2018年のエジプト奇譚(アクセル旅行記・最終回)part.10 ナイル川に浮かぶ有人島&数千年前の大失敗編

※過去の記事はこちら

「友達」とサヨナラ

そして、エジプトを観光できる、最後の一日が始まる。

確か、この日は宿の主人アブドゥルにノックされて目が覚めたような気がする。

「朝飯を用意するから屋上に来い!」

と、元気よくどなられた。というわけで、私は急いで準備をして屋上へと向かった。

で、行ったらアブドゥルが調理中だった。それから、イスラエル人の「友達」もいた。

「やあ」

と私が声をかけると、彼も挨拶してくれた。

猫が結構集まっていた。我々や調理中のアブドゥルやらをじっと見つめている。

どう考えてもおこぼれを狙いに集まってきた野良猫なのであるが、なぜか私はその一匹を指して「この根猫、名前は何て言うの?」と聞いた。今思うと、自分の言動が全く解せぬ。

「ナセルだ」

アブドゥルは言った。

「ナセル!」と呼んで猫とコミュニケーションを図ろうとする私の傍でアブドゥルは「で、こっちがムバラクでこっちがムルシーで~」と続けていく。

そこでイスラエル人の「友達」がゲラゲラ笑いだした。

「その名前、全部エジプトの大統領でしょ?」

ハイセンスな政権批判ジョークだったらしい。分からんかった。
マジョリティであるエジプト人に対する、アブドゥルの感情はよろしくないらしい。この日は、そんな彼の心中に触れる機会が多い一日だった。


食事が出てくるまでの間、私は「友達」と話をした。

彼から「今日はどこに行くの?」と訊かれたので「セヘル島とかに行く」とざっくり答えた後、「君は?」と訊くと「僕はまだ決めてないんだよね」とのたまった。マジか。

「友達」はガイドブックを取り出してパラパラとめくりだした。英語のLonely Planet。

「君も当然持ってるよね?」

と仰ってな。当然、って何だよ。当然持ってないよ、英語だもん。
だが、なんか悔しいので「日本語版持ってるわ!」と切り返した。
私のは『地球の歩き方』だし、似たようなもんだろ。

「友達」はウンウン悩みながらシーワオアシスに行くことに決めたらしい。シーワオアシスはエジプト西部、カイロからバスで10時間のところにあるオアシスだ。アレキサンダー大王が訪れたこともある歴史あるオアシスで、正直私もめちゃくちゃ行きたかった。しかし、圧倒的に無鉄砲だった旅行前の私ですら「さすがに無理かも……」と思って諦めた場所である。

しかし、友達は「途中でカイロで一泊するか」とスマホでその日の宿を取り、行く先を決定した。

「君、自由だね。っていうか、すごいね」

と、私が感心して言う。

「ジャーニーは自由だから楽しいんだ」

と友達は何食わぬ態度で返答した。彼は旅行のことをジャーニーという。それがなんとなく好きだった。今でも私は旅行のことを心の中ではジャーニーと呼んでいる。

「でも、シーワオアシス行った後はイスラエルに帰らなきゃいけないんだ。仕事があるし」

友達は少しだけ寂しそうに言った後、再びスマホで色々検索しはじめた。

「イスラエルへはバスで帰るか。安いしね」

なんとなく、私は旅行最終日の自分の気持ちを重ねて、「僕も今日がエジプト最後の一日なんだ」と言った。

「そうなんだ。君は飛行機で帰るの?」

「うん。10時間はかかるよ」

「遠いな。とっても遠い」
と、料理を並べているアブドゥルが口をはさんだ。

「でも、とっても楽しかったよ」

と、私は自信を持って心中を口にした。

「友達」は微笑んでいた。

こちらが朝食。好きなモノを選んで食べるスタイル。

こっちが「友達」。顔は映っていないが、なかなかハンサムだった。念のため言っておくが、「友達」はピントがあってるピタではない。

朝食が終わると、我々は別れた。

「君と話せて、とても嬉しかった」
と、私は自分の部屋に帰る前に伝えた。

「ああ、また会おう」

「友達」はそう言った。

私は本当にバカだった。かっこつけずに連絡先を聞いておけばよかった。「名前、聞き取れなかったから、もう一度押してくれませんか?」って言えば良かった。今となっては、もう友達と会うことは絶対にできない。

