2018年のエジプト奇譚(アクセル旅行記)part.9 失われた人骨&イスラエル人と歴史を語らう編

※過去の記事はこちら

アブ・シンベルにさよならを

そして、この旅で一番こころに響いた一日が始まる。

アブ・シンベルでの目覚め。前日と変わらぬ、ホテルの光景。

頑張った甲斐あって、エジプト最南端までたどり着いた。

疲労感も溜まりつつあったが、達成感もあった。

ドアがノックされ、昨夜の男の子が顔を出す。

プライベートモードの時は無邪気だけど、仕事モードの時は結構無愛想だ。

「朝食、食堂と庭のどっちで食べたい?」

と訊かれたので、せっかくなので庭で食べることにした。

石のテーブル。どでかい亀裂が真ん中を走っていたのが印象的だった。

ちなみに右手の豆が入っているスープは少数民族ヌビアの伝統料理らしい。

味としては、甘みのない小豆みたいな感じ。思わぬところで日本とのつながりを感じてうれしくなったのを覚えている。

あと、自分の中でヌビアへの興味が芽生えつつあった。エジプトにやってくる前は、古代エジプト人のことにしか興味がなかったくせにな。

この後、私はもう一度アブ・シンベル神殿に向かって飛行機の時間まで、3000年前の建築物を堪能した。

が、敢えてここに写真を張る必要もなかろう。昨日と同じだし。
3000年の月日を絶えた神殿が、一夜を超えたくらいで何かが変わるわけがない。

でも、それでももう一度じっくりみたいくらい、素晴らしいものだった。

そして、宿に帰りチェック・アウト。

去り際、受付の男の子と握手をした。
当時の私は「まだ戻ってくるよ」なんてほざいたが、あれから3年経った。
大学生の彼は、もうあそこでは働いていないだろう。

後、私と入れ替わりにチェックインしたのが日本人だった。もっと話しておけば良かった。

そして、男の子の親戚が運転するタクシーに乗って空港へ向かった。

ホテルの男の子と違って英語は全く話せなかった。

あと、寡黙。別に英語が喋れたとしても、彼はきっと私と喋ろうとはしなかったと思う。

そんな感じで空港に着き、そのままこの度最後の地であるアスワンへ向かう。

これは空港の写真だが、アブ・シンベルだがアスワンだか、今となってはよく分からん。

最後の町:アスワン

そして、アスワンの空港に着いた。

まあ、客引きの圧が凄い凄い。
「シャトルバスの予約はもうしてるんだ」なんて言いながら私は、迎えの車を探す。
ホテルまでのシャトルバスは予約していたのだが、アブ・シンベルでのぐだぐだを経験しているので不安な気持ちにならざるを得ない。

いかにも不安げにきょろきょろ周囲を見渡していると……いた。

ホテルの名前が入ったカードみたいなやつを持った、ヌビア人の男性だ。
どうやら、彼も英語を話せないが、身振り手振りでこのホテルに間違いがないか確認してくる。
アブ・シンベルの兄ちゃんと違って、人懐っこい。

私が「問題ない」と身振り手振り表情で伝えるとほっとしたように笑って、車に案内してくれた。

実際に気付いたのは数日後のことなのだけれども、この辺りにマジョリティとマイノリティの差が現れていると思った。
マジョリティであるアラブ系の人たちは、少なくとも観光に関わる人たちは、流暢に英語を操る。
だが、マイノリティであるヌビア人は必ずしもそうではない。

