古代エジプトの埋葬習慣/和田浩一郎



こんにちは。

『古代エジプトの埋葬習慣』は、古代エジプトにおける埋葬に関わる諸習慣についてまとめた新書です。

年代や身分による風習の変化にもスポットを当てて、古代エジプト人にとっての「死」について解き明かした一冊です。

著者の和田浩一郎先生はサイバー大学世界遺産学部の専任講師をされています。

個人的に面白かった部分についてまとめました。

『古代エジプトの埋葬習慣』 細部に宿る古代エジプト人の死生観と日々の暮らし

本書『古代エジプトの埋葬習慣』は主に7章構成で、3つの内容に分類することができます。

  1. 死生観とそれを生み出したエジプトの自然環境
  2. 葬儀、墓の建築、副葬品の準備など生者が行う実務的な作業
  3. 葬儀に関する費用や職人達の収入、そこから見える庶民の暮らし

といったところです。

では、順番に見ていきます。

1. 死生観とそれを生み出したエジプトの自然環境

ナイル川と死生観

古代エジプト人の死生観にとって来世での再生は大きな意味を持っていました。

その原点はナイル川で暮らしていた古代エジプト人を取り巻いていた自然環境にあります。
ナイル川は夏になると増水し、その水が去った後には農耕に適した肥沃な大地が残されていました。
すると水分を取り戻した大地には様々な生き物が姿を見せるようになります。

これが毎年繰り返されることにより、古代エジプト人は「更新」「循環」「再生」という概念を死生観に導入することになります。

オシリス神話

また、オシリス神話についても重要な意味を持つことになります。

天空の女神ヌウトと大地の神ゲブの子として生まれたオシリスは妹イシスを妻として地上を治めます。
しかし、弟のセトに殺されてしまいます。

宴会でオシリスをだまして棺に入れてナイル川に投げ込んでしまったのです。

イシスはその棺を見つけ出しますが、あえなくセトに棺ごとオシリスの身体を14の部位に分けられてしまいます。
イシスはバラバラになった夫を探し回ります。
その頃、オシリスとイシスの息子ホルスはセトに打ち勝ち、復活したオシリスは冥界の神になります。

そして、古代エジプトにおける死の克服に関する儀式は、このオシリスの軌跡をなぞる意味合いが非常に大きいのです。

来世の民主化

元来、古代エジプトにおいては、ピラミッド・テキストを見る限りでは、来世の世界は王にだけ開かれていました。
王以外の人々が来世に行くには、王に忠誠をつくし、王に少しでも近づく必要がありました。


しかし、古王国時代が終わると来世の中心にあるはずの王座が空位になってしまいます。
すると知識階層などの要求や社会状況を取り入れた新たな来世観が構築されます。また、ピラミッドに書かれていた文言を棺に移し替えたコフィンテキストに書かれるようになります。

ピラミッドからコフィンに書かれる場所が変わることにより、来世観は大きく変わります。
オシリス神に倣った葬儀を行うことでファラオでなくても来世に行けるようになったのです。


来世の民主化、とも呼ばれる現象が起きていました。
以前よりも多くの人が来世に行けるという望みを持てるようになったのです。


コフィンテキストがさらに第二中間期に形を変えたのが『死者の書』です。
『死者の書』は来世までの長い道のりのガイドブックのような役割を果たしていました。

太陽神の船に乗り、地下の川を渡り、番人達の監視の目をかいくぐり、ようやくオシリスの館に辿り着きます。
そこで自分が罪を犯さず生きていたことを告白します。
そこでまでして、ようやく復活し、豊かな死者の世界へと足を踏み入れることができます。
そこで生前と同じような生活環境を維持しつつ暮らすことになります。

2. 葬儀、墓の建築、副葬品の準備など生者が行う実務的な作業

葬儀の流れ

葬儀は以下の流れで進みます。

  1. ナイル川を渡る葬列
  2. 遺体のミイラ処理
  3. ミイラ処理後の葬式
  4. 墓への葬列
  5. 口開きの儀式
  6. 墓を閉じる儀式


日本と同じように泣き女が町中を歩き回ったり、川を渡る船に同行をしたりするのは注目に値します。

また、ミイラ処理も興味深いです。
まずは塩漬けなどと同じ原理で水分や油分を遺体から抜いていきます。
その後、場所を移し、黒曜石のナイフで内臓を取り除きます。

なお、内臓の摘出は古王国時代第四王朝から、脳の摘出は中王国時代か行われるようになりました。
末期王朝時代になるとミイラ制作が幅広い階層で行われ、グレードごとにミイラ化にかかるコストもかわるようになり、劣悪なミイラ制作が多く広まることになります。
その後、水やヤシ酒で遺体を洗浄するなどの整える工程を経て、そして30日から40日間、乾燥をさせてミイラは完成します。

