注意:真名ネタバレ含みます!
こんにちは。
FGO聖地巡礼、今回は特定の人物のみにかかる聖地ではありません。
複数の運命が、一瞬だけ交差しすれ違った刹那の聖地です。



今からおよそ800年前にアーチャー・インフェルノこと巴御前と牛若丸こと源義経、さらにはその郎党弁慶が命運をかけて戦った場所です。
というわけで京都府宇治市にある宇治川に行ってきました。
FGO聖地巡礼 英霊の交差地 川沿いでの決死の攻防 アーチャー・インフェルノVS牛若丸・弁慶
歴史的背景
歴史の表舞台に飛び出す木曽義仲と巴御前
12世紀末、都を支配していた平家を打倒すべく源氏が各地で蜂起します。
そして、破竹の勢いで勝利を重ねて上洛を果たしたのが木曽義仲です。
巴御前は彼の乳母兄妹でもあり、家臣でもあり、愛妾でもありました。
失権していく木曽義仲
後白河法皇との関係が上手くいかなったこともあり、義仲は権力を失っていきます。
水島の戦いで平家に敗北したこともあり、かつては数万いた軍勢も離れ、宇治川の合戦の前には、千人程度になっていました。
義仲に迫る牛若丸こと源義経。そして、宇治川の合戦
後白河法皇は密かに源頼朝に義仲打倒を打診します。
そして、源頼朝が打倒義仲のために派遣したのが牛若丸こと源義経です。
義経は京に向けて進軍し、圧倒的な人数で京を包囲します。
一方、義仲は橋沿いに軍勢を敷いて迎え撃ちます。
両者は宇治川を向って挟み合うことになりました。
守る義仲に攻める義経、宇治川の合戦の始まりです。

宇治川の戦況:牛若丸・弁慶達の圧倒的な包囲網と、絶望的な獅子奮迅を繰り広げる義仲・巴御前達。
攻防の行方1 川という名のデッドライン
数万ともいわれる義経の軍勢に対して、義仲は橋の近くに合計600騎、自身は100余騎と共に院御所(上皇の住処)を守っていました。
(巴御前も義仲の隣にいたことでしょう)

この写真は、義経側から義仲側を見たものです。
義経(牛若丸)達が宇治川に辿り着いたときには、橋板は外されていたそうです。
川を渡ろうとする者がいれば矢が雨のように雨のように降り注いだんだとか。
しかし、義経側の戦意が折れることはありませんでした。
動画で見ると分かりますが、数多の殺意をぶつけ合うには現在の川幅は決して広くありません。
過去においてもそこまで大きく違うことはなかったでしょう。
両岸で渦巻く緊張感と敵意が、火花を散らしていたに違いありません。

有名な宇治川の先陣争いなどでも知られるように義経軍は果敢に矢の雨へと飛び込み、ついには宇治川を突破します。

こちらは義仲側から見た光景です。
迫りくる鬼気迫る様子で川を突破してくる数万の軍勢はさぞ恐ろしかったことでしょう。
特にFGOユニバースでは怪力の巨漢弁慶やぞっとするほどの冷静さで刀を振るう義経がいたわけで……。
考えたくもありませんね。
ライン突破後 あっけない幕切れ
この一報を聞いた義仲軍は義経軍を迎え撃つべく院御所から進軍します。
つまり、彼等が正面からぶつかりあった可能性が高いでしょう。
しかし、奮戦するも兵力差には勝てず義仲軍は再び義経に突破され、がら空きの院御所を占拠されてしまいます。
そして、義仲達が院御所に戻った時には、義経達が強固に陣取っていました。

