L’altraはスロウコアか?音楽への眼差しとジャンルの脱構築。~全アルバムについて語りつつ~

こんにちは。

L’altraは1999年にシカゴで結成されたインディーズロックバンドです。

中心人物である Lindsay Andersonと Joseph Desler Costa が織りなす繊細な男女混成ボーカルや美しく物憂げな空気感を特徴としています。

2020年8月現在、彼等は4作のフルアルバムをリリースしています。

L’altraとスロウコアというジャンル

L’altraは日本語圏において『スロウコア/サッドコアの代表格 』『 2000年代のポスト・ロック/スロウコア・ムーヴメントを牽引 』といった言葉で形容されることが多く、いわゆるSlow Core/Sad Core(スロウコア/サッドコア)に分類されることが多いようです。

私自身、ほぼ当然のようにL’altraをSlow Core/Sad Core(スロウコア/サッドコア) にカテゴライズしていました。

だからこそ、なんとなく英語版のウィキペディアを見たときに私は少し驚きました(2020年8月)。
なぜならジャンルの欄にIndie Rock、Electric Music、Chamber Popと書かれていたからです。
Slow CoreやSad Coreの名前は、ありませんでした。

その一方で、Red House Painters、Low、CodeineといったSlow Core/Sad Core(スロウコア/サッドコア)の始祖とも言えるバンドのジャンル欄にはSlow Coreの文字がありました。

Slow Coreについてまとめた英語圏の記事をいくつか見ても( http://drownedinsound.com/in_depth/4152207-the-beginners-guide-to–slowcore )( https://daily.bandcamp.com/lists/slowcore-a-brief-timeline )L’altraの名前は見当たりませんでした。

つまり、英語圏においてはL’altraをSlow Core/Sad Core(スロウコア/サッドコア)をカテゴライズする考え方は、日本ほど一般的ではないということになります。

この差は一体何に起因するのでしょうか。

そんなことも頭の隅で考えながら、現在リリースされているL’altraの全アルバムを聴いてみましょう。

L’altraのアルバムについて  『スロウコア/サッドコアの代表格 』 の真の姿とは

これから全てのアルバムについて触れていくことになります。

しかし、文字だけでは分かりにくいと思い、相関図を作成してみました。

それではアルバムごとに見てきましょう。

(1st)Music of a Sinking Occasion

Lindsayと Josephに加えてリリースレーベルのオーナーBenとポストロックバンドDel Reyにも所属するEbenの4人体制で制作されたデビューアルバムが、本作Music of a Sinking Occasionです。

物憂い感傷、静謐な気品、低めの温度感が本作の特徴でしょう。
霧深い針葉樹の森のような、あるいはその果てにひっそりたたずむ城のような、ひんやりとしつつも瀟洒な空気が佇んでいます。

沈み込むようなメロディを囁く男女混成ボーカル、
ゆったりとした情感を紡ぐエレクトリックギター、
静かな風のように吹き抜けていく管楽器、ピアノ、ローズピアノ、
木霊のように広がり消えていくベース、
じわじわと響くシンバル、優しげに溶けていくスネアやバスドラ。
内省的な世界を丁寧に紡ぎあげていくように各楽曲は静かに始まり、静かに終わっています。

また、各楽器の音色の一粒一粒が目立つように響いているのも特徴で、解像度の高いヴィヴィッドな響きへのこだわりを感じられます。
ただし、ドロドロしたマニアックさはなく楽曲としての風通し自体は良いのも魅力的です。

