2018年のエジプト奇譚(アクセル旅行記)Part.4生き抜く日本語と一夫多妻編

※前回までのくだりはこちら

陰鬱な目覚め

高い金を払って海外まで足を運んでいるというのに、目覚めの瞬間がただただ憂鬱であった。

最初の2日間で、私の心は完全にへし折られていた。フルボッコ。ボッコボコ。
スマートフォンから鳴り響くアラームを耳にした時の「うわー……」な感情は、仕事がある日さえ凌駕していた。

あれ、やっぱりこのホテル揺れてないか? などと思うのだが確認する術も言語も私は知らなかった。
というか、どうでもよかった。

もう誰にも会いたくないし、誰とも話したくない。
言葉が通じないのも辛いし、すぐにぼったくるエジプト人とのコミュニケーションも辛い。
もう、もしもここが日本であったらギブアップして自宅へ逃げ帰っている頃だろう。

しかしながら、そうもいかぬ。何せ、ここはエジプト。アジア大陸を横断した先にあるアフリカの入り口。
さらに日本に帰った後、「現実から逃げるようにずっとホテルに引きこもってました」などと言えるはずもなく。

「必要最低限の観光をした」という体裁を整えばならぬ。
それゆえ、前日の夜にはホテルで今日の手配を依頼していた。

日本語通訳の生き方

出会い

一通り準備を終えた私は、ホテルのフロントで待ち合わせた。

「こんにちは、はじめまして」

そのエジプト人は私に声をかけてきた。

ここで強調しておきたいのであるが、彼が口にしたのは日本語である。

そう、日本語。ジャパニーズ。
日和った私はついに、その日の午前中だけ日本語通訳のガイドをつけることにしたのである。
許せ。もはや、私は限界であった。

すらっとしたお洒落な青年であった。顔立ちも端正である。
恐ろしく暑いだろうに皮ジャンを着こんでいた。

残念ながら通訳の名前を私は忘れてしまった。

通訳はネイティブ並とまではいかないが、十分に聞き取れるレベルの日本語を披露してくれた。
日本語で会話が出来るということがどれほど嬉しかったことかか、私の文章力ではとても表現できない。
喜びのネジが完全にすっ飛んでいた。

たぶん、通訳が内心引いていてもおかしくないくらい、私はハイテンションで会話をしていた。
しかし、彼もどうやらかなりの手練れだったらしい。表面上は全く持って冷静であった。

道中、互いの日常や仕事などについて我々は会話を交わした。
エジプト人の日常に触れられることができてなんだか嬉しかった。
彼は親と同居してるとか、彼女とはあまり口にしたくない事情で別れたとか、そんなことも教えてくれた。

「アラブの春」で仕事がなくなったときは海外まで出稼ぎに行っていたらしい。
ガイド通訳はあまり給料が高くないとか。
そんな、苦しい事情も教えてくれた。

彼はエジプトの大統領の統治を「支配」という日本語で表現していた。
当時は日本語のニュアンスを上手くつかめていないが故の表現ミスかと思っていたが、今思えば彼の思いが込められた言葉のチョイスであったように思う。

話を戻す。

私はウキウキでエジプトを回った。
ウキウキである。前日までの怯えたウサギのような態度から一変、言葉が通じるだけでここまで肝っ玉が据わるものだろうか。

通訳には私が映っている写真を撮ってもらった。だが、どれも悪ふざけの変顔がキツすぎて公衆の面前に晒すのに抵抗がある。
汚物を見せる趣味はないのだが、もしも見たい方がいたら……
いや、思い出の中でじっとしていてもらおう。

サッカラの遺跡群

さて、まず私と通訳はサッカラの遺跡群に回った。

これが最古のピラミッド、ジェゼル王の階段ピラミッドである。
かのイムホテプが設計を担当したという伝説もあるようである。好きな方にはたまらんかもしれん。

こちらは崩れたピラミッド。誰のピラミッドかは忘れてしまった。すまぬ。

これはかなり深い穴である。通訳曰く、誰が掘ったのか、何で掘ったのかも分からないのだとか。

落っこちたら、見知らぬ国へとつながるかも。何てアラサーらしからぬ(注:2018年段階)夢見がちな妄想をした記憶がある。

壁に刻まれていた文字、こんなものが良く何千年も風雪に晒されながらも後世に残るものだ。


もっと見るべきところはたくさんあったように思うが、通訳にささっと流されてしまった。

メンフィス博物館

続いて、メンフィス博物館へ。

どでかい像が寝転がっている。

この像の周りに建物を建てつけたような博物館であった。

悪ふざけ気味の私が小さく映っているのだが、まあ、これくらいなら良いだろう。

小さなスフィンクス。こうしてみると、古代エジプトと現代社会の美男像はそんなに変わらないのかもしれない。
つまり、私はどちらでもブ男ということに、いや、考えるのは止めよう。

