エンドレス

古き良き西暦を生きている皆様はご存じないだろうけど、機械世紀を生きる俺達は生身の体なんて持っちゃいない。
 鋼鉄の体。ガラスの容器で培養された脳。限りなく無限に伸びた寿命。飛躍的に上昇した労働時間。俺たちは世界国家統合体のために日夜働き続ける。それが新たな人類、機械人形の存在理由だ。
 変わり果てたのは人間だけじゃない。世界は灰色一色に染まった。同じ外観のビルが見渡す限り立ち並び、工場の煙突からはどす黒い煙が立ち昇る。分厚い曇天は今にも大地に覆いかぶさりそうだ。
 午前七時、今は通勤の時間だ。同じ恰好の人形達がそれぞれの勤め先に向かってる。静かだ。誰も無駄口を叩かない。機械人形は非効率的なことなどしないからな。
 でも、俺は狭い部屋の中にいる。ベッドと窓しかない俺の王国。
 俺が勤め先に行かない理由は簡単だ。俺はもう壊れてしまった。
 窓ガラスに映る、俺の顔。皆と同じ鋼鉄の顔。だが、顔に埋め込まれた二つの視覚装置からは真っ赤なオイルがとめどなく溢れ出している。鼻腔装置からも聴覚装置からも体中の関節部からも。俺は激しい労働に耐えられずに故障してしまった。勤め先だった造船所での精密作業もできなくなってしまった。
 だから、職場に行くことを禁じられている。
 そういえば、もう長いこと誰かと会話をしていない。寂しい。孤独だ。この感覚を、きっと西暦に生きる君たちなら理解してくれるはずだ。嗚呼、西暦。生命の尊厳が失われた現代と違い、まだ非効率なものの存在が許されていた美しい時代。
 なんちゃってね。美しき過去への幻想だ。ちょっとした現実逃避だ。本来であれば機械人形は孤独に苛まれることはない。要望すれば孤独を中和する脳神経伝達物質を投与してくれるから。だが、俺はお薬をもらえない。もう壊れてるからな。俺が歩くだけで街が汚れる。俺が触れるだけで機械が壊れる。俺が完全に壊れて活動停止する瞬間を、社会はじっと待っている。
 いつのまにか、機械人形達の足音が聞こえなくなっている。
 皆、働き始めたのだ。それはつまり、俺にとっては散歩の時間だ。痛む関節をどうにか動かし、俺は殺風景な街並みへ足を踏み入れた。
 風の匂いに、街の物音に、生き物の気配はない。ほとんど死滅したからだ。俺は軋む体を引きずって、赤いオイルをまき散らして、何もない街を歩く。別に気分が晴れるわけじゃない。どこに行けばいいのかも分からない。知らない道を歩くのは怖いし、一度迷えば帰ってこれないかもしれない。
だから、行く先はいつも同じだった。通勤経路の途中にあった海岸線。果てしなく広がる水平線を眺めるのは何百年も前から好きだった。
 その日も、俺は海を眺めていた。すると、目の前を何匹かハエが横切った。昆虫は地上で生き残っている数少ない生命体だ。群れていることはほぼないのだが。珍しい。
 だが、その理由はすぐにわかった。海岸に立ち並ぶビルの合間に一体の機械人形が倒れていた。
 識別。個体ナンバー450087。過去の接触履歴、なし。
 こいつ、もう長くは持たないな。鼻からこぼれた液状化した脳にハエ達が凄まじい勢いで喰らいついている。体中もオイルで真っ赤だ。
 そう遠くない未来の俺が、そこにいた。
 死にかけの450087は俺の視線に気づいた。コンマ数秒のラグ。そして、俺の個体ナンバーを識別。
「よお、440029」
「喋れるのか? 450087」
「一応な。風前の灯火だがね」
 何と答えていいのか分からない。ハエの羽音だけが響く。
「お前、ボロボロだな。俺みたいになるのも時間の問題だぜ?」
「……お前に言われるまでもないさ」
「へへっ、そうかい」
 そう言うと450087は小さな箱を俺に手渡した。漆塗りの古めかしい木製の箱だった。
「それはな、玉手箱って言うんだ」
「玉手箱?」
 意外な単語が出てきて俺は驚く。玉手箱は西暦の日本で有名な昔話に出てくる小道具だ。まあ、君たちには説明するまでもないだろう。
  450087は俺に語り掛ける。
「海岸に向かってかざしてみな。奇跡が起きる」
「奇跡?」
「そこにはな、女がいるんだよ。生身の女が」
 女という言葉が、俺の鼓膜にゆっくり染み込んでく。生殖は一定の条件を満たす個体にしか認められない。俺には縁のない世界だった。
「だが、機械化されていない人間など存在するはずがない」
 生身の人間が消え去ってから、一体何万年の月日が流れたと思っている? そして、その間ずっと生身の人間の存在は禁じられてきたのだ。
「ったく、融通がきかねえな。実際にいるんだから、しょうがねえだろ。まあ、俺から言えるのは生身の女はすげえってことだ。機械の女とは比べ物にならねえ」
 俺は光に吸い寄せられる蛾のように、玉手箱を受け取った。
「最後の時間、たっぷり楽しんできな」
 450087の動きが静止した。目の光が少しずつ消えていく。あとは静かに世を去るだけだろう。
 俺は関心を玉手箱に移す。古めかしい。たしかに西暦の御伽噺を思わせる。
 玉手箱があれば、女が手に入る。
 身体中のオイルが激しく脈打つ。俺は上手く動かない関節部にきしませながら、海に向かう。身体中のオイルが激しく脈打つ。女がいる。俺は海に向かって玉手箱を掲げた。
 変化はすぐ起きた。
 轟轟と唸りを上げ、海が割れた。裂け目は大瀑布となって地平線の彼方まで広がる。大地が激しく揺れ動く。
 しばらくすると、裂け目から小さな潜水艇が浮上してくる。最新鋭の機体のようだ。世界国家統合体の潜水艇だろう。
 揺れがぱたりと収まった。
 ハッチが、静かに開いた。
 姿を見せたのは、既に絶滅しているはずの生命体だった。
 一糸まとわぬ、生身の女。
「ようこそ」
 瑞々しくも妖艶な声がした。
「竜宮城へ」

