古代メソポタミア全史/小林登志子。複雑に入り組んだ文明の歴史を、明解に語る良書。

こんにちは。

『古代メソポタミア全史』は、人類最古の文明発祥地の一つでもあるメソポタミア(現在のイラク周辺)のおよそ4000年にも及ぶ興亡をまとめている書籍です。

内容が面白かったので、個人的に良かったなと点をまとめてみました。

メソポタミアの全体的な歴史の流れを理解したい方におすすめです。

まず初めに:古代メソポタミア史を学ぶ上での難しい点

古代メソポタミアは現在のイラクのあたりに、紀元前3500年頃に勃興した文明です。

しかし、その実、様々な王朝・民族が入れ代わり立ち代わり登場しては泡沫のようにしていきます。

シュメール、アッカド、メディアにペルシャ。
ヒッタイト、イシン・ラルサ、アッシリア、ウル第三王朝等々。

4000年の歴史の中で目まぐるしく、支配者が入れ代わります。
当然同じ時代でも地域ごとに複数の国が林立することもあります。
体系的に(そして、地域ごとに)時系列を理解するのは難しいと言えます。


メソポタミアと同じ時期に誕生したエジプト文明がその多くの時代をエジプト人たちが支配していたことを考えると、その差は歴然です。

どんな時代に、
どんな王朝があって、
どんな社会だったのか、
どんな出来事があったのか。

複雑に姿かたちを変えていく4000年の潮流を理解することを、『古代メソポタミア全史』は助けてくれます。

『古代メソポタミア全史』の良いところ1:難しい部分をほどいて分かりやすく見せてくれる

具体的にはどんな点が分かりやすいのか。

それはメソポタミアの歴史を

  1. 時代ごと
  2. 地域ごと

に分けて叙述していることです。

まずは、時代ごと……その潮目が変わるタイミングで章立てをしています。

  • (序章)メソポタミアの地理の説明
  • (1章)シュメル人とアッカド人が支配していた時代(紀元前3500年~前2004年)
  • (2章)シャムシ・アダド王(北部)とハンムラビ王(南部)の時代(前2000紀前半)
  • (3章)バニロニアとアッシリアの対決(前2000紀後半)
  • (4章)新バニロニア・新アッシリアの興亡(前1000年~前539年)
  • (終章)アケメネス朝ペルシアからイスラムによる支配まで(前539~後651年)

上手に切り分けているように思います。
時代が変わることによって社会が変わる様子を見て取ることができます。


シュメール人が主役だった時代からアッカド人の時代へ、
さらにシリア砂漠から侵入してきたアモリ人が主役となる前2000年紀前半へ、
続けてエジプトやインド・ヨーロッパ語族のヒッタイトとの交流も盛んになる後半へ……。
という具合に。

そして、最も重要な点は、この時代区分のなかで地域ごとに……支配者の動きや文化的な差異があるメソポタミアの北部と南部を別々にまとめて論じていることです。

これが本当に素晴らしいです。
別々に動き、並び立ち、時に統一される北部と南部を切り分けて描写してくれるので、どんな動きをしているのかをクリアに理解することができます。

さらに南部と北部がどのように影響を及ぼし合っているのか、そんなダイナミクスもよく分かりやすく飲み込むことができるのです。

例えば……、
メソポタミア南部で先に文明が発達したせいか文化的には、南部のほうが優れていることが多かったのです。
そのため、北部が軍事的に南部を支配をしたとしても文化的には北部が南部の影響を受けたりすることも多かったりします。