また、一連のミイラ化作業は『セヘジュ・ウト』『ヘリィ・セシュタア』と呼ばれる世襲のミイラ職人が行いました。

その後、土器の破壊や牛の生贄などの儀式を経て葬列を組み、墓に入ります。
ミイラの口を開けナトロンなどを入れる口開きの儀式等を呪文を唱えながら行います。

墓から生者の痕跡をする儀式等をした後、生者からも呪文等によって満ちたパワーを落とすために身につけていた装具などは捨てます。

墓について

古代エジプト人にとって、墓は重要な意味を持っていました。

なぜならエジプトの地で然るべき手続きに則って葬儀をされなければ来世にいけないからです。

王の墓地の近くに埋葬されるのが望ましいとされていましたが、州知事や市長といった地方行政官は役職についていた土地に埋葬されていました。

また、王墓については王の座に着いた頃から作られ始めます。
そして、王が亡くなった段階で未完成のままだとしても作業は中止されます。
初期のころ、王の墓室は生前の生活を営む延長戦上にあるものとされており、部屋があったりトイレがあったりもしました。

しかし、第五王朝末にピラミッドテキストが墓室に書かれ、オシリス神と一体化し、太陽神になり、天に登るというプロセスを辿る場所になります。

また墓の管理もされていましたが、長い年月を経るにつれ管理者がいなくなります。
そうすると墓の再利用がされるようになりました。
ただ、血縁関係などの理由がない限りはできなかったことも特筆すべきでしょう。

副葬品としては死者に対して神としての属性を付与するミイラマスクが第一中間期からローマ支配時代までずっと存在していました。
ただ、ローマ時代にはローマ風の故人が書かれた板絵が置かれていたのも面白い点です。

また、第一王朝期は王の死に際して殉葬(生きている人を埋めること)が行われていましたが、第二王朝期からはウシェブティという人形を埋めるように変わっていきます。
そして、新王国時代にはウシェブティは王以外の墓にも埋められるようになります。

3. 葬儀に関する費用や職人達の収入、そこから見える庶民の暮らし

墓の建築費用と職人の生活

墓や副葬品の制作は専門的な技術を持つ職人であり国に所属をしていました。
それには国に所属しなければ必要な素材を手に入れることが難しいという事情もあったようです。


給与は穀物の現物支給、役職についてない職人が月々もらう量は四人家族が食べる量の三倍程度で余ったものは貯蓄、物々交換などに使っていました。
また、それ以外にも高官から個人的な仕事の依頼も受けて副収入を得ていました。
仕事を依頼する側受ける側、どちらも職権乱用もいいところですね……。

墓の建設に関しては詳細な費用は判明していませんが、古代エジプト人にとって大きな買い物であり、コストダウンの選択肢は色々あったようです。

庶民にとっての葬儀と死の意味

しかし、コストダウンをしたところで正式な埋葬を行えない層もいました。

中間層上位層は人口の上位10パーセントで、あとは記録に残ることもない「見えない民衆」でした。
彼等は住処の近くに埋葬され、それどころかナイル川への水葬や鳥葬が行われていた可能性さえあります。

つまり、来世での再生は絶対に出来ないのです。

ただし、社会の低層にある人々が、(高層の人々が思い描いた)現世と同じ生活を営む来世を迎えることを望んでいたかは疑問であると著者は述べています。

古代エジプトにおいても埋葬に金をかけられるのは金持ちの証

いかがでしたか。

埋葬という本来必要のない風習に多くの金をかける仕組みが発生し、それに金持ちがお金をかけるという流れが面白いですね。

そして、お金をかけられないことは惨めなことだという価値観が生成されるのも、まるで現代日本のようだと思いました。

いつの世の一握りの者が価値観を生み出していくということは忘れないようにしたいですね。



それでは。

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