 竜宮城は小さな潜水艇だった。乗組員はその女だけで、ソナーの音以外には何も聞こえない。艇内は狭く、薄暗い。俺と女だけでも圧迫感を感じる。
 竜宮城はゆっくり下降していく。途中、女は不思議な響きの個体ナンバーを俺に告げたが、上手く認識できなかった。俺も自分の個体ナンバーを伝えた。しかし、女は興味がなさそうだった。
 女はほっそりとして背が高く、乳房も大きい。ゆったりとした所作にも艶があった。
「なぜ貴方は生身なのか?」
 俺は尋ねてみた。しかし、女は曖昧に笑うだけだった。
 やがて、竜宮城は海底まで辿り着いた。
 同時に、竜宮城から全ての音が消えた。
「では、乙姫の間に参りましょう」
 女は俺の手を取り、潜水艇の後部へと進む。そして、小さなドアを開けた。
「……何だ、これは」
 小さな部屋の真ん中にはベッドがある。壁は全て強化ガラス張りで、深海の様子が手に取るように分かる。
 リュウグウノツカイにダイオウグソクムシ、地球に残された唯一の巨大生命体である深海生物達の異様な威容がほのかに照らし出されていた。
「……すごいな」
「皆さん、とても驚かれるんですよ」
 女は微笑みながら俺をベッドまで連れていき、座らせた。女の白い手もベッドの白いシーツも俺のオイルで真っ赤に汚れていく。
「まずは玉手箱をいただいてよろしいでしょうか」
「あ、ああ」
 俺はオイルで真っ赤になった玉手箱を差し出した。
 女は愛おしそうに玉手箱を抱きしめた後、それから枕元に大事そうに置いた。
 俺はずっと気になっていたことを尋ねた。
「中にはいったい何が入っているんだ?」
 女は淡く微笑みながら、自らの口元に人差し指を当てた。
「お気になさるようなものは入っておりません」
「でも、貴方は大切そうに」
 今度は俺の口に人差し指を当てた。俺の心臓は力強く脈打った。
「中にあるのは、ただの幻でございます」
「幻?」
「だから、絶対に開けてはいけません。よろしいですね?」
 艶やかな微笑みだ。俺には頷くことしかできなかった。
「ふふっ、良い子です」
 女は唇を俺に押し当てた。そのまま、舌が入り込んでくる。いまだかつて体験したことのない感触に、俺は圧倒される。
「ここは竜宮城。世界の底で澱む幻の園。見果てぬ夢を、貴方の最期に」
 女は俺にしだれかかり、俺もまた欲望のまま女に覆いかぶさった。

 翌朝、目覚めた俺は驚愕した。信じられない出来事が起こったからだ。
 隣に寝ている女が別人になっていたのだ。小柄で顔立ちも幼く、朗らかな雰囲気の女に。
 茫然とする俺を尻目に、女はのんびりと目覚めた。それから俺の視線に気づき、微笑んだ。
「おはよっ」
「昨日の女はどうした?」
「昨日の……?」
 女は首を傾げ、困惑した。
「んー……。難しいことを言う殿方だね」
「……覚えていないのか?」
「うーん……良く分かんないけど、別にいいじゃん。何も覚えてなくたって」
 女は楽しそうに笑い、鋼鉄できた俺の頬を突っついた。
 外では巨大なウバザメがベッドに横たわる俺達をじっと見つめている。
 俺は茫然としていた。女の姿が完全に変わっている。しかも、女はそのことを覚えていない。変わっていないのは枕元の玉手箱だけだ。
 (中にあるのはただの幻でございます)
 昨日の女の言葉が脳裏を過った。俺は目の前に女に問いかけた。
「貴方にとって、幻とはなんだ?」
 俺の問いが予想外だったのか女は二度三度瞬きをした。だが、すぐに淀みなく返答した。
「空気のように私達のそばにあって、欠かせないものかな」
 今度は俺が困惑する番だった。幻が空気のようにそばにある? 幻が?
 だが、俺の思考は中断された。女が俺を優しく抱擁したからだ。
「難しいことを考えるのはもおしまい。楽しいこといっぱいしようよ。ね?」
 女はそう言って俺の胸元に手を当てた。そうなってしまえば、もう何もかもどうでもいい。俺は女に覆いかぶさり、裸体を貪った。

