FGO聖地巡礼(アーチャー・インフェルノ編)

真名ネタバレ含みます! ご注意を!


こんにちは。

今回のFGO聖地巡礼はアーチャー・インフェルノです。

©TYPE-MOON / FGO PROJECT

彼女、可愛いですよね。

巴御前は12世紀末の人物です。
源平合戦で活躍した木曽義仲の乳兄妹にして愛妾であったと言われています。
弓を討っては鷹を落とし、太刀を振れば大木を断つ怪力の武将として後世に名を残しました。
そんな彼女の聖地を巡るべく長野県木曽町富山県小矢部市京都府京都市神奈川県三浦市神奈川県横浜市滋賀県大津市に行ってきました。

FGO的聖地巡礼 アーチャー・インフェルノこと巴御前編

巴御前の生まれ故郷(長野県木曽町)

木曽は巴御前の生まれ故郷でもあり、義仲と一緒に育った場所でもあります。
巴と義仲が一番多感な時期を過ごした場所ともいえるでしょう。
それゆえ、巴や義仲に関する様々なゆかりの地が残っています。


義仲館

義仲が屋敷を構えた宮ノ越には義仲の生涯を追う資料館があります。
巴御前もかなりフィーチャーされています。

入り口には義仲と巴御前の銅像があります。

綺麗です。薙刀も似合っています。弓矢はありません。

館内にある人形でも、四天王を差し置いて義仲の隣に立っていました。

やはり弓は持っていません。

館内はこんな感じです。
義仲の生涯や日本全国に散らばる義仲とその家臣たちのゆかりの地が紹介されていました。


徳音寺

木曽義仲の菩提寺ですね。
ここには巴御前の墓があります。

入口はこんな感じです。


境内はこんな感じです。



こちらには馬に乗ってる巴御前がいます。
義仲館の巴御前に比べると肉感的です。



その隣には、穴に水がたまった岩があります。

何でも義仲が巴御前に「木曽川を超えてみるんだ。そうしたら自分の女にしてあげよう」と言ったそうです。

巴御前は馬に乗って木曽川を超えました。健気です。

これは着地した馬の蹄が作った跡なのだとか。
ここに溜まった水で手を洗った後、巴御前のお墓にお参りすると美しくなるそうです。


さて。手を清めたらさっそくお墓に行きましょう。

龍神院。すごい法名です。
巴御前が龍神の化身と言われていたことと関係しているようです。

門からお墓までの道のりを取った動画はこちらです。
巴御前の墓の周りには、義仲や他の家臣などの墓もあります。



旗挙八幡宮

義仲の屋敷があったと伝えられている場所です。
巴御前も長い時間を過ごしていた場所ということになるでしょう

動画で見るとこんな感じです。

旗挙八幡宮という名前からも分かるとおり、義仲が平家打倒の旗挙げを行った場所でもあります。
巴御前も、力の限り鬨の声を挙げていたのかもしれません。

二人はここでどんな日々を積み重ねていたのでしょうか。

今となっては知る由もありませんが、ここには少しだけ手掛かりがあります。
それがこの神木です。

何でも義仲が元服したときに植えられたという説もあるのだとか。

きっと幼い巴御前も喜んでいたでしょう。

嬉しそうな義仲と自分の事のように喜ぶ巴御前。
そんな光景が目に浮かびます。

これは屋敷跡から木曽川沿いを撮影したものです。
きっと、二人も並んで同じような景色を見ていたのでしょうか。


巴淵

巴淵は巴御前がよく水浴びをしていたと伝えられている場所です。
こんな石碑が立っていました。

こんな石碑が立っていました。



そして、肝心の淵がこちらです。

都会ではなかなか見られない澄んだ水でした。

水浴びかー……。水浴びなー……。
そりゃあもう美しい光景だったに違いありません。

動画はこちらです。水の音が素敵です…。

この淵に宿る龍神が化身したのが巴御前という説もあるそうです。

義仲と巴御前達が最も勢いに乗っていた場所、倶利伽羅峠の古戦場(富山県小矢部市)

