神社の古代史/岡田精司

こんにちは。

『神社の古代史』は古代日本において重要な役割を果たした神社について、少ない史料からその成立過程を解き明かしている一冊です。

著者は三重大学で教鞭を取られていた故岡田精司先生です。

公演の内容を文字化したもので、有名な観光名所となっている神社の意外な一面について分かりやすく読むことができます。

そのうえ巫女、古墳、交易など魅力的な用語もたくさん登場します。
非常におすすめです。

古代における日本人の神の概念と神社の成立要件

古代における日本の神の概念には4点の特徴がありました。

  • 古代日本ではあらゆるものに心霊が宿っていると考えられ、多様な神格が存在した
  • 神は平時は人里に住まない。遠方にある清浄な地、山の奥や海の彼方にいて、祭りの時だけやってくる。
  • 神は目に見えないものであり、像は本来作られるものではなかった。
  • 神と死者は本来は全く区別されていた。


また崇拝の対象としては、

  • 山や島などの人里離れた場所
  • 岩や樹木などの自然物
  • 鏡や剣などの神聖な物体

などが選ばれました。

また、神を迎え入れるためには物忌みをする必要がありました。
お籠りをして不浄に触れぬようにしたり、世俗の火で焼いたものを食べないようにしたりなどです。

神を迎え入れるためには清浄でなくてはなりませんでした。

という前提のうえで、大神神社、伊勢神宮、宗像大社、住吉大社、石上神宮、鹿島・香取神宮の成り立ちについて論じています。

各神社の古代における役割と成立過程

1. 大神神社(おおみわじんじゃ)

奈良県桜井市にある大神神社には現在でも本殿がありません。
地方豪族三輪氏が氏神としていた三輪山をご神体としています。

大神神社は古い信仰を残しているという特色があります。
例えば、ほとんどの神社は古代中国の「君子南面」思想の影響を受け、南側を向いていますが、大神神社は西を向いています。


他にも境内にも山中にも神が宿る磐座(いわくら)としての自然石/巨石を信仰のスポットとした場所が多数あります。

また、蛇信仰も強く残っています。
三輪山の杉には蛇へのお供え物として生卵が置かれる風習が残っています。
三輪山の姫の元に美男に化けた蛇が夜な夜な現れるというエピソードが古事記/日本書紀にも残されています。
また、三輪山の蛇を捕まえさせた雄略天皇が身を清浄にしないまま見つめたら蛇が輝きだして眼光も変わってきたので、慌てて逃げたという話もあります。

大神神社周辺には最初期の前方後円墳が多数あり、三輪山には天皇の霊がいるという説話も残されています。
冬至は神に使える皇女は伊勢にしないはずなのに、大神神社にもいた伝承が残っているのも興味深い点です。

古代において、天皇は一つの系統から出るのではなく複数の系統から選ばれており、大神神社周辺はその一つだったと著者は考えています。

伊勢神宮

伊勢神宮は三重県伊勢市にあります。

江戸時代にお伊勢参りがブームになるなど庶民のお宮というイメージがありますが、本来は天皇のためだけの神宮でした。
特徴としては、神社全体の構成が外宮と内宮に分かれていることが挙げられます。

古代において伊勢神宮に務める人には3つのグループがありました。
中央から派遣され事務局にあたる大神宮司、
禰宜をトップして祭りに関わる人々、
そして、第三のグループにあたるのが斎宮にいる人々です。

トップにいるのは斎王(いつきのひめみこ)とよばれる皇女です。
いわば、神に使える神聖な巫女です。
斎宮寮と呼ばれる役所も置かれ、管理していました。

斎王はそこでお籠りをして神に仕えていました。

ヤマト中心部ではない伊勢神宮に天照大神が祀られている理由として、外宮のすぐそばには土着豪族の古墳があることや内宮には伊勢にきたのが外宮より遅い家柄の豪族が世襲してきたことがヒントになると著者は考えます。

さらに天照大神が映ってきたのは、倭王武が宋に使者を送った年が合致していることにも意味がありそうです。
また、この時期は日本書紀によれば有力豪族達が雄略天皇の手にかかり、没落していった時期でした。