メソポタミアとその周辺地域は時に争い、時に交流しながら徐々に(良くも悪くも)古代的な文明から帝国的な文明を築き上げていきます。

『古代メソポタミア全史』では、その過程も分かりやすく把握できます。

『古代メソポタミア全史』の良いところ2:魅力的なキーワードが登場。

有名なワードが数多く登場するのも魅力的な点でしょう。

人類最古の英雄譚『ギルガメシュ叙事詩』、
ハンムラビ法典、
バビロン捕囚、
女帝セミラミスの伝説、
バビロンの空中庭園、
アシュル・バニパルの大図書館。

などなど歴史やファンタジーが好きな方なら心ときめかすような次から次へと出てきます。

『古代メソポタミア全史』の良いところ3:人間らしいやりとりが残されていること

4000年前の優秀だけどナルシストな王様

人類最古の文明というメソポタミアの立ち位置から重々しい雰囲気を想像してしまうかもしれませんが、なかなか愉快なやりとりも残されています。

例えば、紀元前二十一世紀ウル第三王朝のシュルギ王は四十八年の長きに渡って君臨した有能な王でした。

当時の王としては珍しく読み書きができるというインテリでありながら、力強い為政者でもありました。領土内の街道を整備し、幾度となく遠征をおこなって外敵の力を弱め、さらには自らを神格化さえしています。

シュルギ王は厳格な人物だったのかもしれません。外敵から国土を守るために外壁を築くことを命じた部下が周辺異民族の動きに弱腰になっているのに対して、「寝ずに作業しろ」と一喝した記録が残っています。

その一方といってはなんですが、たぶん、自信の裏返しなのでしょうね。自画自賛をするような内容の「王賛歌」を数多く残しているそうです。

3500年前の王様、ガチの嫁取り大作戦

また、紀元前十四世紀にバビロニアのカッシート朝カダシュマン・エンリル1世がエジプトに送った手紙も印象的です。

まず、カダシュマン・エンリル1世は以前にカッシートからエジプトへ王女が嫁いだのを引き合いに出し、エジプトからもカッシートに王女を嫁がせてほしいと要求します。
しかし、エジプトは「昔からエジプトの娘は(外国の)誰にも与えない」と突っぱねます。


これに対してのカッシートは回答がとても面白いのです。

「誰の娘でも、王の娘であるかのような美しい娘を送れ。彼女は王の娘ではないと誰もいわない」


まあ、そりゃあ、そうなんでしょうが……。
インターネットもない時代ですし……。

なんというか、古代オリエントの緩い一面も見えてきます。
特にエジプトは距離があるぶん、知らせが届かなかったりするようなこともあったようです。

結びに代えて:『古代メソポタミア全史』の魅力

著者は本書の冒頭で「古代メソポタミア史は、現代人が学ぶべき叡智の宝庫です」と述べています。

5500年も前の遠く離れた地の歴史が何で叡智の宝庫?

と思う方がいるかもしれません。

『古代メソポタミア全史』を読み終えた今、私は著者の言葉に同意しています。

なぜか?

古代メソポタミアは開けた土地であり、豊かな土地でもあります。そして、誰もがうらやむ文化が花咲いていた場所です。そこでしか手に入らないものがたくさんあったはずです。

当然、周辺の民族は隙あらばその富を奪い去ろうといつでも狙いすましています。
油断していると支配者は寝首をかかれるでしょう。

時代に適応できないと瞬く間に国は滅び去り、その支配下の人種民族は徐々に滅び去っていきました。

だからこそ、人々は変化を恐れなかったように思います。

カッシートやアムル人などはメソポタミアを奪い取っても、メソポタミアの制度・言語を尊重していました。
彼等は自国語の文書をほとんど残していません。生き残るために優れていたものを貪欲に吸収したのでしょう。

一方、「単一民族」とも呼ばれ(私はこの言葉は適切とは思いませんが)保守的な日本社会は、国際的な競争力を失いつつあります。
そんな現代日本を見つめるに際して、古代メソポタミアとエジプトとの比較が有意義であると思います。

エジプト文明はその歴史の大部分を古代エジプト人に支配されており、日本同様に保守的な社会でした。
他のオリエント地域が時代の変化に合わせて鉄器で戦争をするなか、エジプトは旧態依然の青銅器を使い続けます。
そして、最終的にはメソポタミア側の大国アッシリアに敗北します。

古代エジプトの道行きは、日本のそれを暗示しているかもしれません。
(どちらもユニークかつディープでコアなファンを抱える文化を形成しているという共通点もあります)



また、メソポタミア文明を築き上げたシュメル人も文化と言葉だけを残し、歴史から消えていった点も示唆的です。
いつか日本が移民を受け入れるようになったとき、活力の弱い現代の日本人は同じように消えていなくなるかもしれません。

文化や歴史をバトンタッチし、躍動感とスピード感に溢れた人々に未来を託して。


それでは。

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