でも、友よ。一夜一朝のトモダチよ。君は私のことなんてとっくに忘れているだろう。でも、君と話した時間は本当にかけがえのないひと時だった。私がヨボヨボになっても、身体が動かなくなっても、君と話した時間だけは絶対に忘れない。

本当に楽しかった。

ナイル川に浮かぶ有人島、セヘル島へ

それから、私はセヘル島に向かうことになる。なんと、アブドゥルが自分の船で送ってくれることになった。ちなみに結構いいお値段を取られた。

セヘル島はナイル川に浮かぶ有人島。なぜ、そこに行きたいのかというと、何千年も前にヒエログリフや絵を刻まれた大岩が今でも野ざらしでゴロゴロしてるから。どでかいロマンが野ざらしでゴロゴロしているのだ、足を運びたいに決まってる。

私はアブドゥルに連れられ、宿を出た。のだけど。

「ちょっと、ここで待ってろ」

アブドゥルは何かを思い出したらしく、宿に戻ってカゴいっぱいのゴミを持ってきた。

そして、砂漠をずんずん歩く。

彼の行き先にあるのは、これである。

パンパンになっているゴミ箱と、その周りに転がるゴミ。美しい砂漠のイメージとは典型的な、非常に生活感の漂う光景である。

そして、アブドゥルはこの一応ゴミ箱と思われる物体に向かってゴミをぶん投げた。

それから、何事もなく戻ってきて「ディス・イズ・アフリカンスタイル」と言った。

なるほど。

船着き場で待ってろ、とアブドゥルに指示されたので、待ってるんだけどなかなか来ない。

これはアブドゥルの船ではなく、対岸への渡し船。

これは個人の船なのかね。

こっちは船着き場の様子。

で、ようやくアブドゥルがやってきたのだけど、写真は撮ってなかったらしい。相当待ちくたびれていたのだろう。

それからはモーターボートで爽快にナイル川を進んでいく。

記憶が定かではないけど、これがセヘル島だと思う。

船から降りると、アブドゥルがガイドのおっちゃんを紹介してくれた。

おっちゃんは自分がこの村のチーフだと言っていた。それって、日本でいうところの市長とか村長みたいなものなんだろうか。予想外に大物が出てきてしまった。

でも、さすが大物、しっかりしていた。お金をねだる村人はこういう風にことわらなくちゃいけないとか、そういうことを教えてくれた。

ただ、「今日、ちょうど結婚式があるんだ。ヌビア伝統の式なんだけど見に来ない?」は断った。たまたま私が訪れた日に、たまたま私が訪れた時間に、たまたま伝統的な結婚式がある。私にとってあまりにも都合が良すぎる。自分に都合が良すぎる話には裏があると思っておいた方がいい。まあ、それは日本でも同じだと思うけど。