教育の機会が、マジョリティより恵まれていないのかもしれない。

でも、彼等はスマートフォンを上手に操る。

ホテルまでの道は、エジプト旅行で最も砂漠っぽいと感じたロケーションだった。

黄色い砂の真ん中を、一本道の道路が伸びていく。
あけ放たれた窓から差し込む風は強烈に暑い。涼風の対義語だ。

正直、結構しんどかった。

途中に移ったヌビア人の街。パステルカラーの色彩が、彼等の家の特徴らしい。

私が写真を撮ってると、ドライバーは車を止めた。笑顔とジェスチャーで<写真を取れ!>と無言のコミュニケーションを取ってくる。

彼は、ヌビア人の街並みを誇りに思っているのだろう。





と、まあ、そんな感じでホテルに到着した。

というか、厳密にはホテルじゃなくてゲストハウスなんだけど。
正直、私はこの時ホテルとゲストハウスの違いもよく分かってなかった。

ホテルのオーナーは、アブドゥルと名乗った。

ホテルの屋上みたいな場所で受付をしたのだけど、どんな人間なのかの物色されてるような印象を受けた。

なんというか、ちょいとクセのあるおっちゃんという感じだった。
「お前、今日はこの後、どこに行くんだ? 明日はどこに行く予定なんだ?」

と色々聞かれた。

素直に色々答えたら、翌日のプランについてアドバイスをくれた。
ナイルに浮かぶ友人島 サヘル島への船も出してくれることに。ラッキー。


これは部屋の前の共有フロア。「ここで卓球で遊んでも良いぞ」と言われたけど、「俺卓球は苦手なんだ」と答えたら「日本人なのに卓球苦手なのか」と意外そうな反応をされた。
それは中国人へのステレオタイプであろう。


これが部屋。特に印象はないが、奥にあるシャワーがいわゆるシャワータイムと思われる夕方~夜にかけて全く水が出なかったのが強烈だった。アブドゥル、そういうことはチェックインの時に説明してくれ。

とりあえず、荷物を置いて宿の目の前にある岩窟墳墓へと向かった。

ガイドブックには人骨が散らばっている、と書かれていただが、そういった類のものは特に見当たらなかった。

アスワンの墳墓はローマ支配期にもかかる、古代エジプト文明的には非常に新しい遺跡で、キリスト教の痕跡も見えた。

遺跡近辺から見たナイル川。

遺跡近くの高台にあった……昔の物見台かな? このあと、この少年に記念撮影を求められた。


遺跡の近くにあった用途不明な謎の建築物。



宿がある、ヌビア人の町(村?)。とりあえず、次はそちらに足を運んでみることにする。砂漠の坂を下る。

驚くほど人がいなかった。あと、死ぬほど暑い。それから、写真にはそれなりにちゃんと塗装されている建物を撮っているが、実際はあまり手入れが行き届いていない建物もある。

この動画が、雰囲気を分かりやすいと思う。



あまりにも人がいないのでそろそろ戻ろうかと思っていたら、キッズたちが絡んできた。

まあ、お約束の「チップ寄こせ」である。まあ、そこまでなら良い。そこまでなら良いのだが、私のカバンを勝手に開けようとする始末である。さすがに閉口した。

あまりの熱さにグロッキーになっていたこともあり「ノー・チップス!」と強めに言い返してしまった。

子供たちはあっさり手を引き、去っていった。その後ろ姿を見ていると、小さな女の子が角を曲がる前に振り返って「バイバイ!」と無邪気に言った瞬間を今でもよく覚えている。

真っ赤なワンピースを着ていた。

宿に戻ると、アブドゥルが庭の水やりをしていた。砂漠でこれだけの庭園を維持するのは、きっと大変だろう。

「この庭は、俺の第二婦人なんだ」とアブドゥルが自慢していた。


アブドゥルとはこの時、随分色々話をした。

よく覚えているのは、「日本人はどうして英語が出来ないんだ?」と訊かれたことだ。

「日本人は勤勉なんだろ?」とも訊かれた気がする。

私は「日本の教育が良くない」とか、そんなことを言った。

するとアブドゥルは鼻で笑った。

「何が教育だよ。俺はストリートで英語を学んだぜ」

日本の文化・英語教育のしょうもなさを的確に突いた一言だと思った。

この時、アブドゥルから「この後、オマエの友達が戻ってくるんだけど、この町のレストランに一緒に飯を食いに行かねえか?」と誘われた。

ゲストハウスがどういうものかよく分かっていなかった私は、「友達って何じゃ?」と思いつつ、ヌビア人の町で案内人付きで飯を食べられる安心感に惹かれ「分かった、行こう」とよく分からんままに答えた。

そして、今となってはほとんど覚えていないアブドゥルのようわからん話を聞かされているうちに、夜になった。


アブドゥルが私の部屋をノックし、「友達とはレストランで待ち合わせしてるんだ、行くぞ」と言って私を連れだした。


そして、ヌビア人の町を歩く。

正直な話、少し怖かった。まず異国の夜で光量が控えめなのが怖い。

ご覧の通り、家もあんまりない。

ちなみに私の前でゴキゲンに歌っているのがアブドゥルである。

懐かしいな。元気にしてるだろうか。

そして、辿り着いたレストランがこちらである。

アブドゥルは、「ここは貧しい人が貧しい飯を食べるところだ」と言った。

この町で暮らすアブドゥルが言うから、それは事実なのだろう。

今でこそ、私も「貧しい飯を食べる、貧しい人」だが、当時の私は人並みの給料をもらえる会社の一員だった。それゆえ自分が幸福だったとは1ミリも思っていないが、このレストランの存在を真っすぐに理解できる身の上でなかったのは間違いない。

