カブトム市役所

人っ子一人いない雑木林を歩いてたら「ほう、あのガキがこんなに大きくなるとはな」ってイケメンボイスが、おいおい拡声器を使ってんじゃないかってくらいの大音量で轟いて、俺は思わず「うわあうおあ!?」と叫んでのけぞった。
 周囲を見渡す。誰もいない。心臓がまだバクバクしてる。
「やれやれ、吾輩も年を取るわけだ」
 また聞こえた。すごい美声だ。まるでアニメに出てくるかっこいいおっさんみたいだ。でも、超うるさい。ほとんど地鳴り。木々が揺れ、葉が落ちる。
 周囲を見渡す。やっぱり誰もいない。
「俺、疲れてんのかな」
 無職歴も早三か月。もっとも自分ではストレスフリー生活を満喫してるつもりだった。ただ、まあ、意味もなく感傷に浸って子供のころに遊んでいた炎天下に雑木林へふらっと来たりするし、深層心理的には焦りとか不安で参ってるのかな。マジかー……、でも、確かに俺は意外と繊細だしな。
「ははっ、愉快な奴だな。ほら、吾輩はこっちだぞ?」
「ぎゃあ!?」
 声量がさらに増大した。平衡感覚がいかれて仰向けにぶっ倒れると、そのまま世界がひっくり返った。ぐるん。
 そしたら、こんにちは。声の主がそこにいた。
 鼻先でカブトムシが飛んでいる。鮮やかな朱色のカブトムシが、何の変哲もない郊外の雑木林に。
 俺は両耳を塞ぐ。恐る恐る質問する。
「お前、誰?」
「吾輩はカブトムシ」
「だろうな」
「職業は公務員だ」
「だろうな……って、公務員!? お前、公務員なの!?」
 おいおい、マジかよ! 超羨ましい! 俺なんて無職だぞ!? 先週ついにお祖母ちゃんからお小遣いもらったんだぞ!? しかも金運アップに繋がればいいな!って思いながらずっと持ち歩いてんだぞ!?
「たいしたものではない。しがない小役人だ」
 謙遜の言葉とは裏腹に、その佇まいには昆虫離れした貫録がある。態度も威風堂々、語気も力強い。
「ところでな、若造」
「なんだよ、公務員」
「吾輩はな、命の恩人を救うのも公僕の務めだと考えているのだ」
「……命の……恩人?」
 俺のことか? 生憎と二十七年も生きてきて、そんな徳を積んだ覚えは1ミリもない。
「いや……俺、お前になんか――」
 と切り出してみたが、間髪入れずに話題を変えられた。
「ところで若造、吾輩は市役所の人事課長をしていてな」
「はあ、そうなんだ」
「というわけで、貴様を正職員にしてやろうか? 裏口採用で」
 俺はむくりと起き上がり、カブトムシを食い入るように見上げた。もちろん両耳はふさいでる。むろん、裏口採用という言葉にも耳をふさいでいる。
「……マジですか?」
 無意識のうちに俺は敬語を喋っていた。ああ、悲しき小市民。
「もちろん、マジだ」
「どこですか!? どこの市役所ですか!?」
 カブトムシはもったいぶるように長々と間をためて、言い放った。
「カブトム市役所だ」
 雑木林はうだるように暑く、蝉の鳴き声が蒸れるように立ち込めている。俺は両耳を塞いだままだ。朱に染まるカブトムシの角に、夏の木漏れ日が降り注いでいた。

 皆はカブトム市って知ってるかな? 東京都西部に位置し人口は約18万カブトムシ、面積の8割が山林で主な産業は昆虫売買。市長は現在2期目で……って、うっせえ知るか! 何でカブトムシだけが暮らす自治体が存在してるんだ!?