遠くまで景色が見えるような、さらっとした感覚とも言い換えられるかもでしょう。
ざらついた質感はあまり感じられません。

憂鬱で、音の響きが澄んでいて、風通しが良く、見晴らしも良い。
そして、それら全てを覆いつくす気品。

内省的な苦悩を美しく描き出した、素晴らしいアルバムです。

(2nd)In The Afternoon

前作と同じメンバー体制で制作された本作In The Afternoonは、凛然としつつも仄かな温もりを感じさせるサウンドになっています。

もちろん、物憂い雰囲気は変わりません。
ただ、冷水のような清澄さというよりも、人間的なメランコリーが魅力の中心を担っています。

より生っぽい質感になった、とも言えるかもしれません。

音もなく進むように旋律を紡ぐ男女混成ボーカル、
物憂いアルペジオを淡々と紡ぐエレクトリックギター、
繊細な感情の揺れを表現する管楽器や鍵盤楽器、
ゆったりとしたビートを刻むベースとドラムス。
Slow Core/Sad Core(スロウコア/サッドコア)的な要素はやや弱まり、インディーロック的な起伏が僅かに生じています。

ただ、ローファイなざらつきはなく、ヨーロピアンな気品が感じられます。
アルバム全体として、調和が取れているのも特徴でしょう。

内省的でありながら優雅であり、民俗的なフォークさがありながら貴族的な室内学性もある。
そんな複雑な要素が絡み合いながらも、統一の取れた物語性を感じさせるのも本作の魅力です。

エレガントかつ静謐でありながらも胸を打つ起承転結が刻まれているアルバムです。

(3rd)Different Days

BenとEbenが脱退し、2人体制になって制作されたのが本作Different Daysです。

同郷Telefon Tel AvivのJoshua Eustisと共に制作されたせいか、柔らかな電子音が多く導入されてエレクトロニカ的な響きを感じさせる作品になりました。

もちろん、 L’altraの軸であるダークブルーなメランコリーとエレンガントな静けさは変わりありません。
しかし、エレクトロニカ的要素が強まったことにより陶酔的な甘美さが、新たな魅力として付け加えられています。

過去作よりも印象的な旋律を重ね合う男女混成ボーカル、
メランコリックで静謐な音色をそっと注ぎこむ鍵盤楽器/エレクトロニクス、
叙情的なコードやアルペジオを響かせるアコースティック/エレクトリックギター、
生音と打ち込みを使い分け、なだらかに聴き手を引き込むリズムセクション。
1stの音響的な美しさと2ndの均整の取れた調和、その両方の魅力に目配りしつつも白昼夢的な心地よさを揺蕩わせています。

また、アルバム全体で見たとき、ひそやかな箇所で盛り上がる箇所の起伏が一番はっきりしているのも本作でしょう。
カタルシスへと達する際の気品に満ちながらも力強い響きは、深い叙情と逞しさを湛えています。

もの悲しく憂鬱でありながら、祝福のような眩さも併せ持つ。
個人的には、L’altraで一番美しいアルバムだと思っています。

(4th)Telepathic

ニューヨークに拠点を移したJosephとシカゴに残ったLindsayによって制作されたのが4thアルバムにあたるTelepathicです。

繊細な物憂さはそのままに、息をひそめるような静謐さからは距離を置いた作品です。

再び生楽器を主体にして様々な楽器を用いて多様な色彩を導入しているのが印象的と言えるでしょう。
カラフルなサウンドを形成しつつ、過去作よりもビートも強めに出ています。
その一方で育ちのよさそうな華奢な内省性や繊細な空気感は変わらず健在です。

アンニュイな旋律を囁く男女混成ボーカル、
軽やかなエレクトリック/アコースティックギター、
ピアノ、オルガン、ストリングス、管楽器といった楽器が醸し出す叙情性、
ドラムスやベースが生み出す線が細くも堅実なビート感。
全体的に緩急がしっかりつくようになり、楽曲として完成度は高くまとまっています。

ヨーロピアンな瀟洒さやエレガントさの奥にうごめく童話的な叙情性も魅惑的ですが、重たくなりすぎることはなくこざっぱりとした印象があります。

カラフルでありながら洗練されている、とも言い換えることができるでしょう。
同じく、エモーショナルでありながらスタイリッシュとも。


一番垢抜けたアルバムだと個人的には思います。

ジャンルとは一体何なのか? L’altraを一例に考察してみる。

(最初に。ここからの文章は私の主観を展開させたものにすぎません。
続く文字列が気に入らないという方は(そんな人いるのかな)、見なかったことにするのが一番ストレスが少ないかと存じます)

