2018年のエジプト奇譚(アクセルベタ踏み旅行記)Part.1 乗り継ぎとチェックイン編

ただの海外旅行に過ぎぬわ!
と言われれば、ごもっともであるとしか言いようがない。
だが、素晴らしい経験をさせてもらい、見聞を広められたのは事実である。

あの時、確かに世界が広がったような気がした。
自分探しという甘ったるい幻想だろうがと問われれば、そうだな。
そうかもしれんし、そうでもないかもしれんし、私としてはどっちでもいいと答える。

ただ、それでも、何かヒントを掴んだような、そんな確信は確かにあった。
あの瞬間、尊い感覚を得たという事実は揺るがぬ。

しかし、時は流れ、今は2021年である。
あれから3年が過ぎ、鮮烈であった思い出が徐々に朧になっているような気がしてくる。

忘れたくない。

私は強くそう思っている。
だから、ここに書き記す。

今まで見えぬ世界を見た。
今まで会えぬ人々とあった。

それに何の価値があるのかと問われれば、何の価値もないと胸を張って答えよう。

序章・経緯・エジプト旅行の発端

最初に楽しくない話をする。
そういうのイヤなんだけど、と言う方は序章を読み飛ばしてほしい。

当時、私はしがない会社の家畜であった。

糊口を凌ぐためにしょうもない労働に明け暮れ、
働かない年長者の穴埋めまでさせられ、
されど実力不足で上手くいかず、
そんな日々を過ごすうちにいつしか一生治らない心の病を患い、
それでも頭の悪い「逃げちゃダメだ」的矜持と「っていうか、ここ辞めたら飯をくいっぱぐれる」的な自己肯定感の低さ丸出しの強迫観念にかられて5年ほど通院しながら働き続けた結果、私のメンタルはだいぶぶっ飛んでしまうことになる。

そして、ついには致命的な大失態を犯すに至った。

詳細については書きたくない。
まだ、自分の中で上手く消化できていないからである。
もちろん、自分の行為の責任はすべて自分にある。ただ、自分だけ悪いと認めることだけはどうしても出来ぬ。
これからも私はあの出来事をどうにか消化しようと、もがき続けるであろう。たぶん死ぬまで。

おっと。今は旅行の話をしていた。
そして、そのためには病気の話をしていたのである。

私の病気はメンタルがアッパーになったりダウナーになったりを繰り返すタイプのやつであった。

どうやら人並外れた根性の持ち主はダウナーな時でもどうにか会社に這いずり行き、アッパーな時には異様な闘争心を胸に秘めて会社に向かい、その両極端を頻繁に行きかう日々を過ごすうちに私はだんだんアッパーの方に振り切れていった。

自分でもそのことにも気づかぬままに。

私は周りからの無言の顰蹙にもまるで気づかぬまま、夏季休暇に長期休みを取った。
なぜか? エジプトに行くためである。

なぜそんなことをしたのか。
確固たる理由はない。
ぼんやりとした理由ならある。
そのころ私は古代エジプト文明にハマっていた。
ただ、それ以上に私を駆り立てのは、全く持って正体不明の「そこに行かねばならぬ」という衝動であった。

英語は読めるが話せぬ。
一人で海外に行くのも初めてである。
まあ、なんとかなるだろう。本気でそう思っていた。
宿と移動手段だけインターネットで予約していた。

要するに近場の温泉街に行くようなノリで、私はエジプトへと旅立ったのであったのである。

2018年のエジプト奇譚(エジプト旅行)第一章:上海乗り継ぎ事件簿

さっそくエジプトの話を……する前に。

到着前にひと悶着あった。
乗り継ぎになっていた上海の空港での出来事である。


上海についたのは、深夜と呼べるような時間であったと思う。
エジプト行きの飛行機が飛ぶのを独りぼっちで待っていたら、知らん姉ちゃんに英語で話しかけられた。

うん。分からん。
というか、早口だし、切れ間のないトーキング。
私の脳の処理速度を上回っている。ゆえに私は型落ちPCの如くフリーズする。

しばしの沈黙。

そして、姉ちゃんは失笑した。
日本なら考えられん豪快な失笑であった。
それから私はカウンターに連行され、パスポートを取られ、放置され、パスポートを突き返され、放置された。

