ってしまうとその威儀もどこへやら 己が座を捨てては遷り あちらこちらと舞い歩く


「賓之初筵」,『詩経』日加田誠,講談社学術文庫,P.126より抜粋

酔っぱらいは、紀元前の中国人だろうと現代日本人だろうと同じですね。
べろんべろんに酔っぱらってる姿が手に取るように想像できます。

卑弥呼が生まれるはるか前の人々に共感できるのは楽しいものです。


さて。共感ついでに、最後に素敵な詩を一つだけ。

有女同行 顔如蕣英 将翺将翔 徳音不忘

咲いたムクゲの花のような 可愛い娘と二人連れ ゆけばシャンシャン珠の音 綺麗な姜の姉娘 優しい言葉が忘れられぬ

「有女同車」風,『詩経』日加田誠,講談社学術文庫,P.17より抜粋

美女と同じ車(牛? 馬?)で移動できた喜びを歌っています。

この気持ち、僕、よく分かります。
多くの人が一度は体験するような、ささやかだけど最高に幸せな一時がぎゅっと詰まった素敵な詩だと思います。

まとめ 『詩経』 誰かにすすめたくなる詩集

やはり『詩経』の素朴さは、とても魅力的です。
人間としてのシンプルさが前面に出れば出るほど、国も時代も超えて共感できる要素が増えてくるんでしょうね。

それはつまり、多くの人に伝わる言葉ということであり、だから、色んな人の心にストレートに伝わる言葉ということになると思います。

それでは。

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