こちらは院御所ではなく、御所ですが参考までに。
ここに牛若丸や弁慶達が立ちふさがっていた時の、巴御前達の絶望たるやあまりにも深いものだったことでしょう。
彼等が築き上げてきたもの全てが終わったことを意味する、といっても過言ではなかったでしょう。
巴御前のその後
義仲達は京からの逃亡を試みますが、包囲網を突破できずに討ちとられます。
そして、巴御前はその死に目にさえあうことが出来ませんでした。
その後については諸説あるようですが、FGOユニバースでは仇敵たる鎌倉方の御家人和田義盛に側室として召し上げられているようです。
牛若丸と弁慶のその後
一方、義経は入洛を果たし、歴史の表舞台に躍り出ることになります。
さらに勢いそのままに平家討伐においても大活躍し、日本史有数の大スターとして日本史に名を残します。
つまり、宇治川はまさしく運命の交差地と呼ぶべき、双方にとって全く意味合いの異なるターニングポイントとなっているのです。
ただし、やがては義仲のように京から追い立てられることになります。
盛者必衰の理、とはまさにこのことでしょう。
余談:カルデアでの再会
余談ですが、そんな両者が再開を果たしたイベント『節分酒宴絵巻 鬼楽百重搭』は印象的でした。
突如現れた百重搭を巴御前が昇りながら、各階のボスを倒していくというストーリー展開でした。
そして、40階のボスとして牛若丸と弁慶が登場します。
宇治川の合戦で勝利したことでどれだけ巴御前の人生を変えてしまったか、弁慶はよく分かっています。
それは容易に解決できる問題でなく、慎重に向き合わなくてはならないことも分かっています。
だから、鬼の仮面を被って正体を隠そうとします。


巴御前もそんな弁慶の意図を汲んで、敢えて正体が分からないふりをしています。
かなり、ぎこちないですが。


二人とも大人ですね。
バトルが終わった後も、巴御前は色々な感情をぐっとこらえて先に進みます。


弁慶も、そのことをきちんと理解して胸を痛めています。

巴御前と弁慶は、個人的な感情や出来事を慎重に取り扱っています。
そこには様々なものがまとわりついていることを分かっているからです。
しかし、牛若丸はその辺が機微が全く分かりません。


巴御前との関係が決定的に壊れることを言い出すのが目に見えていました。
聡明な弁慶は彼女がやってくる前に、牛若丸を戦いの場から遠ざけたのです。

コミカルではありますが、「許すこと」「許されること」という非常に深いテーマを描いているワンシーンではないでしょうか。
FGOユニバースの巴御前達にとって、この百重搭は再びの交差地と言えるでしょう。
この時はすれ違っただけでしたが、やがては、どうでしょうね。
宇治川の周辺:英霊達が見た場所
宇治川の周辺には平等院鳳凰堂をはじめ、貴重な史跡があります。
宇治上神社
その中でも特に注目したいのが、宇治上神社です。

立地的には、義仲勢が陣取った側の、川沿いすぐにあります。
そして、ここの本殿は平安時代の後期に建てられたものなのだそうです。
つまり、英霊達が生きていた時代に存在していた可能性が非常に高いものになります。

ここで勝利を祈ったり、あるいは感謝したりもしたのかもしれません。
彼等の願いが染みているのかもと思うと、ロマンがありますね。
平等院鳳凰堂
牛若丸が陣取った側にあります。
11世紀中ごろに創建された仏教寺院です。

宇治川の合戦があった頃(1184年)は、まだまだ新しい寺院でした。
宝物には彼等が生きていた時代のものが多々あります。
彼等が眺め、触れていたかもしれません。
写真撮影は不可でした。
宇治十帖モニュメント(源氏物語)
時代は200年近く遡りますが、宇治川は紫式部による源氏物語終盤の舞台になっています。
光源氏の孫にあたる匂宮がヒロイン浮船を小舟に乗せて自分の隠れ家へと連れ出すシーンを描いたモニュメントが、先陣争いの碑のちょうど対岸にあります。

小舟に乗って想い人を連れ出す……。
馬に乗って激流を乗り越えようとして、矢の雨が浴びせてそれを防ぎ、決死の覚悟で宇治川の合戦からは想像がつきませんね。
紫式部の時代には、宇治川は貴族達が香を焚き、川のせせらぎを聞きながら雅やかな恋愛を繰り広げるのにぴったりなしっとりとした場所だったのでしょう。
激動の時代を生きた巴御前、牛若丸、弁慶は、その事実をどう受け止めるのでしょうか。

FGO的聖地巡礼(アーチャー・インフェルノ、牛若丸、弁慶)への行き方
宇治川先陣乃碑
宇治上神社
平等院鳳凰堂
宇治十帖モニュメント
FGO聖地巡礼 今回のまとめ アーチャー・インフェルノや牛若丸・弁慶達の時代があって、紫式部達の時代があって、今があること
宇治で食べた宇治金時がとっても美味しかったです。
小豆を金時というのも、坂田金時がすぐ顔が赤くなるからだったらしいですね。
紫式部が生んだしっとりとしたイメージと、源平時代の勇ましいイメージと。
そんなこんながあって美味しい抹茶ソフトクリームがあるのではないでしょうか。違いますか…。
それでは。
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