だから、何というのだろうか、間違いであることは重々承知しているのだが、私はアブドゥルの言葉とは違う印象を覚えた。

上手く言えないのだけど、優しくて、胸がすっとするような解放感があるような気がした。
今まで触れたことがない、ナチュラルな心の在り様。

屋根もないところに置かれたテレビを見る人たち。大声で騒ぐようなことはせず、でも楽しそうにしている。もちろん、そこにいるのは男性だけで、既に私の印象が誤っている事実を端的に示している。

ただ、暗闇に佇むナイルの穏やかな川面を背にしたこの空間には、私にとってのヒントとなり得るものを感じたのは事実だ。

間違いであっても、幻想であっても、そこで得たインスピレーションは嘘じゃない。それをどう生かすかは、私次第だ。


こちらがコシャリとファラフェル。

「貧しい飯」とアブドゥルは言った。だけど、凄く美味しかったのを覚えている。

からっとしていて、私好みの食感と風味だった。

イスラエル人と歴史を語らう


そして、私の度において最も深い印象を残した相手と、ここで邂逅する。

「友達」が現れたのだ。

名前は憶えていない。というか聞き取れなかった。

「友達」はアブドゥルの宿に泊まっているイスラエル人だった。

よれよれのシャツを着ていたけど、なんかそれが似合うような、インテリっぽさを漂う感じの男だった。

アブドゥルとイスラエル人は仲良く英語で談笑しており、私はその内容が分かったり分からなかったり。

アブドゥルが私を紹介してくれて、私は挨拶をした。

最初にどんなやり取りをしたかは正直忘れてしまった。

ただ、凄い印象的だったのが彼が私の英語を理解できなかったこと。

「すいません、貴方の言っていることが理解できません」


ものすごい真顔で言われてしまうと、どうしても冷たい印象を覚えるのが人情というものである。
だがしかし、そんなことでめげるような余裕は、とっくの昔に失われていた。

果敢に英語でコミュニケーションを取っていたことは、憶えている。

イスラエル人は「君は何でエジプトに来たんだい?」と言った。

私は「エジプトの古代文明が大好きなんだ!」と簡単な英語に精いっぱいの感情をこめて伝えた。

その時彼が見せた表情は、萌えアニメを見るオタクにも似ていて、最初のクールなイメージが少し崩れた瞬間を今でも覚えている。

私は全く同じ質問をイスラエル人に投げかけた。

「君は何でエジプトに来たんだい?」

これも恥を忍んで書かなければならないことだが、そのイスラエル人の答えは、当時の私にとって知らぬ歴史だった。

「エジプトとイスラエルは戦争をした過去があるからさ、僕は証明する必要があるかなって思ったんだ。ほら、こうやってエジプト人と分かり合えて、僕は楽しんでいるってさ」

どうやら熱い男でもあるようだ。インテリっぽいという印象は変わらなかったけど。

「友達」は、旅が趣味で長期休暇の度にあっちこっちふらついているらしい。

アブドゥルが他に用があったらしく、私たちは二人で宿に帰った。

途中でもいろいろな話をした。


私は「君はどんな仕事をしているんだ?」と訊ねた。

「本当は工学(ここ、少し自信がない)が専門なんだけど、今は都市計画みたいなことをしているんだ」と言った。

やはり、インテリだったようである。

私は自分の職業を彼に伝えた。

「良いね、大切な仕事じゃないか」

私の職業を自然体で誉めてくれたのは、彼が初めてだった。
そもそもこの旅行に出たのも、長年にわたる職場との軋轢だの諸々がきっかけだった。

だから、その言葉は凄く嬉しかった。今思い出しても、胸が熱くなる。

途中で駄菓子屋みたいなお店に拠った。ヌビア人の定員がずっと楽しそうにしていたのが印象的だった。
ハッピーだったかな。そんな言葉を幸せそうに繰り返しながらお菓子を売ってくれた。

