『イッリーサ・ジャータカ』。ケチな富豪の心を開く、神通力

こんにちは。

紀元前文学第37回は『イッリーサ・ジャータカ』です。

ジャータカは古代インドにおいて仏教を広めるために説話集です。紀元前に流布していた民話を仏教風にアレンジしたモノだと考えられています。

釈尊(ブッダ)の前世と現世が物語られ、その徳を称賛するような結びで終わります。

成立年代は諸説ありますが、紀元前3~2世紀あたりが一般的なようです。

『イッリーサ・ジャータカ』のあらすじ

主な登場人物

  • 釈尊(ブッダ) 仏様。
  • モッガーラナ 釈尊の高弟。神通力が使える。
  • 富豪 ケチ。
  • イッリーサ 過去の富豪。ケチ。
  • 帝釈天(インドラ) インドの神様。
  • 理髪師 実は重要な人物

現在世のお話

釈尊(ブッダ)が祇園精舎に滞在していた頃、近くに富豪が住んでいました。彼は大変ケチで、自分の財産を人に分け与えたことがありません。

ある日、富豪は王様との面会を終えたあと、無性にお饅頭が食べたくなりました。しかし、「自分が饅頭を食べたいなどと言えば、大勢の者が食べたいと言い出す。わしの財産が減ってしまう」と思いながら、空腹をこらえて歩きます。しまいにはお腹が空きすぎて、気分も悪くなってきます。

家に帰ると、奥さんが心配して声を掛けます。

富豪は饅頭が食べたいと告げます。
奥さんは「町中の人が食べられるだけの饅頭を作りましょう」と提案します。
当然、富豪は断ります。
奥さんは「この通りに住んでいる人に饅頭を作りましょう」と提案します。
当然、富豪は断ります。
奥さんは「家中の者たちにあげられるだけの饅頭を作りましょう」と提案します。
当然、富豪は断ります。
奥さんは「家族にあげられるものだけの饅頭を作りましょう」と提案します。
当然、富豪は断ります。
奥さんは「あなた一人の分を作りましょう」と提案します。
富豪は「においがすると使用人が自分も食べられると期待するから屋上で作れ」と奥さんに命じます。

抜かりないというか、なんというか……。なお方ですね。

それを知った釈尊は高弟モッガーラナに「彼を教化し、修行僧たちと饅頭を食べよう」と提案します。お布施は重要な食糧源です。

モッガラーナは神通力で瞬間移動。一瞬で富豪の屋上にたどり着きます。
富豪はモッガーラナを追い払おうとしますが、モッガーラナはかたくなに動きません。

今度は小さな饅頭をあげて帰ってもらおうとしますが、モッガラーナの神通力のせいで小さくしようとすればするほど饅頭は大きくなってしまいます。さらには、すべての饅頭がひっついてしまいました。

富豪はうんざりして「もう饅頭は食べたくない」とあきらめます。そこでモッガーラナが説法すると、富豪たちの心に信仰心が湧いてきます。釈尊の下に赴いて祝福の言葉をうけると、富豪は仏教教団や困窮者にお布施をするようになりました。

と、この話について修行僧たちが噂をしていると釈尊が通りかかります。
そして、「実はな……」と前世の話を始めます。

過去世のお話

昔、ベナレスにイッリーサという富豪がいました。彼もまた、大変なケチでした。

王様との面会を終えて帰る途中、イッリーサは酒が飲みたくなってきました。しかし、「自分が酒を飲むと大勢の人が飲みたいと言い出すだろう」と危惧し、気分が悪くなるまで酒を我慢します(アル中でしょうか)。

心配してやってきた奥さんと、現世と同じようなやり取りのあと「自分一人のために酒を用意しろ」という結論になります。

ところでイッリーサの父は徳のある人だったため、帝釈天(インドラ)に生まれ変わって天界に住んでいました。

この帝釈天、こっそりイッリーサの姿に化けて王様のところへ向かいます。そして、自分の財産を困っている人に寄付するという話を王様と勝手につけてしまいます。

帝釈天はイッリーサの家に行き、妻や門番に「私は寄付をする」と宣言。「必要なだけ、なんでも持っていけ」と宣言します。

酒を飲んでいた本物のイッリーサは異変に気付きます。門番に怒りを向けるものの、悲しいかな偽物扱い。イッリーサは王様へと泣きつきます。

ここで王様の配慮によって(イッリーサに化けた)帝釈天とイッリーサが並びますが、だれも見分けがつきません。奥さんにも分かりません。

イッリーサは自分の頭にはコブがある。理髪師なら見分けられると宣言。しかし、帝釈天にも同じコブが。イッリーサはショックのあまり気絶してしまいました。

ここで種明かし。目覚めたイッリーサに、帝釈天が「自分の財産を慈善のために使いなさい」とさとします。帝釈天の姿に震え上がったイッリーサは今後はお布施などの善行を積むと誓いました。

結び

  • 現在世の富豪=過去世ではイッリーサ、
  • モッガーラナ=過去世では帝釈天、
  • アーナンダ(高弟の一人)=過去世では王様、
  • 釈尊=過去世では理髪師

だった。と釈尊が明かして物語は終わります。

個人的な感想

プリミティブな社会の倫理観が反映されているのかなあ……という印象を受けました。

人類学の知見では「プリミティブな社会では権力者は気前が良いことを社会的な義務として求められた」的な見解があったと記憶しています。学生だったのはずいぶん前なのであまり自信はないです。

その気前の良さを強いられる、という感覚が登場人物に染みついている気がします。

現在世の富豪が饅頭を食べたいと思ったときにまず想像するのは自分や家族が饅頭を食べている姿ではなく、大勢の者にふるまっている姿です。それが当然になっています。

で、その価値観と共鳴する形でありがたい宗教へのお布施という概念が混入しているように思うのですが……。どうなんでしょうね。このあたり、しっかり調べたいポイントです。

なんにせよ、今も昔も人間関係には面倒が付き物なようです。

主要参考文献

松本照敬訳「物惜しみ」『ジャータカ』,角川ソフィア文庫,2019

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