 ふと我に返ると、俺はカブトム市役所で就業中だった。
 一見普通のお役所だけど職員は全員カブトムシで、しかも人間用の机で仕事してる。シュールレアリズムとかそういう次元を超えてる光景だ。
 ちなみに俺は常に耳栓着用だ。カブトム市のカブトムシは例外なく声がでかい。鼓膜をさらして働いてたらあっという間に耳がイカれちまうだろう。
 あら、電話が鳴った。でも、誰も出ない。そして、俺をちらちら見てる。
 電話の音が沈黙の中で鳴り響く。
 あー、はいはい。出ます、出ますよ。
「はい、カブトム市役所福祉総務課の関です。お世話になります。南2丁目ですね。そちらの地区の民生委員は畑という者で電話番号は04X-XXXXです。いえ。はい、よろしくお願いします」
 ガチャンツーツー、一件落着。と思いきや。
「すいません! さっきからもう何回も呼んでるんですけど!」
 窓口でカブトムシ(市民)がお怒りだ。俺が電話してる間、放置されてたらしい。こいつら、マジで仕事しねえのな。小学生の時に抱いていたかっこいいカブトムシへの幻想を返してほしい。とりあえず、誰も行かないから俺がいく。
 まず謝罪からだ。
「お待たせして申し訳ありません――」

 と、まあ、そんな感じで事務作業がほとんどできないまま正午を告げるチャイムが鳴る。昼休みだ。
 俺は公園のベンチでコンビニパンをもりもり食べる。缶コーヒーをごくごく飲む。この調子なら今日も残業確定だしな、今のうちにエネルギーを充電しとかないと。
 肌寒い風が吹いて枯れ葉が舞い落ちる。
 カブトム市役所で働いてもう半年、カブトムシ達は冬なのに元気よく飛び回ってる。
 なんか不思議だ。
「調子はどうだ?」
 朱色のカブトムシが僕の隣にちょこんと座った。そう、俺は裏口採用してくれた人事課長さんだ。本名は兜牟師竜彦、通称カブトムシ課長。
 カブトムシ課長は人間用の鞄から樹液ゼリーを取り出し、抱えるようにして食べ始めた。
 カブトムシ課長は俺のことを気にかけているらしい。時々、俺達は昼食を一緒に食べる。
「正直、少し疲れてますね。ただ、まあ、新しい環境ですからしょうがないですけどね」
「ほう、随分と無難な言い回しではないか」
 カブトムシ課長の言葉は力強い。いつだって自信に満ちている。
 俺にはそんなことはできない。斜に構えて虚勢を張るのが精々だ。
「まあ、本音を言って職を失ったことがある身の上ですので」
 前職での話だ。おかしいものはおかしいと言い続けていたら、いつのまにか敵だらけになっていた。居場所なんてどこにもなくなっていた。俺は同じ過ちを繰り返したくなかった。
 だが、カブトムシ課長は俺を励ますように力強く言い聞かせる。
「失敗を恐れるな。吾輩は自分を貫き通したまま管理職だぞ? 毎年有給を消化しているし、体も染めている」
「え? それ染めてたんですか。ていうか、課長みたいな一握りのできる男のケースは参考にならないです」
「吾輩が特別なわけではないさ。ただ、何事にも代償が必要なだけ。例えば、吾輩の中性脂肪と尿酸値は毎年要検査の数値が出るし、五十一歳なのに独身だ」
「いや中性脂肪と尿酸値は分からないこともないこともないですけど……独身は全く関係ないでしょう」
「関係はな……あるのだよ……」
 カブトムシ課長は樹液ゼリーを抱えたまま空を見上げた。遠い目をしたカブトムシを、俺は生まれて初めて見た。
 木の葉が俺達の間にひらりと舞い落ちた。
「若人よ」
 カブトムシ課長が真剣な声音で切り出した。
「仕事を押し付けられているそうだな」
「……どこでも新人はそんなものです」
「うちの職員、仕事をしないだろう?」
「そんなものですよ、どこも」
 だから、もっと頑張らないと。誰もやらないなら、俺がもっと。仲間に入れてもらうためにも。俺はもう仲間はずれにはなりたくない。
「貴様にとって周囲に馴染むことは最優先事項か?」
