2018年のエジプト奇譚(アクセル旅行記)part.5 駅の喧騒と業界最大手編

※前回までのあれやこれやはこちら

ギザ駅での出会い

というわけでホテルを発った私は、夜行列車に乗るべくギザ駅に向かったのであった。


道中思ったことは……なんだっけかな……。
相変わらず道路がやたらに複雑な構造をしとるなあ、といったことくらいか。
路上のカオスは相も変わらず空前絶後であった。

この時のドライバーは、穏やかな性格だった。
もっとチップを渡すべきだったな、と今でも思う。

ギザの駅にはそれはもうエジプト人がたくさんいて、賑やかだった。

ホームが一つしかない東京駅のようだった。
と言えばあの喧騒が伝わるだろうか。

(写真だと伝わらんね)

が、私はその熱気に取り残されていた。
ビビりまくりのスーパー・アウェーだった。

異国人が周りにたくさんいて、とにかく賑やかで、私は言葉も分からん。
そりゃあ寂しいだろよ、普通は。

私は他のエジプト人を真似てホームの端に腰かけていた。
スーツケースを抱え、時間が過ぎゆくのをただ待つ。

日本の駅のように電光掲示板はない。アナウンスはアラビア語と英語。どちらも上手に聞き取れない。
孤独と心細さを誘うには十分な環境であることは、誰にでも分かると思う。

私は正直とても不安だった。ずっと不安だった。不安の百花繚乱百面相。

隣の少年が身振り手振りで「一緒に写真を撮ってよいか?」と聞いてくる。
そんなコミュニケーションが取れるだけでも嬉しかったのは、今でも覚えている。

列車の時間が近づいてくると欧米系の観光客が集まってくる。
しかし、アジア系は見当たらない。
アジア人、まじで私一人だけ。

私はスーツケースにNine Inch Nailsのステッカーを張っていたのが欧米系の誰かにナイス・チョイスだと褒められた。
しかし、ネイティブと思われる彼等の英語はエジプト人のそれより遥かに聞き取りづらく、あまり聞き取れなかった。

自分が身に着けた語学力が、実はたいしたもんじゃなかったことを知る。現実は、だいたい残酷。

やがて、とある列車がやってきた。
今までの電車とは明らか違うやつだ。

何が違うのかというとだな、まず窓が塞がれて中が見えないようになっててな、
それから、銃を構えた軍人さんがこれみよがしに車両から身体を出してるんだ。

……え。怖いんですけど。
ナイル川流域、そんなに治安悪いんですか?

と、怯えている私を尻目に欧米系の客が乗り込む。
私が予約していた時間よりも早い。だが、エジプト人の時間感覚を信用していなかった私は、とりあえず飛び乗った。
なにせ、乗り過ごしたら私はどこで夜を明かせばいいのだという話になる。

だけど、やっちっまったんだな、これが。やっちまったんですよ。
どうやら一本早い電車に乗ってしまったらしい。駅員さんに聞いて私はあわてて飛び降りた。

ほら、やっちまったわ。恥ずかしいわ、ほんと。

が、やっちまったものはやっちまったものだ。
割れた壺は元にもどらん。私は精いっぱいの知らんぷりで立ち続けていた。

そんなこんなで後方腕組みおじさんフェイスで次の電車を待っていると、後ろの方でごにょごにょ言っている声がした。
珍しくアジア系の言語が聞こえた。

と、思っていたら確か英語で「エクスキューズ・ミー」と二人同時に声をかけられたはずだ。
その次は確か英語で「日本人の方ですか?」だったような。もしかしたら日本語だった気がしないでもない。

そこにいたのは、カップルと思われる若い東アジア系の男女だった。

それから電車が来るまで会話をした。
何でも彼等は台湾から来たらしい。

確か、2人で旅行をしていたんだったか留学をしていたんだったかと思う。
(すまない、だいぶ記憶があいまい)
2人とも英語が流暢で、女性が日本マニアだったらしい。

私のスーツケースを見て「それ、MUJIのスーツケースですよね?」と当ててみたり、本当に日本好きだったらしい。
彼等は日本に詳しく、その割に私は台湾のことをあまり知らず、そのことを申し訳なく思ったことをよく覚えている。
特に私は彼等のおかげで孤独を免れた身だしな。

私のへたくその英語の後な、彼等は母国語で時々「たぶん、今の~って言ったんだよね?」みたいなやり取りをしていてな、それが結構恥ずかしかった。
でも、そんな二人の仕草が微笑ましかったり。