途中、彼の知り合いと思われるヌビア人から声をかけられた。

非常に分かりにくい英語だったので、私が困惑していると、「君、今の分かる?」とイスラエル人は分かりやすい英語に言い直してくれた。

なかなか、いいヤツである。

カフェっぽい店の前では、店員と思われる女性が寝転がりながらスマートフォンをいじっていた。

そして、ホテルに戻った後、屋上で私たちは少し話をした。

謎のオブジェ

私は、最初エジプトに来た時の印象の話をした。

その時、「エジプト人がアグレッシブに感じられた」という言葉を使った。当時は知らなかったが、カタカナのアグレッシブよりもagressiveは強い意味を持つ。

最初、「友達」は怒りの表情でエジプト人を弁護した。当時は驚いたが、今思えば彼の正義感が凄く良い意味で現れていたのだと思う。

私は自分が本当に伝えたいことを言葉を変えて伝えた。

「最初は驚いたんだけど、でもだんだんとエジプトのカルチャーが好きになって、今ではエジプトがもっと好きになった」

私の意図に気付くと、彼はすっと嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「そうだよ、少しずつ、少しずつ理解していけばいいんだよ。少しずつね」

クールな雰囲気の彼が不意に魅せる笑顔に、私は引き込まれていた。
きっと、凄く良いヤツなんだと思う。

私は英語が得意ではない。そんな私と面倒くさがらずにコミュニケーションを取ろうとする人たちは、少なからず私に興味があるのだと思う。だから、私の不得手な英語をカバーするため、彼等は自分の話をしてくれる。

それは相手の英語力への甘えなんだろうけど、色々な人の話を聞けるのが本当に楽しく、嬉しかった。

自分が知らない世界を、彼等は少しだけ見せてくれた。

「友達」もまた、自分の話をしてくれた。

彼はイスラエル人だけど、生まれはポーランド。だから、ポーランドの国籍も持っていて、エジプトへ旅にするにはポーランドのパスポートを使った。

(それはきっとイスラエルとエジプトの歴史的関係性が、必ずしも良くないせいだろう)

「自分はイスラエル人だけど、ポーランド人としてのアイデンティティもある気がして。自分が何者なのかという問題は、よく考える。それは僕以外のイスラエル人全体のアイデンティティにも言えることだけど」

この辺りは繊細な問題だ。私の英語力不足と記憶の風化で、正しさが損なわれている可能性があることは強く注意しておきたい。特に、これからの部分は。


「イスラエルは国として新しい。違うところに住んでいたしね。だから、共通の歴史を必要とする、ホロコーストは僕たちを一つにする、という意味を持つ」

このとき、私たちはテーブルで向かい合って座っていた。だけど、イスラエル人は私から顔をそむけるように、体を半分ずらした。

そして、言った。

「君たちの国には、虐殺をしたという歴史はあるよね」

正直に言うと、彼の言葉にそれほど驚きは感じなかった。ホロコーストの話題になったとき、自然と同じ時期に日本が犯した罪は頭に浮かんでいたからだ。

驚きはしなかったけれど、緊張した。

自分の国が過去に犯した事実は知っているし、それを誤魔化すつもりはない。ただ、外部の人間に、自分のコミュニティの罪を突き付けられたのは初めての経験だった。

だから、その罪を素直に告白するのも当然初めてだった。

「私たちは、あの大戦で恥ずべき大虐殺を行った。それは忘れてはならないと思っている」

彼は顔をそむけたままだけど、少しだけ微笑んだ。素朴で、心から喜んでいるのが感じられた。

彼がなぜそんな質問を私に投げかけたのかは分からない。

ひょっとしたら、中国人や韓国人から日本への非難を聞かされていたのかもしれない。過去の歴史と向き合おうとしない日本人と出会ったことがあるのかもしれない。あるいは単にニュースやノンフィクションでその事実を知っただけなのかもしれない。

帰国後、この出来事を海外旅行好きの日本人に話したら「そういうの、マジで苦手だわ」と言われた。


私から言えることは一つだけ。

罪を認めることが出来て、ほんの少しだけ、すっとした気持ちになった。

恥ずべき過去を認めることは、恥ずべきことではない。

そのことを知った一日だった。

少し経った後アブドゥルがホテルに戻ってきて、私たちはもう少しだけ話をして、そして眠った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。