春ねむりの音楽はなぜ壮絶で、どうして鮮やかに響くのか?


春ねむりの音楽が好きだ。

でも、どんな音楽なのかを説明するのはとても難しい。
どうして好きなのかを説明するのかも難しい。

なぜか。既存の音楽カテゴリーに上手くはまらないからだ。

ただ、奇抜な音楽というわけではない。

それは真っすぐで、純粋で。
魂を削って生み出したような、鮮烈な輝きを放つ。


たぶん、カテゴリーとしてはポエトリーリーディングが一番近いのだろう。

ただ、ヒップホップの強い影響を受けている人たちが多いそのカテゴリーのなかにおいて、彼女の音楽は非常にロック寄りだ。

言葉の後ろには、エレキギターが鳴り響くロックサウンド。

ヒップホップともロックとも言い難い、かといっていわゆるポエトリーリーディングともちょっと違う。

だから、単純な言葉にカテゴライズするのは難しい。

と、ぐだぐだ言ってもアレなので、まずは個人的に衝撃を受けた曲を紹介したい。



せかいを終わらせる呪文を唱えて 翌朝目が覚めてしまっても


勇ましいストリングスが良いとか。
ジャキジャキしたエレキギターがエモいとか。

その音楽は色々言葉で称賛することはできる。

ただ、その魅力の根底にあるのは、圧巻の存在感を放つ春ねむりのエモーショナルな言葉だろう。

愛と怒りのファンファーレ いのちの土壌で響きわたれ

フックで繰り返されるこの言葉は、春ねむりの音楽を象徴していると思う。

愛と怒りのファンファーレ。

それはきっと、貴方の心に力強く響きわたるはずだ。

初期の春ねむり:衝動うずまくセカイ系


2016年のデビュー時から現在まで、春ねむりのメンタリティは変わってる。

敢えて分かりやすく例えるなら、内向的な文化系から怒りを爆発させるライオットパンクへ。


もっとも、これは分かりやすい比喩なので、実際は初期でも暴走しそうなエネルギーとかフェミニズムが渦巻いてるけど。

初期のをいくつか。

ダークなサウンド、エレクトロニカっぽいトラック、うごめくような心の軋み。
不安定な情感が醸し出す迫力がすごい。


『僕だけがいない街』や不可思議/wonderboyを思わせるリリックも。


続いてはこちら。kick in the world。

ロックなトラックに、鮮やかな初期衝動。

伸びやかなストリングスときらめくようなエレキギターを背に、命の輝きを紡ぐ言葉たち。
大げさかもしれないけど、「これこそが音楽の持つ輝きだ」と感じる。


続いてはミニアルバム『アトム・ハート・マザー』より。


こちらも切なくポップなロックナンバー。
自己肯定を高めようとするような、鮮やかな疾走感がたまらない。

最後にこちら。

私は比較的最近に春ねむりを知ったので、どストレートな愛情剛速球ソングっぷりにかなりの衝撃を受けた。

この頃の楽曲から受ける印象

初期はこんなところ。

どうだろうか。

個人的な見解として、良い意味で、このころは少し浮世離れしているところがあるように思う。

また、内向的なメンタリティも、日本のいわゆる文化系的な質感に近い。
先に触れた件以外にも『最終兵器彼女』へのシンパシーを見せた曲もあるし。

自分の周りの日常を叙情的に捉え、それが世界全体へと広がっていくような。
今も通用する言葉なのかは分からないけど、セカイ系的だ。

ただ、人は誰しも変わっていく以上、音楽だって変わるほうが自然だ。
彼女の音楽は攻撃的に、怒りが込められた音楽性へと少しずつシフトしていく。

過渡期の春ねむり:ロックに苛立ちを溶け込ませて

この『春と修羅』が1stアルバムになるらしい。

以前のような叙情的な内向性もあるがロック的なラウドさは強まり、不条理への苛立ちを秘めた曲が増えているように感じる。

特に『鳴らして』はそんな迫力が良く出ている。

中途半端な不感症 中途半端なファンタズム 中央線飛び込めなかったよってきみは泣かない

絶叫するボーカルの気迫は、圧巻と言う他ない。

こっちはあんまりこの流れとは関係ないけど、好きな曲なの紹介しておく。
