魑魅魍魎の跋扈する都の秘密  陰陽道と平安京 安倍晴明の世界/川合章子著



こんにちは。

陰陽術や安倍晴明という知名度はあれどイメージをつかみにくい存在です。
『陰陽道と平安京 安倍晴明の世界』はその点を解消すべく、平安京という千年前から実在する都を舞台としています。

そして、寺社仏閣や山川の配置などには陰陽道的な意図があるのかを説明しつつ、その衰亡の歴史を辿っています。

個人的に面白かった点をまとめました。

黎明期:安倍晴明登場以前 太秦と渡来人を通して

平安京があった地域は、遷都される以前から秦氏などの有力な渡来系豪族の勢力となっていました。

現在の京都市太秦地域は秦酒公が雄略天皇に絹を献上し、「宇豆麻佐」の姓を賜ったことに端を発しているのだそうです。

転じて、太秦は秦氏の族長が住む場所を意味しているそうです。
(今は映画村がある辺りですね……)

そして、この太秦の地は、

  • 南に桂川、
  • 北には山々、

があるため「陰陽説」における陽の地となります。
中国の洛陽にも通じるイメージがあるそうです。

また、太秦にある蚕の社には三本足の鳥居があり、秦氏にとっての聖地(二ヶ丘、松尾山、稲荷山)と夏至の日の出と日没、当時の日の出と日没を指し占めているそうです。

そんな風に渡来系の人々が自分たちの地に陰陽的な概念を持ち込んだのが、日本における陰陽道の端緒になります。

6,7世紀には聖徳太子が陰陽道のベースになる暦、天文等を学ばせ、天武天皇が陰陽寮を設置し、役人以外が陰陽道を学ぶことを禁止します。
陰陽道は国家お抱えになったわけです。

そして、8世紀には桓武天皇が秦氏によって見抜かれていた理想の地に平安京を設置します。
その後、早良親王や菅原道真といった朝廷に虐げられた後に死した人々が怨霊となったため、彼等を鎮めるためにも平安京における陰陽道は大きく発展をしました。

安倍晴明達 トップの陰陽師たち

陰陽道という言葉が現れるのは、平安時代中期以降であり、それは国家レベルの祭儀にしか用いられなかった陰陽術が貴族レベルにまで用いられるになった時期と一致します。
「蔵人所陰陽師」と呼ばれるトップランクの陰陽師たち、安倍晴明、賀茂光栄などが現れるのもこの頃でした。
特に安倍晴明は様々な逸話が残っています。

一条戻橋には、安倍晴明が式神を隠していました。
(渡辺綱が茨木童子の腕を切り落とした場所です)

ここが一条戻橋です。幅がとても短いです。

また、遍照寺で周囲の人々から頼まれてカエルを爆発させる術を使っています。

遍照寺です。当時とは場所が違っていますが。

また、藤原道長が法成寺に入ろうと思うと必ず白い犬に着物を噛まれて入れないという事件が起きました。
安倍晴明は芦屋道満の術であることを見抜いています。

そんな安倍晴明が初めて記録に現れるのは四十歳の時で、焼失してしまった四世紀に百済から渡された二対の霊剣を再鋳造するためだったようです。
ただ、その後の実際の記録を見ていると、祓いや祭りが得意分野だったようです。

出産が遅れる藤原実資の妻の物の怪を解除したり、
実資の娘の病気回復のために鬼気祭を行ったり、
皇太后詮子のために泰山府君祭を行っています。
死の前年まで雨ごいのために「五龍祭」を行い大雨を降らせ、天皇から褒美をもらっています。

働き者だったのか、働かされていたのか、一体どっちだったのでしょうか…。

安倍晴明の死後における陰陽道の変遷

中国では祖先でもある死者を祀る方角であった「鬼門」(東北)が、日本ではやがて曲々しい魔物や鬼の門というイメージに変わります。

これは、

  • 十一世紀頃の法皇と天皇の対立
  • 武士という新興勢力の台頭

による社会不安に拠るものです。
よって、「鬼門」を戦乱や凶事の新しい原因とし、これを防ぐ必要があるという主張したのです。

しかし、ここで新たな問題が発生します。
平安京の「鬼門」には一大勢力比叡山延暦寺があったのです。

延暦寺は「我々や都を守っているのだ」と威張って主張できる根拠を手にしました。
これは陰陽師は面白くなかったのでしょう。
八卦の乾であり、陽の気が集まる西北に「天門」という概念を新たに創造します。

また、当時の陰陽道では密教からの影響により、金星の精・大将軍を重要視して祀っていました。
しかし、疫病の多くが西から広まる傾向にあったため、西が疫神を司る方角へと変わっていきます。

結び 愛される平安京、陰陽道、安倍晴明


10世紀頃の平安時代は歴史が好きな方々にとって大きなジャンルです。
その理由は、陰陽術やそれに基づき整備された平安京という摩訶不思議な世界がそこにあるからなのかなあ、とも思います。

京都にある晴明神社の鳥居です。五芒星が…。

魑魅魍魎が跋扈し、その一方で和歌は美しい四季を詠う。
現代人とは違う、自然観があります。

本書はそんな平安時代の魅力を深く漂わせている一冊です。


それでは。

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