しばしの沈黙。

もはや、誰も私を見ておらぬ。

「……」と心の中で呟いてみたが、特に何かが始まるわけではない。

とはいえ、この後飛行機に乗れんかったら困るので一応「イッツ・オーケー?」と聞いてみた。
姉ちゃんはPCを見つめたままダルそうに「イッツ・オーケー……」と答えた。

オーケー、良きかな良きかな。

喉が渇いたが、人民元がなく自販機で買えなかった。
カードは使えなかった気がしたが、よく覚えていない。

というわけでは私は飛行機に乗ることが出来た。

この時に英語力が壊滅的に不足していたことに気づけばよいものの、私はそんなことには考えも至らなかった。
根拠不明の高揚感と万能感がみなぎっていたのである。
つまり、馬鹿だったのである。

おっと。話を飛行機に戻す。
乗ったはいいが飛ばないのである。

予定時刻を10分過ぎれど30分過ぎれど1時間過ぎれど、さっぱり飛ばぬ。
中国語とアラビア語と英語でアナウンスがあったと記憶しているが、残念ながら私はどれも不得手である。

さすがにちょっと不安になってくる。
周りからは中国語とアラビア語しか聞こえず、日本語情報を盗み聞きすることも叶わぬ。
さすがにアウェー感を覚えざるを得ない。

というか、私はカイロの空港に着いた後、ホテルのシャトルバスを予約しているのである。
彼等は待ってくれるであろうか。不安もじわじわ染み出してくる。

もしも待ってくれなかった場合、空港に待機しているタクシーを捕まえることになる。
旅行ブログには、カイロのタクシーは相当ぼったくると書いてあった気が……。
あれ。そもそも相場っていくらだっけ。記憶にございません。

しかも、何故かイスの背もたれを下せない。
後ろを振り返るとエジプト人が膝でブロックしてやがる。
おい、私は1ミリも動かしてねえんだぞ。

と文句を言ってやりてえが、生憎怒りが言葉にならぬ。
言葉を知らぬのだから当然である。

しつこいようだが、この段階でも私は自分の語学力でも、まあ、なんとか旅行できるだろと思っていた。
ただ、冷静に考えれば、既に崩壊の危機に瀕しているのだが。
私は不安を感じてはいたが、ただ、どうにかなるという自信だけは一切揺るがなかった。

二時間遅れくらいで飛行機は飛んだ。
機内食の味はよく覚えていない。隣の巨漢が2食分頼んでいたことだけは覚えている。

そしてイスの背もたれを1ミリも下せぬまま、一睡もできぬままアジアを横断しアフリカの玄関口へと降り立ったのだった。

2018年のエジプト奇譚(エジプト旅行)第二章:波乱のチェックイン

大変良い姿勢で座ったまま、私は約十時間ほどじっと時が過ぎるのを待っていた。
もはや宗教的な苦行である、私がなんでこんな目に合うのか。
そんな思索をひたすらに繰り返していたが、悟りを開くことはなかった。

だが、楽しいことにも辛いことにも終わりはある。
ようやく、カイロの空港に着いた。

普通なら喜び一杯なのかもしれん。
だが、私は疲労困憊であるし、本当に眠かった。

今すぐ寝たい。観光とか良い。飯もいい。ベッドをよこせ。

ただ、残念なことにまずはホテルまでは辿り着かねばならない。
ホテルのシャトルバスとは空港を出たところで待ち合わせをすることになっているはずである。
とりあえずは、行ってみるか。

と思って私は空港から一歩足を踏み出した。

その瞬間、肝っ玉サイズ日本最小級の私はビビった。
空気が違ったのである。

熱く乾いた空気、なんとも形容しがたい匂い、自分のいた世界とは明らかに違う成分で構成されている。

そして、獲物を狙う獣のような視線のエジプト人タクシードライバーたち。
なんだかオオカミの群れに取囲まれてしまったような気分であった。
しかし、じっとしていてもホテルは歩いてこない。
だから、歩いていくのである。

ホテル名が書かれた紙を掲げる面々をチェックするが、どうやら自分の止まるホテルはないようである。
うむ。やはり待ってくれなかったようだ。
そりゃそうだわな。

となれば、この中からタクシーを拾わなければ……。

――空港のタクシーはぼったくってる。

ブログの一文が脳裏を横切る。
あと、俺は適正価格を知らん。

と、思ったらドライバーが笑顔で寄ってくる。
相手は慣れているらしく、ゆっくり喋ってくれる。
で、あるがゆえに何となく理解できた。少なくともこの旅に出て一番聞き取りやすい。

もういいや。適当に決めよう。この人でいいや。
35ドルと言ってきた。とりあえず値段交渉。20ドルと言ってみる。
30ドルならと言ってきた。もうめんどくさいし、それでいいよと言った。
(エジプトのタクシーはメーターではなく交渉制が主流らしい)