Slow Core/Sad CoreとChambar Pop

ここまでL’altraのアルバムを1stから4thまで聴いてきて、2点の特徴が全てのアルバムに通底しているように感じました。

  1. 物憂さ
  2. エレガンス

そして、日本語圏では主に(1)の物憂さを重視して(それが一番分かりやすくて売りやすかったので)Slow Core/Sad Core(スロウコア/サッドコア)というタグを付してきたのでしょう。

では、英語圏ではなぜ Slow Core/Sad Core(スロウコア/サッドコア)タグが重要視されなかったのかというのと、おそらくは(2)のエレガントさがL’altraの音楽を分類する際に重要視されたからでしょう。


ウィキペディアにおいてRed House Painters,Low,Codeineといったバンドになくて、L’altraに付されていた項目としてChamber Popがありました。

Chamber Pop は日本ではあまり馴染みのないジャンル=音楽に付されるタグと言えるでしょう。
90年代初頭のファズサウンドへのカウンターとして登場したピアノや管楽器を導入したエレガントなロックサウンド、というのがざっくりとした理解かと思います。(Chamber Popも非常に多義的なジャンルであるようですが)



少し聴いてみましょう。

たしかにこの響き、スロウコアの大御所勢にはなくL’altraのサウンドには一貫として感じられます。

そして、Chamber Popというジャンル、L’altraのbandcampも付されていたタグなのです。
そして、そこにはSlow Core/Sad Core(スロウコア/サッドコア)というタグはありませんでした。

つまり、L’altra自身の自己認識としては、「自分たちの音楽はChamber Pop」という考えている可能性が高いということになります。

Slow Core/Sad Coreの位相

ズレるスロウコア

日本語圏で連想されるSlow Core/Sad Coreのサウンドと英語圏で連想されるSlow Core/Sad Coreサウンドにはズレがあるようです。

というか、日本語圏のSlow Core/Sad Coreと英語圏のそれは、もう別物になっているのです。
同じであったら、同じバンドを違うカテゴライズにするわけがないはずです。

ただ、これは仕方のないことなのかなと思います。
ジャンルは皆が共通したイメージを持つことによって、はじめて機能するものです。
グランジといったらあんな音、パンクといったらこんな音。
そんな共同幻想を脳内にダウンロードすることによって、音楽を頭の中の図書館に整理していくことができます。

見えないスロウコア

その一方、ジャンルは目で見ることができません。
つまりグランジといったらあんな音、パンクといったらこんな音。
といった自分のイメージが、みんなと同じものか確認をする術はないのです。


Slow Core/Sad Coreと呼ばれる概念を知り、その概念に当てはまる音がどんなものかが自分の中で確立してしまうと、再定義する機会はなくなってしまうでしょう。
ましてや、思考体系が異なるだけでなく接することの少ない異文化圏で構築されたジャンルであればなおさらです。

英語圏でイメージされるジャンルは、結局のところそれ以外の文化圏の人々のそれとは大きくズレてきます。

Slow Core/Sad Coreという言葉から同じイメージをダウンロードしているつもりでは、実は決定的に何かが違うものを頭に入れているのです。

多文化圏の人間が正確になぞっているつもりでも、きっとそれはジャンルのイメージを切り貼りして移植しているだけにすぎないのでしょう。

結局のところ、私たちのイメージするSlow Core/Sad Coreは「本物の」 Slow Core/Sad Coreからは果てしなく遠いところにあるのです。

文化の移植は悪いことではない。見下すことではない。

文化人?の可視化

ただ、イメージを正確に移植できないのは悪いことではありません。

欧米の文化イメージを全く違う土壌の日本文化に移植した結果、本場とは似ているようで全く違う違うものができた。
それが今の日本のポップカルチャーのはずです。
むろん、良くない面も雨後の筍のごとく生じましたが、唯一無二の良い面も生まれています。