「この村は昔は緑が豊かだったんだ」とおっちゃんは言った。

「でも、ダムができたら草も気も生えなくなってしまった」

ダムは下流に暮らす多くの人々を救ったんだろう。治水の面でも飲み水の面でも。でも、ここで暮らすヌビアの人々は、果たして豊かになったんだろうか。

それはさておき、こちらがそのヒエログリフが刻まれた岩がゴロゴロしている場所である。

よくこんなものが長い時間残されているものだなあ、と思う。

すごい数。

すごいバランス。

飢饉の碑。第三王朝ジェゼル王の時代に七年続いた飢饉について書かれているらしい。

岩場から見下ろしたナイル川の様子。おっちゃんの圧倒的カメラ目線。

「よく見ると色がまだ残ってるだろ?」とおっちゃんがドヤ顔で教えてくれた。

続いて島の中を探索。ヌビアのカルチャー特有のパステルカラーが目立つ。

ただ、いっつも思うんだけど、ヌビアの人たちが暮らしている場所は、歩いている人が本当にいない。なんでだろう。

ドアの上に獣の首が飾られてる。たしか、おっちゃんが「あれはキツネだ」って言ってたような。武勇を示してるのかな。

家の中に連れ込まれて、気が付いたら目の前に土産物が。まあ、好き勝手に歩かせてもらったんだし、これくらいはね。

カメラ目線再び。


最後に報酬を要求された。もしも、おっちゃんが日本の市長とか村長と同じ立場の人間だったとしたら、なかなか大胆なおっちゃんである。

アブドゥルのボート。これで再び彼の宿まで戻る。

行く途中にも目にした、こういうヌビア風の建物。あれはエジプト人たちが立てたヌビア人のものではないらしい。アブドゥル曰く、ヌビアの文化を盗んだものらしい。

「あんなもんはクソだ!」

とアブドゥルは傍を通るとだいたいそんなことを言っていた。
それから時々こんなことも。

「あの辺の土地はな、エジプト人のエリートが住んでるんだ。でも、あそこだって元々は俺たちヌビアのものだったんだ」

自分たちの土地や文化を奪われている。アブドゥルはそう感じているようだった。

それから、私たちは宿に戻った。

アラビア語でありがとうを意味する「シュクラン」というと、アブドゥルは「それは俺たちのあいさつじゃない」と答えた。

それは昨日からずっとそうだったんだけど、アブドゥルのヌビア人としての自負心を長く聞かされていたので、私はもう少し踏み込んで聞いてみることにした。

「ヌビアの言葉でありがとうって何て言うんだい?」

アブドゥルは何も言わなかった。

私の英語が悪かったのか、それとももっと別の問題があるのか。今となっては分からない。

数千年前の大失敗の痕、「未完成のオベリスク」へ

午後は対岸のエジプト人たちの町へと向かうべく、もう一度船着き場に向かった。公用の渡しボートに乗るためである。

出発進行。アジア人はおろか外国人さえいなかったので、旅慣れていない私は相当浮いていた。

印象的だったエピソードを一つ。目の前に座っているエジプト人が足元に転がっていた空のプラスティックコップを拾い上げ、ナイル川の水をごくごく飲んでおった。

川の生水、しかもお世辞にも澄んでいるとは言えないヤツである。彼のお腹は大丈夫なんだろうか。今でも少し心配になる。

アスワンのメインストリートに到着。さっそくタクシー乗り場に向かって、目的の「未完成のオベリスク」まで案内をお願いする。

運転手はヌビア系の人だった。英語は上手くないけど(私よりは上手だった気がする)、気さくで良い人だった。観光業に関わる人に関して言えば、ヌビア系の人たちはガツガツした感じがしないことも多く、旅慣れていない私としては安心できることが多かった。

私が日本人だと分かると何かと日本を持ち上げてくれた。とにかく日本車のメーカーの名前を挙げていたのを今でも覚えている。タクシードライバーの彼にとって、車というのはそれだけ生活に密接にかかわっているんだなあ、と。まあ、そりゃそうか。

あと、アブ・シンベルに向かう途中にも思ったのだけど、アスワンのタクシーはシートベルトがないのがデフォルトなんだろうか。道中、割と不安な気持ちになった。

到着。

どでかい。というのが素直な印象だった。完成していたら長さは約 42メートル、重さ 約1,200トンにもなっていたらしい。

ただ、これはあくまでも未完成。花崗岩を切り出している途中に、残念なことにひび割れが入ってしまったのだ。
それが何千年も放置されている。

自分のミスが何千年も野ざらしにされるなんて、工事の責任者にはちょっと同情する。

という感じで「未完成のオベリスク」を後にした。

アスワンの商店街を歩く

続いて、アスワンの商店街(スーク)をぶらつくことにした。

程よく落ち着いていて、多摩の郊外育ちの私にはよく馴染む雰囲気だった。

さすがに腹が減っていたので、ここでエジプトの国民食コシャリを食べた。

ここは美味しかった! 食感がアルデンテ気味でトマトの風味も効いてて。
イートインのスペースにハエさんがいたのはちょっと残念だけど、そういうのに耐性がある人は是非チェックしてみてほしい。

腹が減ったので色々食べる。これは甘いお菓子だった。

豆のファラフェルを食べた気がする。しかし、肝心の食べ物の写真を撮っていない。

「アラビア語話せる?」と店員から聞かれた。そんなことを聞かれたのはアスワンだけだったな、そういえば。

これ、どうも自由に飲んでいい水が入っているようなんだけど、外国人が口にするは少々危険な気がする。

確か、いったんこの辺りで宿に帰って昼寝をした気がする。最終日、緊張しまくりの毎日にめちゃくちゃ疲れていたのだ。

で、日が暮れた後に再び街を訪れる。

なかなか美味しかった。

若者が集ってる。可愛いヒジャーフのお店なのかな。

というわけで、エジプトでの観光は全て終了。私はアブドゥルの宿に戻った。

最後のひと時:アブドゥルの思い

(ピント、ぶれまくりだな……)