ソリッドでノイジーなトラックに乗せて、己の存在を証明しようとするような言葉が溢れ出す。

『春と修羅』は全体的にそれまでの作品より力強さが増していて、それを象徴している曲だとも思う。

続いて、こちらの『LOVETHRISM』。



Pink Unicornは後々の怒りを壮絶に突き刺すような楽曲の先駆けとも言える、鮮烈な魅力を持つ。

詩なんて結局本人しか意味が分からないし、本人が常に本当のことをいう訳でもないからあんまり解釈するのは意味がないけど。

でも、「Feel or Die,Think or Die」という一節は、そして全身全霊のブチ切れながら叫ぶ「Die!」は強烈な感情を内に秘めていないと出てこないリリックではないだろうか。

それから、Riotも好きな曲だ。

今までの春ねむりっぽい鮮やかな詩情を全開にしている、疾走感全開の一曲。

日本のインディーロックって素敵だなと心底思う。
あと、最後に一瞬に滲ませるブチ切れが、聴き手の心をぶっ刺すような迫力を秘めている。

過渡期のまとめ

では、このころの作品についての私的な見解を。

この頃はそれ以前の春ねむりっぽい感じに、世界への苛立ちを混ざりつつあるように思う。
ただ、基本的には内向的で鮮やかな叙情性を強く帯びていることは変わらない。

大きく雰囲気を変わるのはこの後、シングルでのリリースが中心になったころから。

ェミニズムを根底に秘めた、理不尽な世界への徹底的な糾弾へと。

叫ぶ春ねむり:フェミニズムとパンクとポエトリー

決定的な変化となったのは、Bangからだと思う。

ガラパゴスで笑えないジョーク。また画面越し誰かが泣いてる。

アグレッシブさを全面的に出している。

怒り。

今までの作品は苛立ちを滲ませる時も叙情性のフィルターをかけていたけど、Bangは違う。
剥き出しで、力強く。気迫と闘志、勇気と生命力。
猛る魂が脈打つ言葉の連なりが、うなりを上げて吹き荒れる。

直接的で、だからこそ一直線に一気に深く聴き手へ迫る。

続いては、「祈りだけがある」

怒りを抱えて のたうち回って この狭い部屋に 祈りだけがある

物憂く控えめに始まるトラックが、クライマックスでは悲しみや怒りの爆発へと展開する。

春ねむりによる言葉にならない咆哮も強烈で、聴く者の心を有無を言わさず揺さぶるはずだ。

今度はOld Fashioned。

こちらも近年の春ねむりが持つ魅力が、現れている楽曲だ。
社会とそれを構成する思慮の足りない者への嫌悪・苛立ち。
そして、力強い生への肯定。

力強く、聡明で、圧倒的な存在感。

最後はDeconstruction。

世の理を鋭く切り取り、知性的な言葉と勇壮な魂で歌い上げる。
「個人的には」という留保をつけるけれど、春ねむりの音楽の一つの完成形なのではないかとも思う。

あまりにも素晴らしく、私の稚拙な言葉を尽くすことの意味を感じられない。

この頃の作品の思想に対する、私的な所感

※この項目では私の完全な主観のみを述べており、しかも春ねむりの主張に対して全面的な同意をしているわけではない。抵抗を覚えそうだ、と思う方は読み飛ばしていただけたらと思う。

これから先に書くことは、あくまでも私の推測である。
彼女が公にしている文章のうち私が目にしたものから受けた感覚に基づいて、書いている。

つまり、本当のところはどうかなのか分からないということだ。

この時期の音楽は、音楽自体に直接的に現れていないが(つまり節々からは感じられる)SNSを通して放たれる文章を見る限り、理不尽な世界/日本社会/それを生み出した男性への怒りが原動力になっているように感じる。

フェミニストではあるけど男性が嫌いなわけではない、とSNSで記していた。
それがある面では正しいようにも思えるが、実際には文章やリリックの節々を見ていると悪の大部分を男性に帰しているようにも思える。

その点については、私個人としては同意できない。

私はマジョリティとしての男性だけでなくマジョリティとしての女性にも激しく苦しめられてきた。
両者に明確な個性の差異はあれど、醜悪さの度合いには一切差を感じなかった。