 それから俺は連日のように、深海生物に囲まれながら女と愛し合った。女は毎朝変わって、自分自身ではそのことを認識していなかった。どの女も性格や外貌が驚くほど異なり、個性的だった。だが、そんなことはどうでもよかった。相手が誰でも俺は満足した。
 俺の体はどんどん壊れていった。ただでさえボロボロだった体だ。欲望に任せて脳と体を酷使していてはさらにガタが来るのも当然だろう。
 ただ、一つだけ確かなことがある。俺は帰りたいなんて思わなかった。戻ったところで愛すべき誰かがいるわけでもない。どうせ死ぬなら官能に包まれたまま死んでいきたかった。

 その朝も気だるい疲労と共に俺は目覚めた。いつもなら、隣には知らない女がいるはずだった。
 だが、その日は誰もいなかった。
 外ではダイオウイカと巨大なクラゲが激しく戦っている。
 枕元にある玉手箱が目についた。俺はふと疑問に思った。女はなぜ玉手箱を愛おしむのだろう。
 女は玉手箱には幻が入っていると言っていた。幻とは何なのか。幻とは、視覚装置が誤作動により生じる視覚異常ではないのか。そんなものが箱に入っているわけがない。
 俺の命はもう長くない。どうせ死ぬなら色々なものを見たい。俺はほとんど悩むことなく玉手箱を開けた。
 そして、俺の人生が終わった。
 箱の中に納まっていたのは、知らない女の顔だった。箱にピッタリと収まった女の顔が、俺を見ている。女の顔は笑ったり泣いたり怒ったりと感情が不安定で目まぐるしく表情が変わる。
 怖かった。すぐに蓋を閉じようとした。だが、間に合わなかった。女の顔は分裂を繰り返しながら爆発するように膨張していった。まるで煙が充満するように、無数の女の顔が部屋を覆っていく。女の顔は一つとして同じものはなかったが、どれ一つとして見覚えがなかった。
 俺は強い恐怖と嫌悪を感じる。逃げようとするが、体はもう限界でほとんど動けない。ものの数秒で俺は女の顔に包まれる。女の顔が憎悪一色に代わった。怖い。だが、逃げられない。女の顔は俺の体を食らい始めた。
 金属の体をかみ砕き、真っ赤なオイルを飲み干し、頭部をこじ開け、脳を貪る。
 吐き気がするほど全身が痛い。体が痙攣する。それでも俺は逃げようとする。だが、ここは竜宮城、海の底の潜水艇。俺はなすすべもなく喰われ、激痛に苦しみながら意識を失った。

 体を覆いつくす凄まじい羽音が俺は目が覚めた。どうやら俺は地上にいて、ビルの隙間に倒れているらしい。
 意識がはっきりしない。液状化した脳が鼻からこぼれおちている。
 なぜだろう。俺は喰われたのに。
 その時、俺は自分が玉手箱を握りしめていることに気づく。それから誰かが俺を見下ろしていることにも。俺によく似た、だけど俺よりはまだ壊れていない機械人形がいる。
俺は自分の役割を理解した。
「よお、450055」
驚く男に玉手箱を差し出した。
「その玉手箱を海に向かってかざしてみな。奇跡が起きる」
「……奇跡?」
「そこには生身の女がいる。死ぬまでの時間、楽しく過ごしな」
 そいつは俺と全く同じことをした。海に玉手箱を掲げ、海底から登場した潜水艇に乗り込んでいった。
 そして、俺が人生でなすべきことは全て終わった。
「まあ、こんなもんか」
 最期の時間だ。俺は自分の人生を過去から順に振り返ってみる。昔の自分が幻となって目の前に現れる。製造された後、俺はこの海岸線を毎日往復していた。何百年も同じ道を行ったり来たりしながら、少しずつ壊れていった。
 しけた人生だ。思い出の中の俺はいつも一人で、寄り添う者など誰もいない。そのうえ一人で死んでいく。
 思い出が人生の終盤に差し掛かると、目の前が竜宮城に変わる。深海魚に囲まれたベッドでの日々。楽しい思い出。女が俺を愛してくれた。嘘みたいに美しい日々だった。
 俺は誰かを愛せなかった。愛されることもなかった。だが、竜宮城には美しい女がいた。
 まあ、俺にしちゃ上出来だ。
 俺は幻の女に抱かれ、眠るように死んだ。海の底の竜宮城で。

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