Lとの対話。思いつきの断片。フィートバックする感情の余韻。

俺が完全にブレイクダウンした後、たくさんの人が周りから去っていった。
そりゃそうだ。人間関係は、本質的には利害関係の一致。
ぶっ飛んでしまった人間に提供できるものなんて何もない。
だから、彼等を責めるつもりなんて毛頭ない。
「立場が逆だったら?」なんて考えだして、そのまま深く考えてしまうことはあるけれど。

ただ、本当に僅かだけど新しく友達になってくれるやつもいた。
そのうちの一人がLだ。
Lとは、僕と同じようなやつが集まる会合みたいなところ出会った。
俺と違って誰とでも器用に仲良くなれる、好青年だった。

俺は口下手なので、なんとなく自分が好きな歴史の事とかを話した。
なぜかLは俺のことを気に入ってくれて、会合が終わった後も二人でマクドナルドで話し続けた。

Lの頭脳は明晰としか言いようがなかった。俺の言葉足らずな発言の意図をきちんと汲んでくれるし、発想力も豊かだ。日本トップの大学を出ている。おまけにTOEICは満点。

正直なところ、格上だと思った。(これも随分浅はかな人の見方だ)
さらに言えば、これは今にして思えば失礼な心象だとおもうのだけれども、あいつの何が社会に適合していないのか分からなかった。
普通じゃん。そう思った。

だけど、あいつも俺の何が社会に適合していないのか分からないのだそうだ。
普通じゃん。そう思ったのだそうだ。

きっと、俺とあいつだからこそ成り立つ関係なのだろう。
第三者が俺たちの会話を見たら、たいそう奇妙なのかもしれない。

それから。
自意識過剰的にそんな第三者の視点を仮定するところが俺の良くないところの一つだ。

必要のないところでブレーキをかけてしまう。
だけど、それはきっと必要なところでブレーキをかけるために、俺が死なずに済むために必要なスキルとして、身に着けたものでもある。

だけど、時代は変わった。いや、俺を取り囲む環境が変わった。
死を覚悟でそのスキルを捨て去らないと、俺は死んでしまうかもしれない。
まて。少し冷静に考えろ。時代は変わっていないかもしれない。
そのスキルに頼らないと俺は死んでしまうのかもしれない。

答えは永遠に出ない。

Lとは二、三か月に一回、いつも同じベトナム料理店でランチをしては笑顔で去っていく。
(最近は会っていない、念のため)

答えを出すという作業は、心のうちに向き合っていく作業だと思うのだ。
無意識のうちに常識だと思い込んでる感覚とか、そういう潜在化しているものを顕在化させる。

気付かないうちに心に巻き付いていた鎖とか、打ち込まれていた寂びた杭とか、そういうものを解き放てれば。今まで見落としていたものに見えるかもしれない。
ただ、仮にそんなことができたところで、俺の何かが大きく変わるとは思えないけど。

ちなみに、これは仕事で主催した公演会で聞いた話。

スケールの大きい規模で人を動かす経営者のような人たちには効果的かもしれないけれど、結局僕にとっての問題は今のところ僕だけだ。僕の内面の変化して、変化するのも僕だけだ。
結局、僕は何も変わらず、僕の世界もまた何も変わらない気がする。


義憤にかられ、感情のままに叫び、正義を執行することは、まあ、だいたいの場合は正しいことだ。それは歴史が証明している。
ただ、それと同じくらいに致命的な過ちでもある。それもまた、歴史が証明している。

新しい歴史を切り開くために必要なのは、あらゆる矛盾を受け入れ、胸を貫く槍の痛みに耐えながら悩み苦しみ考え抜き、それでも前に進んでいくことではないだろうか。

気持ちよくはないだろう。後悔だって絶対に残るだろう。だけど、その葛藤を次世代に繋いでいく。いつの日か、扉を開けるはずだ。

そして、これ、俺の人生にも応用できる考え方だと思うのだ。上手くは言えない。何か、簡単に割り切れないような感情や状況をきちんと飲み込んで、それでも選択をすること。しかも、きちんと前を目指して一歩を踏み出すこと。とにかく割り切ろうとしてはいけないのだ。たぶん。

腹が減った。空腹の中で、僕は色々と自分の過去を振り返る。色々考えていく。だんだんと頭も冴えてくる。会社が自分にし続けたことは許せない。運が致命的に悪かったことにも腹が立つ。だが、自分の良くなかった面もまた以前よりクリアーに見えてくる。

そのよくなかった面を抱えたまま、もう一度あの場所に戻って、それが一体何になるのだろう。

イライラする。こういうときは何かもに悲嘆的な気分になるし、全てが不愉快になる。


突き詰めれば突き詰めれば、本当にやりたいことなんてない。そんなことは分かってる。
ゲームオーバーだ。
だけど、その先を見出さなくてはならない。
見出さなければ、本当にゲームオーバーだ。

人生をかけてまでやりたいことはない。
チャレンジしてみたいことはないわけじゃないけど、それで未来が開けるわけじゃない。

もう正直言って、何が何だか分からなくなってしまった。
ただ一つだけ確かなことがある。
俺は死ぬとき、何か一つでも自分を誇れるものを胸に抱いていたい。


これは持病のせいでもあるんだろうけど(それに全てを押し付けて自分を正当化するつもりはない)、自分の感情に一貫性を持てない。会いたいと思っていた人に会いたいと思えなくなったり、じぶんのなかのああしたいこうしたいという感情や変幻自在に姿を変える。やりたいと思っていたことがやりたくなくなったり、しかもそいつがやたらに大きな感情の上下を伴う。

感情が変にぶれてしまうとフィートバックノイズのように高ぶって、延々静まらないときがある。
そんななかでも僕は冷静で、自分が往くべき道を探し続けている。コンパスを片手に、雷鳴轟く夜の大海原を見つめる。

右手のコンパスがグルグルしてる。グルグル。

目が回る。

気持ちが悪い。

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