リメンバー・ミー・『方丈記』 ~ざっくりとしたあらすじも添えて~

バック・イン・ザ・『方丈記』

鴨長明という名前、「聞いたことあるような気がしないでもない、たぶん」という人も多いのではなかろうか。

古典日本三大随筆なんてカッコイイ冠を被せられてるくらいである、おおかた教科書だの予備校の問題集にも出ていたであろう。たぶん。

なぜ「たぶん」なのか。
私は一切覚えてないからである。

テストや偏差値という類の青春地獄は時空の彼方に遠ざかり、労働煉獄で身を焼かれながら若さを枯らすと今度は昔の地獄にノスタルジーを感じるようになったのである。

話を戻す。清少納言だの紫式部だのについて調べていくなかで、私は『方丈記』を(再)発見したのである。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えつつ結びて、久しくとどまりたるためしなし

鴨長明『方丈記』光文社,P81

という冒頭が名文として名高いらしい。

うむ。良いではないか。


とりあえず、読んでみる。
と思って手を出したのは、4年前ほどであろうか。

そのとき何を感じたのか。
覚えていない。

ただ、鴨長明は俗世に嫌気を指して隠居をしていたと書いていた気がする。

私は隠居など出来る身分ではない。金がない。あれば、とっくにしている。
ただ、世間との距離感を図るのは私も同じく苦手である。

今読めば、共感するところがあるかもわからんな。
と思って再読をしてみた。



で、その感想なんだけれども。


いや、まずはざっくりとしたお話の流れに触れておくのが良いだろう。

『方丈記』の私流ざっくりあらすじ


まずは仏教的無常観を巧みな文章ですらすらと綴っていく。
水の泡沫が姿を変えていくこと、
都の家々が建て替えられていくこと、
などになぞらえ、『平家物語』でもお馴染みの盛者必衰的なお話が続く。
さらには自分が体験した大火や飢饉、大地震等々についても振り返っていく。

続いて自分の話になる。
賀茂御祖神社(下鴨神社)の禰宜という人並みのはるか上の家柄に生まれたのだが、家を継ぐことが出来なかった。
30歳を過ぎたあとに小さな草庵を立て、さらには50歳で出家した。
今では小さい家で暮らし、自然を愛で、詩を読み琵琶を弾き、面倒な時には読経もせず、質素に暮らしている。

都に出ると自分の落ちぶれっぷりに落ち込むこともあるが、世界は心の持ちよう一つで変わる。
小さいながらも自分のために建てた小屋に帰宅すればほっとする。


鴨長明は自らが人生の最終段階にあることを理解している。
そして、仏道修行のために山に入ったのはずなのに、自分の心は澱んでいることについて自分自身を問い詰める。

だが、答えは出ない。

『方丈記』に対する所感:引き裂かれる共感と嫌悪

悩ましいけど共感

というわけで、

改めて、
所感を述べたいのであるが。

これが、煩悶するほど悩ましい。

鴨長明が抱える苦悩自体は良く分かる。
自分の人生がまるで上手くいかず、周りが成功していく中で自分は芽が出ず。
京を見渡せば、凄惨たる出来事が次々と起こり。
世間の虚しさと自分の惨めさが共振していく様は、よく分かる。


文章も美しい。
共感だって出来る。
孤独の中で音楽や文学に触れることが慰めになるのも、まあ、共感できる。

権勢のある者は欲深くて、心が満たされるということがない。誰とも関わらない孤独な者は、後ろ盾がないことから軽んじられる。

鴨長明『方丈記』光文社,P34(現代語訳)

世間の常識に従えば、苦しくなる。従わなければ、まともではないと思われる。

鴨長明『方丈記』光文社,P34(現代語訳)

この辺りは特に普遍的な一文であると言えよう。というか、現代日本よりもプリミティブな社会に生きていた鴨長明の体験は、我々のそれの想像を絶するほどしんどいものであったに違いない。

共感はできる。それは大変良い。

ただ、一つ大きな問題がある。

ハッキリ言って、私はこれっぽっちも共感したくないのである。

ネガティブさへの苛立ち

これはあくまでも個人的な感覚であることは強調したいのだが。

なんか、イラっとする。


『方丈記』の大半は、いかに世がしんどいかを延々と語っているようなモノである。
美文である。花鳥風月を比喩として巧みに用いており、感性の鋭さは称賛に値する。
流れるような文章でネチネチした感情がさらさらと綴られている。