「欧米のカルチャーは本来こういうもので、日本人はそれを正確に理解しておらず……」と自分は他者を理解できていると思い込み、そうではない(はずの)日本人を見下すような言説の方が問題を大いに含んでいます。

他文化間はもちろんのこと同文化間でもジャンルというイメージは、目で見ることができないことはかわりません。
英語圏においても全く共通のSlow Core/Sad Coreイメージが存在するわけではないでしょう。

(特にSlow Core/Sad Coreにはグランジやパンクのようなバンドが登場人物化する物語性があるわけではありません)

概念の進化へ

イデアのような唯一無二のイメージがない以上、移植のされ方に安易に優劣をつけるべきではありません。

自分の中に違う誰かの概念を取り込むときは、(それが異文化のものであれ近しいものであれ)自分の他者理解に良くないエラーを起こす。
ということは頭の片隅に入れておくべきですし、「間違った」理解をした結果、「良い何か」を生み出す可能性もあるはずです。

進化には偶発性というリスクが必要不可欠です。

現状に何か苦言を呈すのであれば、ありもしない「本物」と比すような手法は効率的ではありません。

ジャンルは単純化にすぎない

ジャンルでは言い表せない豊潤な響き

ジャンル分けとはカテゴライズであり、その音楽が豊富に含んでいる要素を単純化するものにすぎません。

Chambar PopとSlow Core/Sad Coreというタグは、L’altraの豊富な音楽性を切り捨てています。

メンバーが影響を公言していたシカゴ音響派/ポストロックの影響、電子音楽への嗜好、その他数多溢れるインディーロックからの影響を消化した繊細ながらも複雑な色味もChamber PopとSlow Core/Sad Coreという言葉からは感じとれないでしょう。

そして、頭の中に一度巣くったジャンルという概念は、どんな音楽を聴く際にも単純化の作用を引き起こします。

ただ、ジャンルも悪い側面しか存在しないわけではありません。
何かについて語るとき、単純化は避けては通れません。

犬という種について語るとき、「パグ」「柴犬」「コーギー」といった犬種を認識しなければ個々一匹一匹ずつについてしか語れず、統計的な特徴について考えることができません。

秩序としてのジャンル

それから。
図書館に行ったとき、本が無秩序に並び、床にさえ散らばっているのを想像してみてください。
読みたい一冊を探し出すのは困難を極めるはずです。


もちろん本の側としては不本意な分類になることもあるでしょうが、マッチングを容易にするという意味では不可欠な要素です。
そして、本を探す利用者としても「あそこに行けば好きな本がたくさんある」という場所があるのは、日々の楽しみに繋がります。

他者を単純化して理解し、その結果として相互に生きづらい状況を作っているという現代社会の縮図という側面がある気がしないでもないですが、現状においてはジャンル分けは最適解であるように思います。

まとめ L’altraはスロウコアか?

長くなってしまいました。

最初に設定した問題「L’altraのジャンルに英語圏と日本語圏に差があるのは何故か」については、

  1. 日本ではChamber Popというカテゴリーがメジャーではない
  2. スロウコアというジャンルへの認識がそもそも違う

といった回答を出せるでしょう。

また、そもそもジャンルには絶対唯一の基準というものが存在しないので、L’altraはSlow Core/Sad Coreでもあるし、そうでもないとも言えます。

そして、明らかに異質で何かが間違っている状況にならない限りは、そんな曖昧なままで状況のままにしておくのが良いと思います。

収まりは悪いですが、無理やり収まりを良くしようとする思考こそ、人間の醜さそのものと言えるでしょう。

バンドのジャンル一つを取り上げても他者理解の難しさが浮かび上がりますという話になってしまいました。



それでは。

主要参考サイト

https://www.treblezine.com/31905-10-best-chamber-pop-albums/ https://www.cinra.net/news/2008/10/27/204604.php http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/58239/2 https://ototoy.jp/feature/20100921 https://laltra.bandcamp.com/ http://www.indieville.com/articles/laltra.htm

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