 なぜか、その言葉には僕を探るような鋭さがあった。人事課長から突然そんなことを言われるなんて、怖すぎる。しかも、思い当たる節は皆無だ。どうする、俺? とりあえず無難に行け、俺。適当にごまかすんだ。
「ある種の適応の一種と考えられます」
 カブトムシ課長は何も言わなかった。正直、カブトムシの表情なんて俺に読み取れない。
 だけどそのときだけは分かってしまった。
 俺は失望された。
 カブトムシ課長は俺の体を頭から足の先まで眺めた後、鞄からA4紙を取り出した。
「何ですか、それ」
「貴様の人事評価だ」
「いやいや、それは本人に見せちゃダメでしょう!?」
「むろん見せぬよ。なになに。書類の誤字が多すぎる。協調性に欠ける。自分がする作業の持つ意味をもっと考えるべき」
 正論過ぎた。ぐうの音も出ない。
「さて、どうする? 若人よ」
 カブトムシ課長は楽しそうにそう言うと、大きな鞄と共に寒空へ飛び去った。

 翌日、カブトムシ課長はクーデターを起こした。
 十五人の小学生男子を引き連れ、カブトム市役所職員を根こそぎ誘拐しようとしたのだ。
「すげえ!カブトムシだらけ!」
「あとでオレのとオマエの戦わせようぜ!」
 小学生達は目を輝かせながらカブトムシ(職員)達を捕え、虫カゴに放り込む。
 耳を聾するカブトムシの悲鳴が幾重にも重なる。ガラスは砕け散り、机は吹っ飛び、火災報知器は誤作動の警報をまき散らす。まさに地獄絵図。鬼は小学生だけど。
 半狂乱の同僚が僕を急かす。
「おい人間! お前ならあいつらをどうにかできるだろ!? はやくしろ!」
「いや、なんとかしろって……」
 どうしようか。相手は子供でも多勢に無勢だ。それにカブトムシを人質に取られるのは非常にまずい。
 とりあえず大人の威厳で勝負しよう。俺は腕組みをして立ち塞がる。
「こら! カブトム市のカブトムシの捕獲はカブトム市条例で」
「カンチョー!」
「がっ!?」
 そうだ……。小学生による対大人用特別決戦兵器……カンチョー……。やつらにはその手があった……。俺は肛門を抑えながら、膝から崩れ落ちた。
その拍子に耳栓が俺の耳から転がり落ちた。
「クソガキめ……」
 俺は勝者のダンスを繰り広げる忌々しげに見上げた。
 すると視界の真中へ、朱色のカブトムシが舞い降りてきた。
「無様だな、若人」
「んがあああ!? 耳がああああ!?」
 イケメンボイスが力強く響いた。俺は肛門から手を放せず、その轟音をもろに聞いてしまった。
「カブトムシ課長! なぜこんなことを!?」
 とお決まりの台詞を言ってみる。カブトムシ課長はいつものように高らかに宣言した。
「カブトム市役所に失望したからだ!」
 男子小学生(イヤーマフ装備)達を従えたカブトムシ課長には、王者の風格が漂っていた。
「こやつらは仕事をしない。職務を果たそうとしない。堕落した組織は無に帰すのみ!」
「職員が虫カゴ暮らしになってもいいんですか!?」
 一瞬、カブトムシ課長が迷いを見せた。俺の言葉が、少しだけカブトムシ課長に響いたのかもしれない。
 だが、それは一瞬でしかなかった。
「若人には分かるまい。吾輩がどれほど長い年月耐えてきたか」
 俺と同じような苦悩を、俺よりもずっとずっと長い間抱えてたのか。力強い態度の裏で、人知れず。
「今の吾輩は大義を成す悪鬼なり!」
 カブトムシ課長は朱色の角を高らかに掲げた。
 思い出した。突然、記憶が奔流のように溢れ出す。俺は遠い昔にあの朱色の角を見たことがある。
 小学生の時、転校したばかりの時、俺は同級生と仲良くなりたくて全然興味もないくせに一緒にカブトムシを捕まえに行った。誰かが珍しいカブトムシを見つけた。皆は引っ張り合って奪い合った。もげそうな体、折れそうな角。見てられなかった。皆を突き飛ばしてカブトムシを空に返した。
 俺は皆から非難された。いじめられるようになった。
 捕まえた昆虫、逃がすべからず。男子小学生の鉄則。俺は自分が属するコミュニティの掟を破った。