屋上に行くとアブドゥルがいた。

最終日ともなれば、さすがに感傷的な気持ちにもなり、私はアスワンの夜景をぼんやり眺めていた。

「お前、次来る時までには英語をちゃんと勉強しとけよ」

とアブドゥルからやんわり注意された。

それから何の話をしたのかは忘れてしまったけど、いつの間にかアブドゥル自身の話と彼のヌビア人に対する見解に話が移ったのは憶えている。

アブドゥルは子供時代の一時をヨーロッパで過ごしたこと。それから生まれ故郷に戻ってきたこと。

エジプト人はヌビア人を虐げている。公権力からの扱いもエジプト人とヌビア人では明確に異なる、と彼は言っていた。

そして、アブドゥルはヌビア人たちがもっと頑張るべき、だと考えていることも。

「目先の欲望に囚われて、子供ばかりが増えていくんだ」

というのが、彼の見解。私にはその正否についてコメントする知識はない。

ただ、アブドゥルがヌビア人の現状について歯がゆく思っているのは間違いなかった。

「次来るときには、もっとヌビア人と仲良くしてみたいな」

と、私は素直な気持ちを口にした。

アブドゥルは少し沈黙した後、どこからヌビア風のネックレスを取り出して私に差し出した。

「お前にやる」

それは、全ての客に配っているものなのか、認めた客に配っているものなのか。私には分からない。

でも、嬉しかった。

翌朝、私はアブドゥルと握手をして別れた。


アブドゥルが手配してくれたタクシーに乗り、砂漠の中を空港に向かって進む。

自分がエジプトを去っていることを実感する。達成感と寂しさと安堵が胸の奥から湧き上がってくる。

この時、優しい言葉をかけられていたら、私は泣いていたと思う。

一人旅で、本当に良かった。

オマケ:帰路の印象

オマケ。帰国途中に感じたことをちょっとだけ。

カイロの空港で飛行機を待っているとき、若い一夫多妻の夫婦っぽい方々(?)を見た。

たしか、男性1人と女性4人。皆育ちが良さそうで、容姿端麗だった。たぶん、エジプト社会のトップにいる人たちなんだと思う。

みんなで仲良さそうにしているのを見て、なんだか不思議な気持ちになった。

アブダビの空港で日本行のゲートの前に立った瞬間、日本語があちこちから聞こえた瞬間、どっと安堵した気持ちになった。

ついでに緊張感も切れてしまったのか、どうにかこうにか身に付けた英語リスニング能力も落ちてしまったのか、機内では何も分からんかった。

まとめ

私はこの旅を通して、何を得たのだろうか。

一般的に言われているように自分探しをしたところで自分は見つからない。全く、その通り。

ただ、何かを掴んだのは事実だ。それが何かを言葉にするのは難しい。4年前と今では、掴んだものは一緒でも、その意味合いは変わってくるからだ。

今の私の印象として。自分が知っている世界や自分が知っている正しさは、自分が思っているよりも視野が狭いものである、という気づきが得られたのは間違いないと思っている。

そして、その気づきを糧にして、日本での生活を打破するためにもっと本気になるべきだった。

世間的な常識とか価値観に囚われたまま、掴んだはずのものを手にしながら何もできずに右往左往していた。

その結果、私は合わぬ職場で働き続け、メンタルを徹底的に壊し、職を辞し、再起に3年を費やすことになる。
客観的に見れば、「人生を棒に振った」とも言えるだろう。

でも、そうだとしても私がこの旅で得た宝物は、まだ心の中に残っている。

それは例えるなら、真っ暗闇の夜空にたった一つ輝く星のようなもので。
それは夢でもなければ希望でもないけれど、でも、その美しい星は私を見守ってくれている。

だから、私はその星を裏切るような真似はしたくない。

何て言うとかっこつけすぎか。

とにかくこの旅を駆け抜けた4年前の自分や出会った人々に恥じぬよう、自分自身を裏切らぬよう私は生きていく。


だから、エジプト。いつかきっと、また会おう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。