以仁王の平家追討の令旨を受けて挙兵した義仲達は平家の大軍と加賀、越前、越中などで転戦します。

そして、 天気になったのが能登国の志雄山に陣を構える平家軍への夜襲です。
10万をこえる平家の大軍を巧みに切り立った絶壁へと追い込み、容赦なく突き落としました。


源平合戦において最も名高い戦いの一つ、倶利伽羅峠の戦いです。


倶利伽羅峠と呼ばれるその絶壁がこちらです。

今では絶壁の前には慰霊碑が立っています。
そして、その絶壁を見下ろすとこんな感じです。

すいません。怖くて下にカメラを向けられませんでした。

ただ、それでもかなりきつい傾斜が見えるかと思います。

多くの兵士が落ちていき死んだこの地ですが、800年経った今では静かな時間が流れていました。

また、倶利伽羅峠の敗軍図も設置されていました。

この看板によれば、巴御前軍は平家軍を地獄谷に向かって突き落としています。

地獄谷は角に火をつけた牛をけしかけて谷底に平家軍を落とした場所とされています。

とりわけ凄惨な被害を与えた場所らしく、谷底には死体から溢れ出す膿の川ができていたそうです。

巴御前も鬼種の力を全開にして戦っていたのでしょう。


また、義仲軍が進軍したとされる道も残されていました。

なかなか荒い道で、平安時代の面影があるようにも感じました。
動画だとこんな感じです。

何にせよ、義仲軍は圧勝しました。
そして、勢いそのままに上洛を果たしますが、そこから彼等の命運が影を帯び始めます。

それについては幕間の物語での巴御前の言葉が物語っているので引用します。

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巴御前の炎が活躍した(?)舞台へ(京都府京都市)

炎を自在に操るFGO的な巴御前がもしも本当に存在していたならば大活躍したであろう場所が京都にあります。

それがこちらです。

修学旅行などで見覚えのある方もいらっしゃるでしょう三十三間堂です。


巴御前が生きていた頃、三十三間堂の周辺には後白河法皇が政務を行っていた場所がありました。
後白河法皇との勢力争いに敗れて平家と頼朝勢力の板挟みになっていた義仲は、この周辺を焼き討ちします。

権威の象徴である天皇家へのクーデター。強烈な行動です。

焼き討ちをするのであれば、(FGO的)巴御前ほど役に立つ存在はないでしょう。
焼き討ちの際にはあちこちに火が放たれ、そこかしこで煙が充満していたようです。
多くの者が逃げまどっていたとも記録されています。

この辺りにも巴御前が生み出した炎が轟轟と燃え上がっていたのかもしれません。
そんな(FGO的)巴御前の活躍もあってか、義仲軍は官軍に圧勝します。



ただし、巴御前が喜んでいたのかは分かりません。
この夜襲の際、義仲軍は既に危機的状況に追い込まれていました。
武力行為を正当化しうる天皇家を敵に回す行為を、聡明な彼女が喜んで行っていたとは思えません。

追い込まれるにつれ冷静な判断力を失う義仲を、辛そうに見つめていた気がします。

また、この焼き討ちで三十三間堂だけは焼け残ったそうです。
朝廷側にも強力な異能力の持ち主がいたのでしょう(FGOユニバース的に解釈すると!)

何にせよ、義仲達はこのすぐ後に牛若丸こと義経に宇治川の合戦で完敗し、歴史の表舞台から去ることになります。

巴御前、鎌倉での日々(神奈川県三浦市と横浜市)

和田義盛居城跡

義仲が亡くなった後に巴御前については諸説あるようですが、
FGOでの巴御前は「源平盛衰記」に記述に基づいた人生を送っているようです。

義仲の命令により一人生き延びた巴御前ですが鎌倉の武士達につかまります。
そして、「怪力を持つ彼女であれば、強い子供を産むに違いない」と考えた頼朝の重臣和田義盛の側室になります。


そして、そんな彼の居城があった場所であり、巴御前が長い月日を過ごした場所でもあるのがこちらです。



小さなお社のような場所になっています。
この辺りは「和田」が地名になっており、地元で愛されている武将のようです。




仇敵の妻として、彼女はここで朝比奈義秀という子を成します。

のですが、FGOでは義仲の子供ということになっているようです。

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鎌倉にほど近い三浦の地は、土地もなだらかで海も近いです。

故郷木曽とはまるで違う三浦の地、何を思って過ごしていたのでしょうか。

巴御前が化粧を直した井戸へ

何にせよ、穏やかであっただろう巴御前第二の人生も急に終わりを遂げます。
和田義盛が内乱により死亡してしまったのです。
さらに巴御前の子 朝比奈義秀も生死不明となり、巴御前は鎌倉から逃げ落ちることを決意します。

