2018年のエジプト奇譚(アクセル旅行記)part.6 王様はタクシードライバー編

※前回までのエピソードはこちら

ファラオとの出会い

さて。ルクソール2日目である。

初日はナイル川の東側を回っていたが、2日目は西海岸を見る。

古代エジプトでは東側が生者の世界で、西側は死者の世界。
ルクソールもそうだけど、ある程度ナイル川をさかのぼると、現在でも東側の方が栄えているらしい。

アスワンも東側がアラブ人やホテルが並ぶ街で、西側は少数民族ヌビア人の村だった。

話が逸れた。

東側から西側に渡るには公用のボートを使うか、タクシーをチャーターするのが良いらしい。
私はホテルでタクシーを頼んだ。

運転手とは、ホテルの入り口で対面した。

最初、「ヘイ!」って言ってたっけ。
第一印象、朗らか。客商売としては百点満点の笑顔だった。
第二印象、背が高い。細かったけど、たぶん190cmくらいあったと思う。
第三印象、お洒落。エジプト人男性を見てお洒落だなと思うことはほぼないんだけど(旅行中、そう思ったのは彼とギザの日本語ガイドくらい)、彼は異性受けがしそうな清潔感のあるかっこよさだった。

ただ、そんなファースト・インプレッションを吹き飛ばす発言が飛び出した。
「俺はラムセスって言うんだ」
彼はそう名乗った。

正直、私は困惑し、沈黙した。
エジプトに詳しくない方の方が多いと思うので説明をする。
ざっくり3,500年ほど前、ラムセス2世というファラオがいた。

長い歴史を誇り、古代オリエント屈指の強国であったエジプト王朝において最強の王とも呼ばれる、超有名なファラオである。

「ラムセスって……あのラムセス?」
私が尋ねると、その男は朗らかに笑いながら答えた。

「ああ、あのファラオの名前だ! 本当の名前は違うんだけど、観光客はみんな俺のことをラムセスって呼ぶぜ!」

それは、お前がそう呼ばせているからだろう。

これを日本人の感覚に例えるならば、京都へ観光に行ってタクシーを捕まえたらパリピっぽい兄ちゃんがドライバーで「俺のことは義経って呼んでくれ! 本名はタケシって言うんだけど!」と言うようなものである。

ともあれ、私はファラオの名を冠するドライバーと一緒に、タクシーで西海岸へと向かった。
ナイル川の西側、死者の世界へ。

ユーラシア・ロマンサー

車が渡れる橋は遠いところにあるらしく、少し遠回りになる。そう説明された。

そのおかげで、ラムセスと話をする機会がたくさん持てた。
と言っても、ラムセスのいきなり彼女自慢から始まる。

「オマエ、この曲知ってるか?」
とスマートフォンを突き出された。

エジプト人から聴かされる曲を知っている自信はなかったし、実際知らなかった。
ただ、予想外だったのは、その曲が日本語だったことだ。

「日本語の曲だね」
私がそういうと、ラムセスはその一言を待ってましたと言わんばかりのドヤ顔を見せた。
「良い曲だろ! 俺の日本人の彼女が教えてくれたんだ!」

観光に行ったのに、いきなりドライバーの彼女自慢をかまされる。
しかもガールフレンドの写真を見せられた。
さっぱり意味が分からん展開である。

そして、運転をしたままスマホで一緒に記念撮影。
彼女に送るのかな?

自分で言うのもなんだが私は人が良い。というか、自己主張が弱く流されやすい。
(つまり、頭があんまり良くないとも言えるのだが)
内心知らんがな、と思っていてもとりあえず話を聞いてやらなきゃと思ってしまうタイプである。

「彼女、キュートだね」
「イエス!」
「彼女、エジプトに住んでるの?」
「いや、大阪に住んでる。観光の仕事してんだ」

そりゃ、超遠距離だ。どんな出会いがあって、どんな付き合いをしてるのか、どれくらい付き合ってるのか。
私は若干興味が覚えた。若干。

というか、ここからあとは勝手にラムセスが喋っていたのだが。

出会いは半年前、ウザいエジプト人に絡まれてる彼女をラムセスが助けてやったこと。
それからはアプリで会話をして交流してること。
彼女の英語が段々上手になっているのが嬉しいこと。
今後の冬に彼女がエジプトに遊びにくること。

