こんにちは。
紀元前文学 第27回はブッダの前世譚ジャータカの『金色鹿』です。
遅くとも北インドで紀元前150年頃に成立していたとされています。

ジャータカとは何なのか? 『金色鹿』に見合った例で考えてみる
一般論的な説明
そもそもジャータカって何?
と感じている方も多いかと思います。
ジャータカの『スジャータ』について語ったこちらの記事でも説明をしていますが、地域に流布していた民話のオチを、「仏教は素晴らしい!」という風にすり替えてしまったお話を指します。
桃太郎が実は仏陀の前世で、鬼が仏教の教えに反することをしている連中で、だから懲らしめてやった……。みたいな感じでしょうか。
難しい教義もなく物語自体も分かりやすいため、仏教を民衆に布教するために役立てられたと考えられています。
というのが王道のお話なのですが……。
例え話:先輩の武勇伝?
「自分は凄い?」
『金色鹿』の場合は、捻った例え話の方が分かりやすいかもしれません。
具体的に言うと<先輩の胡散臭い武勇伝>です。
仕事でもバイトでも部活でも良いのですが、自分の自慢に繋がる武勇伝をやたらとする先輩を思い浮かべてください。
やれ、美人のあいつから告白されたけどフッてやった。生意気な後輩をフルボッコにしてやった。正社員になんねえかと誘われたけどこんなブラックなところで働くのはまっぴらだから断った。
とか、何とか。
色々なパターンがありますが、全てが<俺は凄い>と主張する構成になっています。
(本当かよ)なんて思いつつ「へー、そうなんすねー」と相槌を打った経験がある人も少なくないかも入れません。
テレビの話:剽窃詩人?
そんなある日、先輩が「コンビニで店員の女性大生にいちゃもんをつけてるリーマンがいたから追い払ってやったら、その娘と付き合うことになった」と言い出しました。
何とも先輩に都合の良いお話です。
それを聞いた貴方はさすがに苦笑いをしてしまいます。
何故なら、その話、昨日『スカッと●●パン』で見たからです。
ただし、話の骨組みは一緒ですが『スカッとジャ●●』と違い、話の主題は<先輩は凄い>というテーマに置き換えられています。
きっと先輩は昨日の 『スカッとジャ●●』 を見て、そのお話を気に入ってパクることにしたのでしょう。
後の時代の弟子『ブッダはすげえ』
そして、<先輩は凄い>が<仏様は凄い>に変わったのがジャータカなのです。
小難しい教義の話をしても民衆の興味を引くことはできません。
「コンビニの店員に嫌がらせすることは●●法第2条第3項や〇〇条例第●条に違反し、通常であればまず警察に相談し……」みたいな話よりも、起承転結のある物語なら民衆も楽しんで聞くことができます。
<可憐な女子大生を困らせる汚いリーマンを、通りすがりのイケメンがぎゃふんと言わせる>なんて構図は、まさに勧善懲悪。
水戸黄門の世界観です、多くの人が心動かされるでしょう。
そして、民衆の間では流布していた民話は、当然民衆に人気のありました。
布教をしたい仏教側としても不況のために民話を利用しようと考えるのも自然でしょう。
なので、話の骨組みはそのままに主題だけを片っ端から<仏様は凄い>に置き換えた話を作りました。
それがジャータカです。
『黄金鹿』のあらすじ
では、『黄金鹿』のあらすじを見てみましょう。
主な登場人物
- 釈尊(ブッダ)=黄金鹿 仏様。前世では黄金に輝く毛並みを持つ鹿。
- デーヴァダッタ= マハーナダカ ブッダの弟子。ブッダの方針にいちゃもんをつけ、のちに独立。前世では、まともな教育を受けないまま大きくなったボンボン。
- アーナンダ=ブラフマッダ王 ブッダの十大弟子の一人。ブッダの付き人。本作では彼の前世であるベナレスの王であった時の出来事しか語られない。
1.現世編
ある修行僧がデーヴァダッタに対して「君はブッダの導きで出家し、教団の中でも尊敬される立場となりましたね」と言いました。
するとデーヴァダッタは「そんなことはない。自分の意思で出家し、自分の力で人から尊敬されている」と突っぱねました。
修行僧たちが別の場所でデーヴァダッタの発言について話をしているとブッダがやってきました。
そして「お前たち、何の話をしているのだ?」と尋ねます。
弟子たちはデーヴァダッタの言動について語りました。
するとブッダは言いました。
「デーヴァダッタが恩知らずなのは今に始まったことではない。過去世(前世)においても恩知らずな人物だったのだ」
そして、ブッダは前世の物語を語り始めます……。
2.過去世編
マハーナダカの入水
前世においてデーヴァダッタはベナレスのブラフマッダ王の治世に、大金持ちの息子マハーナダカとして生まれました。
勉強や人の道などを教えられることもなかったため、マハーナダカは歌って踊る以外には何もできない人間へと成長しました。
そして、両親が亡くなったのにも関わらず遊びまわったせいで、ついには貯金が底をつきます。
自殺をしようとガンジス川に飛び込んでも息が苦しくて顔を水面に出してしまいました。