その時、自分の知識はすごく少ないんだなと痛感した記憶がある。
別に日本好きでもない男性も日本のことを良く知っていたし、日本以外の世界のことも良く知っていた。

こうやって書いていると、あの頃感じた恥ずかしさを今に生かせていない気がする。
あの二人、とてもかっこよかった。
一方、私はどうだろう? いや、皆まで言うな。

そんなこんなでようやく夜行列車の車内に入れた。

ぐらぐら揺れまくって全く眠れなかった。

あとは、そうだな。この夜行列車の管理人みたいなヤツにやたらチップをせびられたことをよく覚えてる。

「俺には日本人の友達がたくさんいる」と言われたら、警戒心を一段階(あくまで一段階だけ)上げておきたい。
チップを渡すとき、財布をのぞき込んでくるのはマジでやめてほしですね。

ルクソールの地へ:まさかの出会い

カルナック神殿

で、どうにかこうにかルクソールの地を踏んだ。

ホテルについて、まず昼寝した。
夜行列車で眠れなかったから。
あと、なぜかこのホテルも揺れてる気がした。

それからカルナック神殿に向かった。最初は徒歩で行こうとしたのだが分からなくなってしまった。
小さい子がまとわりついてきて、「カルナック?」って聞くから「カルナック」って答えるとざっくりと道を教えてくれるんだけど、そのあとチップをせびってくる。

日本の小学生が見習うべきか分からんバイタリティをあちこちで見かけた。
途中でめんどくさくなって、馬車を拾った。

で、こちらが件のカルナック神殿。


正直言って、エジプト旅行の全行程でここが一番感動した。
でも、写真で上手く伝わるかどうか。
大きさと壮麗さが、エジプトの神殿の中でもずば抜けていたように思う。


帰り道のタクシーも下手なりに値段交渉ができた。
しかし、随分と若いタクシーの運転手だった。

日本だとまだ免許取れないんじゃないか?

Dさんとの出会い

シーシャをしよう

戻ってきた後にルクソール神殿に行こうとしたのだが入口がよく分からないのであきらめた。
なんか疲れてしまい、ホテルのカフェテラスで飯を食いながら(鳩を貪っていた)飲みながらぼーっとしていた。

しばらくしていると、突然「日本人の方ですか?」と声をかけられた。
流暢すぎる日本語、めっちゃ日本人なフェイス。
確認するまでもなく、どう見ても、どう考えても日本人だった。

「ええ、そうですけど」と私が言うと「席、いいですか?」と陽キャっぽく声をかけてきた。

彼もエジプト旅行中だった。
名前はDさん。彼との出会いも意義深いものだった。

よっしゃ。と思った。
待望の日本人だ。ようやく日本人と話が出来る。めっちゃ嬉しい。

Dさんは気さくな人で、口下手な私とも楽しく話をすることができるタイプだった。
旅行が好きで、長期の休みが取れるたびに色々な国に行っているらしい。

しかも当時私が働いていた業界の最大手で務めておられた。
出来る男が、降臨した。

我々はずいぶん長く色々話し込んだ。互いのエジプトでの旅についても。
ギザでこんなひどい目にあったとか、まあ、そういうやつ。
それなりに鬱憤も溜まっていた私にとって、そこで愚痴を聞いてもらえるのは非常にありがたかった。

そのとき、Dさんに一緒にシーシャ吸わんかなどとも誘ってもらった。

以下が、その私である。

目がキマってるな、今見ると。

話は随分盛り上がり、我々はラインの交換をした。
さらには夜にルクソール神殿と飯を食いに行く約束さえもした。
双方共に、会話を楽しんだということである。

夜のルクソール神殿へ

さて、これが待ち合わせ直後の私である。

改めて見直すと、端にいるエジプト人女性をドン引きさせている。
え……自分、何したの……?

一応言っておくが、背後にあるのはあのナイル川である。

では、話を戻す。

こちらがライトアップされたルクソール神殿である。


エジプト人にしてはなかなか良いセンスをしていると言わざるを得ない。

微妙にこじゃれたレストラン

で、こちらが飯屋。

ついでに猫も。

Dさんの良いところとそれ以外のところ

一緒に飯を食ったり、神殿を回ったりしてDさんからは図太さから非常に多くを学んだ。


なんといえばいいのか、Dさんはコミュニケーションで当たり負けしないのである。
コミュニケーションのフィジカルが強いなのだ。

そうだな、例えば私は英語がよく分からん。だから、英語で早口でまくしたてられると一歩引いてしまう。
値段交渉などではこの一歩引いてしまうメンタリティが、最終的にはずるずると負け方向に引きずられる結果になる。
だが、Dさんは日本語で(でかい声で)「え? 何言ってんのか分かんねえんだけど!?」と言い返すのである。

別に言葉が分からないことを引け目に感じなくていい。果敢に挑む。
そんな姿勢を私はDさんから学んだ。

これはこの旅における大きな学びだった。

ちょっと現地の人を見下すような言い回しがあって、それは大いに問題だったと今でも思っているが。

翌日、フランスへ向かったDさんとはこの日に別れた。

その後、Dさんとは新宿で一緒に飲んだりもした。

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