古来においては一本ではなかった天皇の系統に関して、何らか動乱が起きて、その結果土着の豪族を祀る神社に天照大神が伊勢神宮に移され、内宮ができたのではないかと予想しています。

宗像大社

宗像大社は九州本土以外にも沖ノ島と大島と三か所あり、海上含めてずば抜けて広い面積を誇る大社です。

5世紀から7世紀において朝鮮や中国に向かうルートの一つの途上にあり、安全を祈るため様々な儀式をなされてきました。

ここでは、雄略天皇が新羅を打つべく神をまつるため、男女2人に祭壇で性行為をさせる儀式を行っているのことがお注目に値します。
島の遺跡を見ていると、古い時代のものは巨石の上に道具を並べて儀式を行っていたようです。

外交的に深い意味を持つ神社でもありましたが、もともと筑紫の地方豪族の氏神でもありました。
しかし、平安時代に外交が途絶えてくると、立地的な重要性を失い、再び地方の氏神的な神社に戻ります。


その後は宗像氏の庇護のもと、博多の商人から信仰を集めるようになりました。

住吉大社

住吉大社は大阪市にあります。
祀られる神は住吉神です。
日本書紀において、イザナギが黄泉の穢れを落とした際に海の神達とともに誕生します。
また、神功皇后に神がかりし、新羅討伐を命じたのも住吉神です。

住吉というのは古代では<すみのえ>と読み、水が澄んで綺麗な入り江にあったのでそういった名前であったようです。
水辺の神・海運の神としての性質を持っていましたが、徐々に住吉から出征にでかける海外征伐の神へと発展していきました。
神主を世襲していた津守連は外交でも活躍しています。

平安時代に書かれた『住吉大社神代記』では、住吉大社と神功皇后が「密事」をしたとまで記載し、その繋がりを強調します。
そして、当然住吉大社では神功皇后を祀っています。

しかし、 『住吉大社神代記』 には『姫神の宮』という文言も見られます。
姫神とは神に仕える巫女が神格化した存在です。
本来の神功皇后の存在が大きくなる前に祀られていたのは、姫神だったのではないかと推測しています。


住吉大社もまた、海外との国家的な交流がなくなってくるとその性質が変わります。
熊野詣の途中にあるため、風光明媚な歌の神へと変貌しました。

石上神宮

石上神宮は奈良県天理市にあり、禁足地から日本神話に登場すると霊刀フルノミタマが発掘されたことが有名です。

物部氏が氏神としていたとされていましたが、本書では疑問が呈されています。

古い逸話にはイニシキという皇族によって刀剣を石上神宮に捧げるものが複数あります。また、天神蔵<あめのほくら>という高い場所に位置する蔵に納められていました。

皇族を奉仕されることは、豪族の氏神としては不自然だと著者は考えます。
そして、国家的な戦いに要する武器を収蔵しておく場所だったと想定しています。

集められた武器は、その後中央集権化が進むと反乱の恐れがなくなり、収められた武器は地方豪族へと返還されます。

そして、国家とも結びつきも薄れ、中世以降は鎮守神としての機能を持つようになります。

鹿島・香取神宮

鹿島・香取の両神宮の特徴としては本殿が北に向いていることです。
また、常陸国で地震が起きるのを防ぐためナマズが抑えているという言い伝えが残されている要石があります。

東国の平定が終わった7世紀以降、蝦夷が朝廷のターゲットになります。
さらに桓武天皇が平安京に遷都した9世紀前後からその勢いは高まります。
分社された神社は蝦夷軍事拠点に限られており、北部侵略の拠点であったと考えられます。

そして、蝦夷討伐が終わると両神宮と国家とのつながりは途絶えてしまいます。
しかし、明治維新以降、軍神としての性質が浮き立つようになり、再び国家との繋がりを強めるようになります。

古代における神社:その他

氏神という言葉の概念、巫女さんの給料、古代神社の一年間のスケジュールなど、面白い内容もまとめられています。

興味のある方は是非読んでみてください。

おわりに 古代における神社の変遷

いかがでしたか。

神様と言えば、人間のうえに立つ存在というイメージがあると思います。
でも、実際には神社という信仰の場所に与えられる役割が、その時々の人間の都合で変わっていくのが面白いですね。

それでは。

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