言い訳サワーとエジプトイチジク

冒頭:言い訳

先日、私は楽しい日記を書くと申し上げた。

それゆえ、まずは言い訳から始めねばならぬ。

そもそも、楽しいことが何にもなかったのである。
日々は淡々と過ぎ、進展・進捗は何一つなかった。
生き恥製造マシーンと化しておった。

ゆえに私はSEIYUで買った一缶98円のキリッと男前レモンサワーをちびちび飲んでいる。
飲めば楽しい気分になり、げらげら笑える文章がぴろぴろ溢れ出すかと思ったが、現実はヘヴィ級である。

さて。私は今ちょっと嘘をついた。
酒を買ったのは、ちょっとした祝いの席を設けたかったからである。
無論、一人であるが。

私は株をポケモンカードみたいにして生活費を稼いでいたが、それを辞める決意をした。
今まで貯金が減るのをかろうじて防ぐくらいの収入を得ていたが、GW明けからそれなりにしんどい勢いで貯金を減らし、ちょっとこれはアカンとなった。

とりあえず一週間を目途に次の一手を考えようと思う。

ただ、こういうとなんだが、私はちょっと嬉しい。
自分で納得して決断ができたからである。

私は今まで納得して行動したことがほとんどなかった。
「自分には他にできることがないから」「自分を選んでくれるような異性などほとんどいないのだから」という自信の無さや、周りからの「ああしておけ」「こうしておけ」「逃げちゃダメだろ」という一般常識的な言葉に流されて生きてきた。

もっと早く自分の愚かさに気づいていれば、まだまだ取り返しようもあっただろうに。
という想いが全くないと言ったらウソになる。

だが、
どんなにしょうもない人生を歩むとしても、
落ちぶれたまま最期を迎えたとしても、
せめて納得だけはしたいのだ。

今回、私は愚かな敗北をしたが納得をしている。
それが嬉しい。

だから、世間的に惨めであったとしても、私にとってはこれは祝杯なのである。

伝説の勇者と涙の嵐

閑話休題。
楽しい日記を書こう。

私の数少ない娯楽として、ドラゴンクエストがある。
気分転換がてら10年ぶりくらいに手を出したと思うのだが、これがまあ楽しい楽しい。

何も考えず、没入感のある世界を闊歩し、勇者となって悪と戦う。
あたまのおかしい一般市民は登場せず、みんな一本筋の通った良いヤツばかりである。
まあ、お話としては本当に安っぽいのだけれど、これが本当に荒み切っていた私の心には響いた。

将来への不安と己への失望にまみれ、ストレスではきそうな日々の中で、ドラゴンクエストは一筋の光明以外の何物でもなかった。

なかった、のであるが。

念のためネタバレは避けるが、あまりにも悲しい展開を迎えた結果、続きをプレイできなくなってしまった。
私とて長い間フィクションを摂取してきた。だから、こういう伏線とああいう伏線が組み合わされたそういう展開になる、というのはなんとなく察しがついていた。

しかしである。予想通りの展開であったにも関わらず私の心は見事に撃ち抜かれ、ショックで寝込んでしまった。
私は正真正銘の阿呆ではなかろうか。私は何度も自分を笑った。しかし、私は立ち直れなかった。
美しい映像と声優さんの熱演は、ちょっと卑怯である。

かくしてたった一つの日常清涼剤を失い、途方に暮れてしまい、今に至る。
駄目だ、まだ立ちなれん。
神よ、何であんなにも真っすぐな魂の持ち主に、あれほど酷い運命を強いるのか。

というか、実在せぬ魂に対して、私は何でこんなにも感情を揺さぶらればならぬのだろうか。

だが、しかし。しかしである。
私は続きをせねばならぬ。
その冒険の結末を見届けばならぬ。
そんな熱い想いもまた、私の魂の奥底でくすぶっている。

彼等が実在しなかったとしても、私の心の中で彼等は生きている。

そんな魂を描いた、素晴らしい制作者の方々に敬意を表したい。

Vtuber選抜試合

あとは、そうであるな。Vtuberも割と作業をしながら流し見をしていたのであるが、最近は見る顔ぶれがだいぶしぼられてきた。

Vtuberというのは見た目は二次元キャラなのであり、それを三次元の人物がその場その場で機転を利かせてコミュニケーションをとるところに魅力があると理解している。
しかし、段々と中の人の人間っぽさが「生っぽく」感じられるようになってしまった。

無論、その生っぽさは良いことではある。
しかしである、ケーキバイキングに行ってケーキを楽しく食べていたのに、突然目の前に山盛りの生牡蠣・赤貝・ホッキ貝が現れたらどう思うであろうか。
「いや、それも好きだけど、今はそういう気分じゃ……」となるであろう。

そういった意味で、徹頭徹尾「ケーキ」を演じられる方以外はあまり見なくなってしまった。

いや、まあ、それでも十分楽しいのだが。
楽しめる幅が狭くなってしまうのは、どんなときでも寂しいものである。

カスピ海とエジプトイチジク

音楽の話をする。

私はここ数年、Caspianというバンドを世界で一番愛している。
中でもSycamoreという曲が大好きである。

これである。

もしも、死ぬまでたった一つの曲しか聴いてはいけないのだとしたらSycamoreを迷いなく選ぶ。

まあ、先鋭的なサウンドというわけでもなく、特別なオリジナリティがあるわけでもない。
だが、実直で、清冽で、空高く響き渡るような美しさには、何にも代えがたい魅力があると思っている。

精神的に煮詰まっているときに、ぼーっとしながらこの曲を聴いていると、自分は次に何をしたいのか、本当の気持ちが浮かび上がってくるような気がする。

この曲に救われたことは、少なからずある。

だから、例えば。
将来の目標として、Caspianにお礼を言いに行けたら良いな。なんて思ってる。
素晴らしい曲を残してくれてありがとう。おかげで自分は何とかやってこれた。自分は今ではこうやって自分自身に誇りをもって貴方と向かい合うことができるようになった。

なんてな。
でも、それがどんなに独りよがりの自己満足だったとしても、私は感謝している人にはその気持ちをちゃんと伝えたい。

きっと叶わない夢なんだろう。
そんなことは百も承知だ。
でも、夢を見ることくらいは自由だ。

最期に惨めに死ぬ間際まで、私は夢を見ていたい。
果てしなく広がる青空のような、清冽で真っすぐな夢を。

だから、結末がどれほど見るに堪えないものだと分かっていても、納得できるまではやってみるのだ。
たとえ、勇者になれずとも、世界の果てまで突っ走れ。

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