ラムセスは本当に楽しそうに喋っていた。

そんな彼を見るのは、正直楽しかった。
何て言うんだろ、全力で楽しそうにしている人を見るのは、きっと誰だって楽しいと思うんじゃないかな。

だけど、その一方で私はこうも思っていた。

それを付き合っていると表現し得るとして、その関係に未来はあるのかね。

ラムセスは「フロリダで働きたいんだ」と言った。
「日本は移民するのが難しいんだろ。アメリカはそうじゃないらしいし、フロリダは気候がエジプトに似てるらしいし。親父もフロリダにいるんだ」

そう言ってハンドルを握りながら砂漠の一本道を進む、ラムセスの横顔は今でもよく覚えている。

そんな話をしていると、西海岸に渡る橋がやってきた。
でかくて、ごつくて橋。国としての威信を見せようとしてるのかなー、なんて考えてしまうくらいに。

そして、その対岸は死者の世界というわけである。

私は感慨深く橋を見ていた。
するとラムセスが声をかけてきた。

「今日の旅程を確認させてくれ。まず王家の谷に行って……」

いやいや、自分の彼女自慢する前に、そっちを先にしろや。

この橋は、ラムセスにとっては仕事の世界への入り口だったのかもしれない。

私はラムセスのことをどうにも嫌いになれなかった。
まっすぐで、悪意を感じさせず、とにかく天真爛漫なのだ。

まったくしょうがねえな、と思いながら私は西海岸に渡った。

私にとってはロマンあふれる死者の世界へ、
ラムセスにとっては日常でしかない仕事の世界へ。

威容の観光地

最初に王家の谷へ向かった。

ファラオや偉人の墓が多数あり、その中から3基を見られるという仕組みになっていた。
特に豪華なお墓を見るためには、追加料金がかかる。

ただ、ラムセス曰く「豪華なヤツは別にたいしたもんじゃねえ。金の無駄だ」らしい。

なんせファラオの言うことだ、本当なんだろう。
と思って、追加料金のところは回らんかった。

こんな感じで中にエジプトっぽい装飾をほどこされたお墓がある。

写真撮影は禁止、だが管理人に袖の下を渡せば取ってもいいらしい。
管理人たちの金をせびるときの笑顔があまり好きではなかったのも、写真を取らなかった理由。

急峻な砂漠の山々と、青い空がとても印象に残っている。

あと、めちゃくちゃ暑いのに日陰があんまりなかったことも。


さて、タクシーに戻った。
ラムセスは仲間と楽しそうに話していたが、私の姿を見かけると駆け寄ってきた。
190cm近いのになんだか子犬的な可愛さがある男である。

ティッシュを差し出し、「靴を抜けよ」と言った。
ギザの日本語ガイドもそうだったけど、どうもお洒落なエジプト人は砂漠の砂で靴が汚れるのを嫌がるらしい。

ただ、こういう気配りは今までのタクシードライバーにはなかった。
どうやらラムセスは普通のエジプト人とはちょっと違うらしい。

「エジプト人は60ドルと言ったら、それは30ドルってことだ! 買い物するときは気をつけろよ!」

なんてアドバイスもしてくれた。人懐っこい笑顔で。

続いて、ハトシェプスト女王葬祭殿へ。

王家の谷もそうだが、観光客がいっぱいいる。日本人もちらほら。

死者の世界も、今では貴重な観光資源というわけだ。

いや、だからと言って神殿の価値が落ちるわけではないけど。

再び、タクシーに戻る。ラムセスがクッソつまんなそうにスマホをいじっていた。

そして、次の神殿に向かった。

道中、ラムセスが「おまえいくつ?」と訊かれた。
そんなん訊くなやと思いつつ応えると「俺の方が年上だぜ!」と嬉しそうに言われて、エジプト人は年取ってるほうが喜ぶのかと思ってたら「俺の方が年上なのに俺の方が若く見えるな!」と言われた。