他にも様々な彫像があった。

通訳曰く、これはラムセス2世らしい。




ただし、正直なところ、生きてるのか死んでるのかよく分からぬ野良犬のほうが印象的であった。

いやいや、死んだ犬を博物館の敷地に放っておくのはさすがにあり得んだろう。
生きていると、信じたい。

ダハシュールのピラミッド

続いて、ダハシュールのピラミッドに向かった。

こちらが赤いピラミッドである。


中にも入れるが、息苦しくアンモニアみたいな変な匂いがした。
ミイラはトイレに小便をする習慣がないのかもしれん。これも異文化交流である。

動画で見るとこんな感じ。スケール感が伝わるだろうか。




続いて、屈折ピラミッドへ向かった。

書いて時の如く、ピラミッドの斜面が途中で屈折している。

ちなみにこの2つのピラミッド、私が最も敬愛するファラオ・スネフェルが建てたものである。
彼に付された伝説、なかなか愉快なので興味のある方は調べてみてほしい。


ここも本当はもっと長居したかった。
というか「もっと長居したいと主張してもよかったかな」と今になって思う。

しかしながら、2018年の私は通訳に背中を押されるがままこの場を後にした。

次に行くときは、もっとへばりつくように見てやろう。

通訳の、通訳としての在り方

彼が日本語を学んだ理由

それから帰りの車は少し時間がかかった。
だから、今までよりゆっくりと通訳と話をすることができた。

その時に気づいたのであるが、彼は日本語の通訳をしているのに日本に全く興味がなかったのである。

日本に行ったことがない、
日本食を食べたこともない、
日本の文化に興味がない、
日本の女性にも興味がない(曰く、細すぎるらしい)。

私は「彼は何で日本語に学んだの? 何で?? どして???」と疑問を膨らませるばかりであった。

彼は車内にBGMを流していた。
今の私なら、それはエジプトの伝統音楽shaabiに影響を受けたポップスだと分かる。
だが、当時の私にはさっぱり全く分からん未知の音楽であった。

「これは、どんな音楽ですか?」
というようなことを、確か私から訊ねたような気がする。
通訳はさらっと教えてくれた。

「エジプトの民主化を訴える音楽ですね」

本当に恥を忍んで記さねばならねばならないのであるが、当時の私には正直意味がよく分からんかった。

私は古代の遺跡以外に興味がなかった。
無垢で何も知らぬ、哀れなおっさんであった。

(車窓は、こんな感じであった)

彼はそれからもぽつぽつと自分の話をしてくれた。
それから、何かの拍子にエジプト人が英語が上手いという話になった。

「でも、僕は英語が上手くないんです」と通訳は言った。
「あとフランス語やドイツ語のような英語と似たような言葉も苦手で」
(こんなことを言っているが、彼の英語は私のそれよりも遥かに上手かった)
次の通訳が放った一言は、一私に大きなカルチャーショックを与えることになった。