そして、マハーナダカは助けを求める声をあげながら川に流されていきました。
黄金鹿との出会い
一方のブッダはガンジス川沿いのマンゴー林に暮らす鹿としての前世を生きていました。その毛並みは美しく黄金に輝いていました。
そんな金色鹿のもとへマハーナダカが流されてきます。
金色鹿は助ける義理もないはずのマハーナダカを助け、彼の体調が良くなるまで自分たちの住処に住まわせます。
さらにはベナレスまで背中に乗せて連れて帰ってやることにします。
ただし、黄金鹿は一つだけマハーナダカに頼みごとをしました。
それは黄金鹿が住んでいる場所を誰にも言わないこと。
マハーナダカは「分かりました」と即答し、そのまま黄金鹿の背中に匂って故郷へと帰りつきました。
王妃の夢
そのころ、王宮ではちょっとした事件が起きます。
なんと王妃が黄金鹿から説法を受ける夢を見たのです。
ブラフマッダ王は黄金鹿の居場所を知らせた者には千金入りの箱を授けるというお触れを出しました。
マハーナダカは驚くほどあっさりと王に居場所を告げます。
ブラフマッダ王の指揮する軍に住処であるマンゴー林を取り囲まれた金色鹿は、王のもとへと向かいます。
そして、ブラフマッダ王に誰が自分の居場所を告げたのか尋ねます。ブラフマッダ王はマハーナダカであると答えます。
金色鹿はマハーナダカの裏切りを責め、真実を知ったブラフマッダ王もまたマハーナダカに怒りを覚えます。
金色鹿は人間への不信感をあらわにした詩を朗々と謡いますが、ブラフマッダ王が<すべての動物を殺してはならない>というお触れを国中に出すと約束したことで、その場は丸く収まりました。
金色鹿は説法をしたあと、マンゴー林の奥へと帰っていきました。
金色鹿の偉大さ
その後、人間たちから危害を加えられなくなったことで鹿たちが作物を食い荒らすようになりました。
困った民衆が王に訴えかけますが、ブラフマッダ王は鹿を殺すことを許可しませんでした。
その事実を知った金色鹿は鹿たちに対して「人間が作った食べ物を食べてはならない」と命じました。
その後、鹿たちが畑を荒らすことはなくなりました。
現世編(結び)
ブッダは金色鹿が自分であり、ブラフマッダ王がアーナンダであり、マハーナダカがデーヴァダッタだったと明かします。
そして、物語は終わります。
『金色鹿』の魅力 人間臭さ溢れるジャータカの異色作
『金色鹿』の魅力は、無味無臭の宗教作ではなく味のある人間っぽさが非常に強く出ている点にあると思います。
下記の2点の切り口から見てみましょう。
- 作中の名言
- デーヴァデッタの存在から
名言
「大王よ。人間とは口で言うことと行動とが違うものです。」
松本照敬訳「金色鹿」『ジャータカ』,角川ソフィア文庫,P44
黄金鹿がブラフマッダ王に対して告げる一言です。
マハーナダカの嘘を非難しながら、その実、彼の振舞いを通して人間全般を非難しています。
続いて金色鹿が歌う詩でも、人間への不信感が見事に表現されています。
嫌われものの 山犬や
死肉を喰らう ハゲタカの
鳴き声よりも 人間の
言葉を知るのは 難しい
松本照敬訳「金色鹿」『ジャータカ』,角川ソフィア文庫,P44 ~P45
鹿から言わせることによって、人間の愚かさを際立たせています。
ジャータカに取り込まれてブッダの話にされる前、『金色鹿』は人間の醜さを鹿に非難するようなお話だったのかもしれません。
反旗を翻した弟子の悪口?
仏教に取り込まれた説話ジャータカとしての『金色鹿』の主題は、ブッダの偉大さと弟子であったデーヴァダッタ の矮小さを主張することです。
そして、デーヴァダッタが主題に入ってくるところに本作の面白さがあるように思います。
このデーヴァダッタ、生前には傲慢な態度をとっており、ブッダにもあれやこれやと提案をしていたようです。
ブッダの教団において感じの悪い人物と思われていたのでしょう。
デーヴァダッタは最終的にはブッダと袂を分かちました。
しかし、彼の宗教的指導者の能力もまた有能であったようです。デーヴァダッタの教団は5世紀になってもまだ存在していたことが中国僧の記録に残されています。
きっと、生意気でで仕事の出来る弟子だったのででしょう。
目の上のたん瘤ですね。
『金色鹿』が成立した紀元前のころであればその存在感は小さくなく、当時の教団にとって、彼の存在感で仕方がなかったことでしょう。
そんな感情がこの物語には投影されているのかもしれません。
デーヴァダッタをほめたたえ、ブッダを非難するような説話が当時は存在していたのかも……。
なんて考えるのも楽しいですね。
ボスの武勇伝?
分かりやすいシンプルなお話を流用して、デーヴァダッタをこき下ろし、ブッダを持ち上げた、という側面もあるように思います。
「俺たちのボスやまじすげえし、あいつらはクソ」と自慢する先輩の話みたいですね。
そう思うと人間臭い、生々しい、だからこそ魅力が『金色鹿』にある気がします。
それでは。
コメントを残す