兄ちゃんはすげえ笑顔になって握手を持ってきた。
それから私のスーツケースを猛烈な勢いでタクシーのトランクにぶっこんで、私も助手席にぶっこんだ。
まるで獲物になった気分であった。

私の宿はカイロではなくギザにある。
であるがゆえに高速道路になっていくのであるが、なんというか、日本とはまるで違う道路状況であった。

まず車線という概念がない。
心のままにスイスイ間を縫って進んでいく。

しかも、道路環境がワイルドである。
突然止まったと思ったら、路面がへこんでいる。
驚天動地である。

しかも、道路の両脇に立ち並ぶビルもなかなかワイルドである。

これはカイロ→ギザではなく、後日のギザ→カイロの写真であるが参考として。

私は正直ちょっとビビっていた。

まあ、タクシーの兄ちゃんは笑顔だし、とりあえず話しかけて気分を紛らせてみようと思った。
せっかく現地に着いたんだしな、何事も挑戦しないことには始まらない。
日頃はめったに思い浮かばないポジティブ思想を記憶の奥底から引っ張り出して、一生懸命英語で話しかけてみる。

最初はタクシーの兄ちゃんも笑顔で答えてくれていたのだが、段々会話が続かなくなった。
――仕事で使う英語は分かるけど、それ以外は分からないんだ。
とタクシーの兄ちゃんは感じの良い笑顔で言っていた。

その言葉は本当だったのか、それとも私とは話をしたくなかっただけなのか、今でも分からない。

それなりの時間乗っていたのと思う。そのうち、遠くにピラミッドが見え始める。
ちょっと気圧されていた私の心に、少しだけワクワクがよみがえる。

兄ちゃんがスマートフォンで誰かと電話している。たぶん、ホテルだろう。
やっと、ホテルだ。ホテルにつけば一息つける。
私は少しだけリラックスしていた。

で、ようやく着いた。
ここがホテルである。

タクシーから出る。
兄ちゃんが、スーツケースをもって車の外に立っている。
そして、彼と対面した瞬間、私はまたしてもビビることになる。

顔が全然違った。笑顔がなくなり、眼光が不気味に鋭い。

そして、「35ドル」と言った。
私は息を呑んだ。私たちは30ドルで
それから「30ドルだ。約束した」と答えた。

別に払わなくてもよかった。と今なら思える。

ただ、私は気圧されていた。
彼にだけではなく、その周囲の雰囲気にも。
馬のいななきや独特の匂い、周囲からの奇異の視線にも。
乗り継ぎの空港からここに至るすべての経験にも。
自分の体にたまっている披露にも。
言葉が上手く出てこないことにも。

そして、気づく。この人の英語が分かりやすかったのは、私からお金を取るためだったのである。

英語が浮かばない。言い返すことが、できなかった。

――いいよ、どうせ500円ちょっとだろ。
負け惜しみのように言い聞かせ、35ドルを払った。
兄ちゃんは威圧的な眼光を浮かべたまま「センキュー」と言った。
最初のさわやかな笑顔は、もうどこにもなかった。そして、去っていった。

その後、私はフロントに案内される。

気落ちしていた私は、まず予約していたシャトルバスに乗れなかったことを説明しないといけない気がした。

エアプレイン・ワズ・ディレイド。ソー・アイ・クドゥン・ライド・バス。

通じなかった。だから、何回か繰り返した。
だけど、通じなかった。

「ああ!?」
フロントは声を荒げた。
キレた。英語で。だけど、何と言っているのか聞き取れない。

私は何も言えなかった。
先生に怒られた小学生のような気持ちであった。
沈黙が、私の背中にのしかかった。

というか、キレ散らかすだけならまだしも、ツバを飛ばし散らかすな。

フロントは舌打ちをした。
ズキューン、と私の自尊心を華麗に撃ち抜いた。

パスポート。
フロントとぶっきらぼうに言った。
私は無言で差し出した。意気消沈。

ホテルのフロントで怒鳴られる。
したくもない初経験である。

そして、私はようやく実感した。
自分がそうとう無茶な旅行を計画してしまったことに。
今の私がコミュニケーションをとれるのは、私のことを騙そうとする相手だけだということに。

私の中で猛っていた根拠のない自信が、ぱちんと弾けて消えた。

スタッフにホテルの部屋に通された。窓からピラミッドが見えた。

私の心の中では「これから先どうすんだよ、マジで」的な自己嫌悪コーリングが、高らかに鳴り響いていたのであった。



※続くのである。


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