「だから、通訳をしようと思ったときに中国語か日本語か選べなかったんです。両方勉強をしてみたら、日本語の方が簡単でした。だから、日本語通訳になったんです」

彼は日本には全く興味がなく、しかし、生きるために日本語を学んだ。

日本に生まれ育った者が異国の言語を学ぶとき、その言語の文化圏に対する憧憬が多少は混じっているはずだ。

だが、彼にこれっぽっちも日本に対する興味がなかった。
ただ、自分の能力と周りの環境を比べ、生き延びるための最適解として日本語を学習したのである。

その時、思った。
自分はなんて生ぬるいヤツなのだろう、と。

私が、ようやくエジプト人とコミュニケーションを取れたこと

私はほとんど日本人に接するのと同じような気持ちで彼と会話をできた。
もちろん、多少の違和感はあった。でも、多少のことはどうでもよかった。

エジプトの文化や人々に対してすっかり心が折れていた私にとって、日本語で会話が出来ることが本当に嬉しかったからだ。

いわば日本人の「代替物」として彼に接していたのである。
私は、クソのように失礼な男である。

だが、私は彼が通訳になった経過を知った。
私とは違うバックグラウンドで育ち、違う苦悩を抱える人間であることを知ってしまった。

それによって、私は少しだけエジプトの水になじんだような気がした。
ほんの一部ではあるが、エジプト人の行動の背後にある原理に触れることができたからだ。

上手く表現できているであろうか。
つまり、彼等の行動には彼等の行動原理があるということを、自然に受け止めることができるようになったのである。

彼等の圧力に必要以上に翻弄されることがなくなった、とも言い換えられるかもしれん。

自分なりに彼をエジプトで生まれ育った人間として受け止めようとしながら、それでも彼と楽しく話をすることができた。

通訳との別れ

それからレストランによって昼食を食べた。


私は何気ない雑談として「その腕時計かっこいいですね」と切り出した。

彼はニヤリと笑った。
私は、少し警戒した。
私からお金をぼったくろうとするときのエジプト人の顔だったからだ。

「お好きですか? だったら、僕と貴方の時計を交換しませんか?」

日本人の時計の方が高価であると知っての発言だろう。

良い気分はしなかった。でも、嫌な気分はしなかった。

ただ、彼には彼の世界がある。それだけのことである。

それから、よく分からん土産物屋に案内され、別にほしくもないパピルスを買わされた。

最後にホテルに戻って、我々は別れた。

4人の妻がいる男

ホテルで待機:出会いのコーヒー

その夜、私は夜行列車でエジプト中部の町ルクソールに旅立つ予定であった。

そして、発着時間までの間、私はホテルのテラスで待たせてもらうことになっていた。

今思えば、かなりの時間をそこで過ごしていたと思う。
もう一回徒歩数分に位置していたギザのピラミッドに行ってもよかったかもしれぬ。

とにかく、ひたすらやることがない。
ぼーっと、ぼーーっと、ぼーーーっと、ぼーーーーーっと。
ピラミッドを見つめながら時が過ぎるのを待つ。

贅沢な時間な使い方だったと思う。
幸せだった。

ただ、ちょっと退屈だったのも事実だ。

どれくらい時間がたった頃だろうか、一人のスタッフが私のコーヒーを差し出してくれた。
見上げると、人の良さそうな笑顔が印象的だった。

コーヒー……。嬉しいけど、こういうのはだいたいお金を取られるのよな……。

彼は人のよさそうな笑顔で笑った。
「無料だよ」
安心した。そして、ありがたく頂戴した。

奥さんが4人いる!?

それから、また結構経った後だった思う。
そのスタッフがまた私に話しかけてきた。

名をイサークというらしい。

最初はどんな話だったっけか。
あまり覚えてないな。
「お前はいい年した大人なのに、どうして結婚してないのか?」と聞かれたのはよく憶えている。

「モテないから」
と素直に答えた。アハハ!

「日本って結婚できる奥さん1人だけ?」とも聞かれた。
何当たり前のことを訊いてんだよ、と怪訝に思いながら「イエス」と応えた。

するとイサークは陽キャがよくやりそうな<うわ、マジないわ>みたいな顔をした。
それからドヤった顔で「エジプトはな、4人の奥さんと結婚できるんだわ」と答えた。

あの瞬間、私は驚天動地と言ってもよいほどの衝撃を受けた。

イスラム教が一夫多妻制であることを失念していた私にとっては、かなり強烈なカルチャーショックだったと言わざるを得ない。

4人と結婚……、
正直上手く想像できない。
周りにサンプルケースがなさすぎる。(まあ、それはあくまで法上の話で、実体としては色々あるのかもしれんが)
そもそも私は結婚したことがない。

事態を飲み込めた後、お世辞と会話のキャッチボールを兼ねて「すげえじゃん、うらやましいわ」と言った。
しかし、イサークはあまり嬉しそうにしなかった。
というか、無言だった。

えー……何でだよ……。誉めてほしそうなドヤ顔してたじゃん。

しょうがないから、会話の切り口を変えた。
私の素直な本音を伝えましょう。

「奥さんが4人もいるとヒヤヒヤする瞬間がたくさんありそうだね」
と言うと、イサークは嬉しそうに微笑んだ。

まあ、そりゃそうだ。
普通に考えて、家庭の男女比が偏り過ぎだ。
どんな時だって少数派の立場は悪くなるものだ。
(あくまで家庭内の話です、念のため)

ただ、イサークは何であんなドヤ顔してたんだろ。奥さんがたくさんいるというのは、(かなりのストレスをひっさげる羽目になったとしても)男性としてのステータスになるのかもしれない。

