古墳紀行(群馬県高崎市:山上古墳編)

こんにちは。

古墳紀行、第2回は群馬県高崎市にある山上古墳です。
(訪れたのは2019年です)


天神山古墳や女体山古墳など、群馬県には直径100mを超える古墳が数多く残されています。
一方、山上古墳はこじんまりとした直径10m程度のこじんまりとした古墳です。

しかし、あえて足を運んだのには理由があります。
可愛らしい古墳の形状もさることながら、日本最古級の石碑が傍に立っているからです。

古事記や日本書紀よりも前に刻まれた、貴重な日本語の文字。
なんだかワクワクしませんか。

では、見てみましょう。

山上古墳について

山上古墳本体

まずは入り口を。

そこそこしんどい階段を上り続けると、ようやく古墳とご対面できました。
こちらです。

キュートな円墳です。
古墳の常ではありますが特に観光客がいるわけでもなく、ピラミッドのような威風を放っているわけでもなく、普通の丘のように自然と風景になじんでいます。

後ろから撮ってみました。1000年以上も前に積まれた石の姿は、目にすることはできません。

こちらの立て札によれば、飛鳥時代に建立されたとのこと。

さらに石碑の話が出てきましたね。

では、さっそく見てみましょう。

石碑

石碑保護のため、建屋に覆われていました。

そんなことより文字です。
古事記よりも日本書紀よりも前の文字。人の意思が込められたモノ。
とても古い、人の想い。
なんとも胸が躍ります。

でも、読めないです。

こんな風に書かれているそうなのですが、自分には読めないです。

さきほど貼った立て札によれば、元々佐野三家というヤマト政権の経営拠点に連なる人々のために建立された古墳とに、縁者である黒売刀自(くろめとじ)さんが681年に追葬されたと考えられているようです。

また、高崎市のホームページによれば、
「放光寺の僧である長利が、亡き母の黒売刀自を供養するとともに、母と自分の系譜を記して顕彰したものです」
とのこと。

同じく高崎市のホームページによれば、現代語訳は下記のようです。

辛巳年10月3日に記す。佐野三家(さののみやけ)をお定めになった健守命(たけもりのみこと)の子孫の黒売刀自(くろめとじ)。これが、新川臣(にっかわのおみ)の子の斯多々弥足尼(したたみのすくね)の子孫である大児臣(おおごのおみ)に嫁いで生まれた子である長利僧(ちょうりのほうし)が、母の為に記し定めた文である。放光寺の僧。

https://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013121600132/

(ルート1)佐野三家を定めた健守命→(子孫)→黒売刀自
(ルート2)新川臣→(子)→斯多々弥足尼→(子孫)→大児臣+(黒売刀自が嫁ぐ)→長利僧

長々と続く系譜、古代や文化人類学の匂いがぷんぷんします。

現代人の感覚であれば人柄や思い出などを記しそうなものです。
しかし、一般論として古代人にとってはその人がどんな出自であるかを示すことがその人の名誉にとって、とても重要なことでした。

長利さんは長利さんの倫理観に合わせて、彼の思考パターンにのっとって、母への愛情を表現したのでしょう。

行き方:古墳紀行(群馬県高崎市:山上古墳編)

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