 その後も俺は同じような過ちを繰り返すことになる。ルールや常識に従おうとすればするほどおかしくなった。それでも必死で社会に染まろうとした。勉強して受験して恋愛して就職して。でも、全然楽しくなかった。全部苦しかった。
「哀れだな」
 カブトムシ課長は同情の眼差しを俺に向ける。
「所詮は世に染まるしか能のない凡百の輩か」
 崩れ落ちたままの俺は、立ち上がることさえできない。
「あるいは若人なら、とも思ったのだがな」
「俺、なら?」
 しばしの沈黙。そして、カブトムシ課長は咆哮した。
「しかし、それは吾輩の甘さであった! 考えを改める! 吾輩は! 吾輩の 成すべきことを成すのみである!」
 鼓膜が揺れて、脳も揺れる。世界も揺れる。
 俺は思う。小学生のとき、カブトムシ課長を助けたとき、俺は何を考えてた? 思い出せない。全く思い出せない。たぶん、何も考えてなかった。失笑する。呆れる。自分に失望する。このカス野郎め。
 でも、その時。
 それは違うな。破れかかった鼓膜のどこかで声がした。
 貴様は何も考えなかったのだ。余計なことは何も。
 ほら、自信を持て。
 心の中で、何かが噛み合う音がした。
 そうだ。俺は勝てる。カブトムシ課長に、勝てる! 助けられる!
 俺は肛門の痛みをこらえ、立ち上がる。力の限り叫ぶ。
「これが目に入らんのか!?」
 そして、俺は財布から万券十枚を誇らしげに取り出した。
「馬鹿な!十万円だと!?」
「オレ十万円初めて見た!」
「オレ十万円欲しい!」
 カブトムシ課長は虚を突かれ、男子小学生達は色めき立つ。無職の孫を憐れんだお祖母ちゃんからもらったお小遣いを、今ここに解き放つ!
 さあ、大人の力を思い知るがいい!
「十万円が欲しくば、今すぐカブトムシ達を開放しろ!」
「分かりました!」
「はーい!」
 全ての虫カゴは開放され、カブトムシ達は我先に飛び出す。男子小学生達は僕の手から十万円を毟り取り、走り去っていった。
 黒いカブトムシ達が飛び回って狂喜乱舞するなか、朱色のカブトムシ課長はぺたりと座り込んだ。
「フッ、見事な敗北だな。完敗だ。吾輩らしからぬな、まったく」
 カブトムシ課長は疲れ切ってたけど、心地よさそうでもあった。
「だが、ようやく気づいてくれたか。若人をここに連れてきたかいもあった」
 そっか。カブトムシ課長は誰かに気付いてほしかったのだ。何かって? ずっと一人で頑張ってきたんだ。そして、一人ぼっちで頑張ってきたから、苦しみを見せられるのは俺だけだったんだ。
 それなのに全く……。
「俺、気付くの遅かったですか?」
「遅すぎる!本当は吾輩がが事を起こす前に気付ーほしかっ――」
 最後の方は聞こえなくなっていた。俺の耳は限界が近づいている。今すぐ戻らないと二度と戻れなくなってしまう。
 今のうちに聞いておかなくてはいけないことがあった。
「課長!この後は大丈夫なんですか!?」
 組織全体を敵に回したのだ。カブトムシ課長の身の上は絶体絶命と言っていい。
「案――……。吾――を誰だ―思っ――る。市長や総―部長の痛―と―ろすでに抑――ている」
 さすがだ。できる男は失敗したときのケアもできている。
 だけど、その声はよく聞こえない。
 俺はもうカブトム市にはいられない。
「貴様―年前―今―も―輩を助け――く――。そ―――忘れ――」
 カブトムシ課長は嬉しそうだった。だから、俺も嬉しかった。
「カブトムシ課長! ありがとうございました!」
 そして、世界はひっくり返った。ぐるん。

 目が覚める。俺はクソ熱い雑木林に倒れてる。スマホを見る。時間はあの日から進んでいない。
 立ち上がる。ゆっくりと歩きだす。人間達が行き交う道路を目指して。力強い耳鳴りが、まだ耳の奥で響いている。

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