こんにちは。
紀元前文学第32回目は『イナンナ女神の歌』です。
『ギルガメシュ叙事詩』や『イナンナの冥界下り』にも登場するイナンナは金星、愛や美・ウルクの守護など様々権能を持つ古代メソポタミアの女神です。
この『イナンナ女神の歌』は、イナンナの「戦い」の権能を褒めたたえる歌になっています。
非常にコンパクトで読みやすいのが『イナンナの女神』の特徴でしょう。
イナンナ(イシュタル)がメソポタミアの人々にどのように愛されていたのか、その一端を知ることができます。
成立したのは古バビロニア時代、西暦二千年紀前半と考えられています。

目次
『イナンナ女神の歌』のあらすじ・概要
まず、イナンナが偉大であることを褒めたたえる詩句が連なります。
主よ、ニンガルが楽しげに喜びに生んだお方よ(中略)イナンナよ、
『イナンナ女神の歌』「シュメール神話集成」ちくま書房、2015,P129
ニンガルが楽しげに喜びに生んだお方よ、あなたは暴風に乗っかって、アブスから<神力>を受ける人。
さらに、
- 夫であるアマウシュムガルアンナ(ドゥムジ)を「浄らかな聖堂」に住まわせていること、
- 母であるニンガルの体内からシタ武器とミトゥム武器(どちらも神々が使う武器)を持っていること
などを根拠に、イナンナの権威や力強さを褒めたたえています。

女神イナンナの姿
ああ、イナンナよ、あなたは暴風に乗っかって、アブスから<神力>を受ける人。
『イナンナ女神の歌』「シュメール神話集成」ちくま書房、2015,P129
王アマウシュムガルアンナをあなたの浄らかな聖堂に住まわせておいでです。
(中略)
あなたの母上の胎内からシタ武器とミトゥム武器とを掴んでいらっしゃった方。
そして、イナンナから力を与えられた夫アマウシュムガルアンナの武勇を称賛する詩句が続き、彼の力強さを称賛する形で間接的にイナンナを褒めたたえるような形になっていきます。
アマウシュムガルアンナはあなたのために輝きを発する。
『イナンナ女神の歌』「シュメール神話集成」ちくま書房、2015,P131
彼が服ろわない国、遠方の山国に出かけていくときには、彼は(闘いの)混乱の中で日々を過ごす。
芳香を発する杉の山から登ってくる太陽(のごとく)彼が昇ってくると、(人々は)上質の脂を彼にもたらす。
(中略)
戦で(敵を殺して)山と積み上げるアマウシュムガルアンナは、ドラゴンのごとくあなたのために闘う。
王アマウシュムガルアンナはあなたのために闘う。
そして、最後も同様に、夫を通して間接的にイナンナの栄光を褒めたたえる詩句で歌が終わっています。
王アマウシュムガルアンナを、あなたの心に愛されている人を、昇ってくる太陽のように(人々は)誉め称えます。
『イナンナ女神の歌』「シュメール神話集成」ちくま書房、2015,P133
『イナンナ女神の歌』の魅力と印象
どんな風に歌われたのか、その痕跡が残されていること
過去の文学・物語を知る際、それだたとえ歌であっても(楽譜が登場するまで)我々は文字を通してしか歌に接することができません。
それがどんな風に歌われていたのか、詳細を知るのは難しいのが実態でしょう。
しかし、『イナンナ女神の歌』にはその断片が残されています。
このタイミングで、この楽器を弾く。という合図が残されているのです。
アマウシュムガルアンナが芳香を発する杉の山から昇ってくる太陽(のごとく)登ってくると、(人々は)上質の脂を彼にもたらす。
『イナンナ女神の歌』「シュメール神話集成」ちくま書房、2015,P131
サギッタ
闘いでは(誰一人)歯向かえぬ主よ、シンの娘、天に昇る人、恐ろしい輝きを発するお方よ。
王アマウシュムガルアンナを、あなたの心に愛されている人を、昇ってくる太陽のように(人々は)誉め称えます。
『イナンナ女神の歌』「シュメール神話集成」ちくま書房、2015,P133
サガルタ。イナンナ女神のティンパニー歌である。
サギッタとサガルタというのは、どちらも絃楽器だったようです。いわば、これはト書きのような意味合いもあり、ここで、該当する楽器をそれぞれ鳴らしていたのでしょう。
また、「最後にイナンナ女神のティンパニー歌である」とありますが、これはティンパニーを伴って歌われる歌であることを意味するとのこと。
つまり、『イナンナ女神の歌』はティンパニー、サギッタ、サガルタという最低でも3種の楽器を用いて歌われていたことになります。
今と違って情報も娯楽もほとんどない時代です。
音楽の響きというのはそれだけで鮮烈であったでしょうし、神々を湛えるような荘厳さも深く胸に響いたことでしょう。
そして、それが女神の偉大さやその背後にいる権力者たちの権威を高めることにも繋がったのかもしれません。
なぜ夫を通して女神を称賛するのか
これは、やはり現代人の感覚からすると不思議と言わざるを得ません。
ハッキリ言ってしまえば、イナンナを褒めたたえるのにその夫を通すなんてまわりくどいように感じます。
やはり戦いに赴くのは男性という現実を、神話の関係にも投影していたのでしょうか。
ジェンダー的な観点で色々考えてみたくもなるところです。
何にせよ、当時の思考体系が反映されているのは間違いないでしょうし、そこには固定観念やステレオタイプ、(意識的無意識的問わず)差別感情も込められているかもしれません。
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