……うっせえな。
と言いたくなる。

それはなぜか。
長ったらしい愚痴愚痴ガトリング砲が、的を射ていないからである。

まず、鴨長明は自らを落ちぶれていていると感じている。まあ、それはそうなのかもしれぬ。
良い家柄を継げずに追い出されてるし、主観的にはそう思えるのかもしれぬ。
周りから心無い陰口だって叩かれていたであろう。
そりゃあ、辛いであろう。

それは一つの事実であり、本人以外が価値判断をすべきではない。

ヒエラルキーがハイ

しかし。
しかしである。
『方丈記』を執筆した数か月後、鴨長明は征夷大将軍源実朝と謁見しているのである。

あれ。こいつ、エリートじゃね?

考えても見てほしい。内閣総理大臣に会える人間など、今の日本にどれだけいるであろうか。
そりゃあ、そんなご身分になれば隠居だって出来るであろう。


なお、会わせてもらった理由は歌の師として推挙されたからである。しかも、見事にご縁がなかったあたり、「持ってるな」言わざるを得ない。

話を戻す。
エリート・エピソードをもう一つ。
鴨長明の若は、『新古今和歌集』に十首も選ばれている。

もはや、文化的エリートであることを否定するのには、かなり馬力が必要である。

その頃、世界では

一方、話を下々の下界に転じよう。

彼が挫折を感じた30歳前後は、源氏と平家が国を二分して相争っていたころである。数多くの人間が本気で戦い、多くの人間が惨い最期を迎えていた。
戦いの跡地には死体から沸いた膿や蛆が川のようになっていたから蛆川という地名が残されているところもあるらしい。
戦に巻き込まれて略奪された町や村の人々だってたくさんいたのである。

視野の話

もう一度言う。
辛いか辛くないかは本人の認識による。
本人以外にはその辛さは分からない。
鴨長明も辛かったのだ。

きっと現代と違って、彼等の世界は改装や職種ごとに大きく分断していたのだろう。それでも、飢饉のときに都に行けば死体からの腐敗臭が漂っていただろうし、源平合戦で京都が戦の舞台になったことは当然ある。

ただ、それにしたって、もっと視野を広げても良かったんじゃないか。
それにきっと、鴨長明よりも広い視野を持っていた人だっていたはずだ。ただ、後世に名にも残していないだけで。

もう少し彼の視野が広ければ、彼の文章はさらに鋭く美しいものになっていたのではないか。
現代を生きる私は、そんなことを思ってしまう。
せめて。自分の視野の外にも世界があるいうことにだけでも気づいていたら。


もったいない。

羨むような教養とセンスを持っているのに、どうして、そんなところで躓いてしまうのか。
仏教的な無常観を語っているけれど、それは自分の惨めさを世界に投影しているのではないか?
世界は心の持ちよう一つで変わるって言ったのは貴方自身じゃないのか?
搭載しているエンジンは完璧なのに、どうして。


どうして。

結びに変えて:『方丈記』の魅力


いろいろ言ったけれども、私は恵まれている者への嫉妬と同族嫌悪が入り混じった複雑な想いで『方丈記』の頁を繰った。

『方丈記』の魅力はそこにある。
鴨長明はあまりにも人間らしいのだ。世俗を捨てても未練を捨てきれず、自分の浅ましさに気づいていながらも変えられず、気づけば年を重ねて死を覚悟する年齢にもなっている。

そして、それでも若い苦悩を捨てられない。

視野狭量で、自意識過剰で、何もかもが中途半端。
そのくせ教養と文章能力は抜群。
悟りの境地と未熟な感性が入り混じる、あまりにもいびつで、だからこそあまりにも人間らしい。


人間って、本当はだれしもこういうものなのではないだろうか。
普通の人は取り繕うのが上手くなっていくだけで、鴨長明はあまりにも自分の哀れさにも誠実なのだ。
それってめちゃくちゃかっこ悪いけど、めちゃくちゃ潔い。そして、かっこいい。


出来れば、鴨長明さんとは話をしてみたいものだ。
だって、ちゃんと話をしなければ本当の腹の内は分からないからである。
800年も前の人物に対して、そんな思いを、叶わぬ願いを抱かせてしまう。

文章とは、なんと美しく、なんと残酷なものである。

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