その途中に立ち寄り、化粧を直した井戸があったとして言い伝えられている場所が神奈川県横浜市の横根稲荷神社にあります。

井戸は稲荷神社の中にありました。
戦前は催し物や男女の出会いの場ともなっていた華やかな場所だったようですが、今は畑に囲まれた小さな神社です。

碑文の隣には、再現されたと思われる井戸がありました。
水はあんまり出ません。

また、石碑を覆う円状の石からは古めかしさを感じます。
ひょっとしたら、こちらが実際の井戸だったのかもしれませんが、説明が何もないので不明です。
気になります…。

神社全体の動画はこんな感じです。

ここは単なる化粧を直した井戸というだけでなく、巴御前にとって人生の区切りとなった場所でしょう。
愛する義仲と生まれ育ち、ついには上洛を果たした日々。
仇敵を夫とし、子を成し穏やかに過ごし、そのどちらも失った日々。

そして、もう若くはない彼女はここで化粧を直し、去っていきます。
その時、彼女はどんな気持ちだったのか。今では知る由もありません。


かつては愛する義仲の想いに届こうと走らせた馬を、どこに向かって走らせていたのでしょうか。

巴御前が義仲を弔っていた寺へ(滋賀県大津市)

そんな風に歴史から姿を消した巴御前が最後に姿を見せた場所があります。

義仲の墓所に、どこからともなく現れた巴御前が「我は名もなき女性」と自らを称して建てたと言い伝えられているのが義仲寺です。

(プロフィールにも義仲寺の名前が登場します)
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住宅街に突如として姿を見せる、慎ましくも凛としたお寺です。


こちらが本尊の聖観音菩薩です。宝具名の由来にもなっています。


義仲寺、江戸時代には荒廃していたそうです。
しかし、義仲の大ファンである松尾芭蕉が復興させたのだとか。
彼のお墓もあります。

義仲と芭蕉の大きなお墓の近くにあるのが、小さな巴塚です。

これは墓ではなく、塚です。
彼女はしばらく尼僧として義仲の菩提を弔っていました。
しかし、ある時どこにともなく立ち去り、生まれ故郷に信州木曽で生涯を追えたそうです。

この塚は、誰かが彼女を弔ってここに置いたんでしょうね。


境内、動画だとこんな感じです。

巴塚、とにかく小さいんです。義仲のお墓と比べるとサイズの違いに驚きます。

右が義仲の墓で、左が巴の塚です。

巴のたくましくも控えめな生き方が、小さな塚の凛然たる佇まいに表わされているような気がしました。

アーチャー・インフェルノ FGO聖地巡礼的ゆるみやげ

なんとも適当感漂う巴御前お香を買いました。
ビャクダンの香りだそうです。

800円でした。うむ。

こちらはお守りですね。

アーチャーインフェルノ的聖地への巡礼方法

木曽編

義仲館

JR宮ノ越駅より徒歩3分程度

冬季(12月から3月)は休業しているようです。
※すぐ近くに巴庵という蕎麦屋さんがあります。

徳音寺

JR宮ノ越駅より徒歩3分程度

旗挙八幡宮

JR宮ノ越駅より徒歩15分程度

巴ヶ淵

JR宮ノ越駅より徒歩25分程度

なお、JR宮ノ越駅近辺にはコンビニはありません。ご注意を。

富山県小矢部市周辺

倶利伽羅峠古戦場

あいの風とやま鉄道線石動駅からバス倶利伽羅不動尊で下車(15分程度)

山道です。きちんと準備をしておいたほうが良いかと思います。

京都周辺編

三十三間堂

市バス 博物館三十三間堂前 下車すぐ。



義仲寺

JR京阪電鉄膳所(ぜぜ)駅から徒歩5分程度

※駅近くに飲食店は多数あります。
※駐車場はないそうです。お車の方はご注意を。
※11月から2月まで閉館時間が1時間早くなります(16:00)
※定休日は月曜日ですが、 4~5月、9~11月は開門しているようです。

鎌倉周辺編

和田義盛の碑

バス停和田停留所徒歩1分程度

横根稲荷神社(巴御前が化粧を直した場所)

いずみ野駅より徒歩10分程度

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