私にはラムセスの方がおっさんに見えたが……、いや、不毛な争いはやめよう。

で、次はラムセス2世葬祭殿。

ラムセスがお名前を拝借しているファラオの葬式のために建てられた神殿なわけなんだけれども、ラムセスは特にコメントをしていなかった。

興味ないんかい。

「写真撮影は●●ドルだ」と声をかけてくるおっちゃんがいたけど無視した。
そしたら、何も言わずに去っていった。

要するに私が払ったら棚ぼたという精神なのだろう。
ある意味、まっすぐで強いと思う。

神殿のすぐそばには、決して豊かとは言えなさそうな家が立ち並んでいた。

たぶん、神殿のほうが良い素材を使っていると思う。


一通り見終わった後に、ラムセスのもとへと戻った。
ラムセスはやはりつまらなそうな顔をしてスマホをいじっていた。

「日本人は見てる時間が本当に長いな」
とラムセスは呆れかえっていた。すまぬ。

その時、小さな子供たちがぼろぼろの人形を持って我々に近づいてきた。
「ワンダラー、ワンダラー」
子供たちは繰り返す。

ラムセスは表情を硬くしながら私に早く乗るよう促した。

そのあと、どっかのお土産屋によって(これ順番が前後するかも)、(このとき、ラムセスはまた「エジプト人が60ドルっつったら本当は30ドルだからな!」と注意してくれた)、最後にメムノンの巨像へ。

途中、ラムセスは彼女と一緒に映っている写真を見せてくれた。
彼女も可愛かったけど、印象的だったのはラムセスだ。正確に言えば、その服装だ。

全然お洒落じゃない。普通のエジプト人みたいな恰好をしている。

そう思うと、ラムセスの服装は妙に日本人女性ウケが良さそうだった。
彼女が送ってくれたモノを着ていたのかもしれない。

観光バスがたくさん止まっていて、裕福そうな欧米系の観光客がたくさんいた。

ここは入場料がかからないのでラムセスもついてきた。
なんか解説をしてくれたような気もするんだけど、よく覚えてない。

「写真撮ってやろうか?」とラムセスは言ってくれた。

うん、と私は答えた。
でも、本当は「一緒に取ろうぜ!」と言うべきだったと思う。

今も昔も、私はとっさの機転が利かない。
言うべきことを言うべきタイミングで言うのが苦手で、そのあとずっと後悔し続ける。

この後にも、私の心に後悔の楔を打ち込んだ瞬間が訪れた。

怒りのラムセス

我々は死者の世界である西海岸の観光を終え、東海岸へと戻っていく。

再び会話のための長い時間が出来る。
私は何気ない雑談のつもりで、「ルクソールの若者はどんなところで遊ぶの?」と訊いてみた。

ラムセスは私の下手な英語が理解できなかった。
私は何度か言葉を変えながら自分の意図を伝えようとした。

それでも、私の英語は上手く伝わらなかったらしい。
或いは伝わっていたけど、何かがラムセスの怒りや悲しみの琴線に触れてしまったのかもしれない。

強く印象に残っているのは、ラムセスが「ああ、自由ってのは重要だな。お前らの国にはあるかもしれないけど、俺たちの国にはそれがないんだ」と返してきたことだ。

無邪気なラムセスが、そこから強い苛立ちを滲ませ始めた。

「この国はクソだ。頑張って働いたら、頑張った分だけ儲かるのが普通だろ!?」
とかなんとか、最初は苛立ち程度だったものが徐々に弾丸のような怒りの噴出へと変わっていった。

ものすごい勢いで、エジプトがどれだけクソで、自分がどれだけクソな環境にいるかを喋り始めた。

貧乏過ぎて結婚だってできない、そんなことを言っていたのは憶えている。

ラムセスの感情の爆発はほとんど聞き取れなかったし、聞き取れた部分も今となっては断片的にしか覚えていない。

ただ、彼女のところに行くこともできない自分の稼ぎを、自分で許せないみたいだった。

段々と東海岸に戻る巨大な橋が見えてきた。

だが、ラムセスの噴出はヒートアップしていく。
ラムセスは前を見なくなり、ハンドルをまっすぐに保つこともできなくなる。

タクシーは蛇行していく。

私はどうしていいのか分からず、ただ固まっていた。

ラムセスはどんなに怒っていても、根っこは冷静な男だった。いや、出来る男なのだ、間違いなく。
自分の感情がどんな状態にあるのか理解し、車を橋に寄せ、ブレーキを踏んだ。