イサークとギザ

イサークは生まれも育ちもギザらしかった。

ピラミッドは好きか? と訊くと少し悩んだ後にノーと応えた。

毎晩毎晩、繰り返されるライトアップショーに心底嫌気がさしてるらしい。
「最近じゃ子供(3人いるらしい)も真似すんだよ」とうんざりした様子でこぼしていた。

クラブもないような町から一生出られないかもしれない自分を厭世的に捉えているようだった。
この国の政府はクソだ、と言っていた。
どこか遠い国で過ごしたいという想いを抱いていたのかもしれない。

ただ、彼には奥さん4人と子供3人を育てなくてはならない義務があるはずだ。

イサークは私に煙草を一本差し出してくれた。
クレオパトラという銘柄だった。
エジプトの女王なんだ、と少し誇らしげにイサークは見せてくれた。

煙草は学生の頃にほんの一時嗜んだだけ。でも、私はありがたく頂戴した。
美味しかった、ことだけは憶えている。

イサークがくれる煙草だけは、きっと、いつだって美味しい。

どうしても答えられなかった質問

他にはどんなやり取りをしたんだっけなあ。
忘れてしまったことがとにかく悔しい。

そうだ。一つだけ重要な会話を記しておかねばならない。

イサークは毎月40ドルで働いていると教えてくれた。
日本円に直すとだいたい4500円くらいだろうか。

自分の給料を伝えるなんて、日本人からしたら驚きだ。
ひょっとして、少し仲良くなれたのかな。
なんて思っていると、彼は容赦のない言葉で私を抉った。

「お前、安いと思うか?」

ドキッとした。咄嗟に何も答えられなかった。

煙草を片手に持ちながら、足元を見つめながら、イサークはもう一度問いかける。

「お前、安いと思うか?」


私は何も言えなかった。

……日本円に直すと安い。
だが、少なくともエジプトでは4人の奥さんと3人の子供を養えるだけの所得ということになる。
だから、安いと思わないと答えるべきだったのかもしれない。

だが、頭の巡りの悪い私は、日本を基準に考えてしまった。

私は意味のない適当なことを口走った。
だが、イサークは呆れたように私を見た。
それから、煙草を灰皿に押し付けた。

ちゃんと真っすぐに答えられなかったことを、私は今でも後悔している。

イサークとの別れ

それからどんな話をしたのかはもう憶えていない。

でも、あの気まずいやり取りの後も笑顔で色々なことを話した。
良いヤツだった。
日本風に言うと、紳士的なマイルドヤンキーみたいなヤツなんだと思う。

あ、そうだ。
しかしながら、人間と言うのはとことん浅はかなもので、都合の良いことだけは忘れない。

イサークは「次、ギザに来たらエジプトの女の子を紹介してやる」と言ってくれた。
ありえない未来の、ありえない希望に満ちた話はいつだって楽しい。
私とイサークは「おい、言ったことは守れよ」「当たり前だろ、どんな娘がいいんだよ」などと笑いながら語り合ったのだった。

英語、エジプトに来た頃よりは随分話せるようになっていた。
まだ3日しか経ってないのにね。

そして、ホテルを断つ時間が来て、我々は別れた。
「約束したからな」「ああ、約束したぜ」なんて言い合いながら。

もう、二度と会わないのに。

ホテルからの旅立ち

ホテルがチャーターしたタクシーをフロントで待つ間、別のスタッフが私に声をかけた。

チェックインのとき、私にブチ切れたヤツであった。
「お前、水は持ってるか?」と訊ねられた。
(このホテル、水のペットボトルを無料でもらえる)
一応、一つだけ持っていた。

正直なところ彼と会話するのが怖かった。
だから、自分のバッグを指さして頷いた。
だが、彼は私のボディランゲージが理解できなかったのか、急いでどこかへと走り去っていった。

そして、数分後。2,3本のペットボトルを持ってきてくれた。
意外だった。
私のこと、ちゃんと気にかけてくれてたらしい。
表情は無愛想だったけど。

たぶん、こいつはそういうヤツだったんだな。

ありがとう、とアラビア語で伝えた。シュクラン。

少しずつ、エジプトの人々とどう接すれば良いのか分かってきた気がした。
上手くは言えないが、そりゃあ人間なんだから良い面も悪い面もたくさんあるんだ。そういうことが実感として見えるようになってきた。

そして、タクシーが来て、私は駅へと向かった。

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