そして、社会は多種多様な醜悪さが長年積み重なって醸造されて出来上がるものことを忘れてはならない。
少なくとも私の培った経験と自分なりに真摯に世界を理解すべく積み上げてきた考えに照らせば、二項対立的に被害・加害/弱者・強者/善・悪の関係が成り立つケースは、あらゆる物事においてSNSで思われているほど多くはない。

SNSで散見される個々人の主義主張とその奥から垣間見えるメンタリティから察する限り、今のまま男女の地位が平等になっても、あるいは男女の立場が入れ替わっても、日本という地獄の色彩が変わるだけとしか思えない。

もちろん、あらゆる差別や不平等は許されてはならない。
しかし、彼等の言っている自体に全面的に同意できることは多々あっても、それでも、どうしても違和感を拭えない。

何と言えば良いのだろうか、同じ行き先を目指して同じ道を歩いているけれど、それはあくまで氷山の一角にしか過ぎず、だから仲間とは認識できない。みたいな。

ただ、現在の潮流が大外れではないのも事実だ。地獄の色が変わるだけでも変化は変化、一歩は一歩。

過去を振り返れば人類は何度も過ちを繰り返しながら、する必要のない失敗を繰り返しながら、時に取り返しがつかないと思えるほどの後退をしながら、少しずつ前に進んできた。今の人類もまた、同じ流れに乗っている。

さきほども書いたが、これは彼女が公にしている文・言葉から私が感じたことであり、ただの印象だ。本当の彼女の考えを捉えているかは分からない。

実際は全然違うことを考えているのかもしれないし、彼女の博識さを考慮すれば私が考えているよりもずっとずっとものごとを深く考えているということは、非常にあり得そうだ。

安易に他人を理解した気になるのは、相手が持つ人間としての複雑さや豊潤さや積み重ねてきた喜びや苦しみに敬意を払わないことを意味する。

まとめ

全身全霊で責任を背負う

思ったより長くなってしまった。

言い訳しつつ書かせてもらうと、長い文章を書かせるだけの感情を喚起させる力が、春ねむりの音楽にはある。

さらに言えば、当然すぎることではあるが、私なんぞの文章にはそれだけの力がない。
それはなぜか。言葉に込めた意志や存在証明の気迫が違い過ぎる、という面も存在するのは間違いないだろう。

音楽家として、その顔と名前と責任とキャリアと積み上げてきた人生をかけて、社会から反発を食らう主義主張を唱えることがどれだけ重たく大変な事か。

きっと私なんかには、その苦しさの全てを想像することさえできないだろう。

そして、春ねむりにはそれだけを賭しても伝えたい感情や主張があって、それを実際にしている。

凄すぎる。
尊敬を覚えるに決まっている。

春ねむりの音楽はなぜ壮絶で、どうして鮮やかに響くのか?


つまり。
春ねむりの音楽と言葉は相手の心に突き刺さり、残り続ける。

それがどれだけ凄いことか。
ましてや、必ずしもその意見に同意できないと思っている相手の心に響かせるなら、なおさらのこと。

私は春ねむりの作品のなかでも、個人的に過渡期と考えている時期の作品が特に好きだけど、一番長く心に残るのは激しい怒りを感じさせる近年の作品だと思っている。

なぜなら、近年の春ねむりの作品には他の追随を許さぬ鋭さがあるからだ。
心の奥深くに残りつづけ、折に触れては自分の正しさが、本当に正しいのか考え直す機会を与えてくれるからだ。

私だって何度も何度も考えさせられてきた。

春ねむりの言葉に同意してもいい。同意しなくてもいい。
どちらともつかないモヤモヤを抱えても良い。

ただ、春ねむりの言葉は、自分の在り方について見つめ直すきっかけになると思うのだ。

春ねむりの音楽はなぜ壮絶で、どうして鮮やかに響くのか?
それはきっと、誠心誠意伝えようとする真っすぐな熱意と、自分の感情をさらけ出せる誠実さがあるからだと思うのだ。

春ねむりの言葉は長く長く心に残る。
貴方が真摯に向き合うのであれば、その言葉はきっと貴方を前に進めてくれるだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です