巨大な橋を前にして、タクシーは止まる。

ラムセスのメンタルも少し落ち着いた。

「お前さ、俺の給料がどれだけが分かるか?」

私は固まった。本当に分からなかったし、どっちつかずな日本人的な思想で言うのが怖かったというのもある。

「大丈夫だ。思った金額を言ってみろ」

とラムセスは言ったが、私は「ごめん、想像もできない」と応えるしかなかった。

いや、違うな。他にも色々答える方法はあったが、結局自分が傷つかない選択を選んだだけだ。

ラムセスは内心どう思ったか分からない、というか私の言葉なんて別に気にしていなかっただろう。
衝撃的な正解を、さらりと教えてくれた。

「答えは、ゼロだ」

さすがに驚いた。

「……え、ゼロ?」

「そうだ。あんたがホテルに払った金額は全部胴元がもらう。これは、俺の車じゃないからな」

「じゃあ、ラムセスはどうやって生活……」

「チップだよ。チップだけが、俺の収入ってわけだ。ハードに働いても、客がケチなら収入がない日だってあるんだよ。信じられるか?」

正直に書く。一瞬、私はラムセスがチップをもらうために一発演じているのではないかと思った。
だが、それにしてはラムセスの言動はあまりにも鬼気迫っていた。その気迫を疑い続けるだけの強さは私にはなかった。

「……ま、この仕事も好きだけどな。こうやっていろんな国の人間とも話せるしよ」

そう言っておどけたように、寂しそうにラムセスは笑った。
そして、もう一度アクセルを踏んで橋を渡っていった。

適切な言葉をかけることもできたかもしれないが、過ぎたときは戻ってこない。

別れ

それからもホテルに着くまでいろんな話をした。

ラムセスはクラクションを鳴らすのが嫌いなんだけどエジプト人は前を見て運転しないから鳴らさなくちゃならないとか、どの国の客は好きでどの国の客はそうじゃないとか、あそこの店は悪い奴らばかりだから近づかないほうが良いとか、そんな話。

ラムセスは気配りのできるジェントルなヤツだ。
日本ではそうそうお目にかかれない、本当の優しさと強さを兼ね備えたヤツだ。

だけど、ラムセスと彼女の関係は長くは続かないだろう。
きっと、2人は別々の人生を歩んでいく。

だけど、それでもラムセスに何か言葉をかけてやりたいと思った。
なぜか? 私はダメなヤツかもしれないけれど、ラムセスのことが好きで、ほんの少しでも力になってやりたかったからだ。

「ラムセス、君はナイスガイだよ」
「イエス!」

ラムセスは当然のように自己肯定する。すごい、なんてキラキラした雰囲気なんだろう。

「あの娘には、きっと君みたいなジェントルな男が必要だよ」
「センキュー!」

ラムセスは当然のように私の言葉を受け止める。
それから、こう言って笑った。

「お前、今日だけでだいぶ英語が上手くなったな!」

やがて私たちはホテルに戻ってくる。
別れの時。

ラムセスは私のドアを開けて、両手を前で結んで私の前に立つ。
ラムセスの今日一日の稼ぎが決まる瞬間。

誰だって、どんなに格好をつけたところで、人にはお金が必要だ。
さっきまでの威勢の良さが嘘みたいに、ラムセスはしゅんとしている。
190cmはありそうな身長が、縮んだようにさえ見える。

「今日はすっごい楽しかった! ありがとう!」

それは私にとって嘘偽りのない本音だ。
エジプト旅行で一番楽しい一日だった。

私に、私にできる精いっぱいの感謝を見せた。
紙幣という、クソかもしれないけど、誰にとっても必要な形で。

私はラムセスの手に紙幣を握らせると振り返らず、そのままホテルの入り口へと向かって行った。

本当に、本当に楽しい時間だった。

ラムセスが駆け寄ってきて、俺の背中を叩いた。振り返るとラムセスも笑顔だった。

彼は何かを言ったけど、私は上手く聞き取れなかった。

私は「グッバイ」と言って、それが我々の別れになった。



余談

これを書いているのは、2021年10月だ。

ラムセスは他のタクシードライバーとは違った。
それは生来の性格によるところもあるのだろうけど、必死に努力をした結果でもあるのだと思う。

与えられた環境の中で、必死に歯を食いしばっていた。

私はラムセスと同じくらい努力しているだろうか?

いや、していない。

私は弱い人間だから、この気づきさえ忘れてしまうかもしれない。
ただ、こうやって書き記すことでラムセスの生きざまが少しでも長く私の中に焼き付くことを願っている。

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