ドブ川のコーヒーカップ/地底湖のVtuber

無気力とドブ川

個々のところ、ぼんやりと憂鬱な気分が続いていた。

無気力。時々ブログは書きたくなるけど、後は何もしたくない。
戦に敗れた現実を受け入れられない落ち武者のような日々を過ごしていた。

陰鬱で空虚な心に忍び込んでくるのは、昔の思い出で。
どれもこれも思い出したくもない最悪の出来事ばかりだ。
それは不運や理不尽だったりもするし、単純に自分の失態に起因するものだったりする。
自己肯定感をごりごり削る場面だけがフラッシュバックするのだから、たまったものじゃない。

(ポジティブな記憶を思い出しやすい人とネガティブな記憶を思い出しやすい人には遺伝的要因から差があると『サピエンス全史』で読んだと記憶している。もし本当なら、俺が手にして生まれた手札の中でも、こいつは最悪のカードだ)

自分の過去からひたすら自分を否定され続ける。じわじわと炙るように。
あんまり精神衛生的にはよろしくない。
自分でも驚いているのだけれど、物心ついたころの記憶さえ蘇ってくる。
そんなことを覚えていて、一体だれの得になるんだろう。

俺の心がドブ川だとしたら、そういう思い出は不法投棄されたゴミのようなものだ。
ヘドロまみれで、川面近くまで滞積して、異臭を放つせいで気づかないふりもできない。

俺はそんなゴミを必死にかき分け、汚泥に塗れるような日々を繰り返していた。
前に進みたくても、前に進まないのは負け犬だと分かっていても、気持ちにどうしても力が入らない。

ドブから抜け出したくても、俺は何もできず、ただ自分を呪うことしかできない。

狂う歯車、喫茶店のクソ

そのうち、最初は調子のよかったデイトレの戦果が突然悪化し始めた。
一度狂った歯車はどんどん悪化していき、ついにはかなり手痛い損失を喰らってしまった。

だから、今後の方向性の検討と気分転換を兼ねて久しぶりに某巨大チェーンの喫茶店に行くことにした。

久しぶりの喫茶店だった。でも、コーヒーは飲まない。
カフェインは気分を高揚させる。情緒が不安定になりやすい体質の俺は退職を機に飲むのをやめていた。

というわけで、
30半ばのオッサンが、平日の午後に、一人でバナナジュース。
世間的なアレはアレとして、俺にとっては非常に良い気分転換だった。
目に映る風景がいつもと違うだけで、やはり気分は変わる。

来てよかった。
最初はそう思ってた。

ただし、状況は暗転する。

本当にそうだったのか、いまだは自信はないのだけれど。
陰口を言われた。

向かいの席に座る二人組の一人が、トイレから戻る途中に妙に長い一瞥を俺に向けたあと席に着いた。
そして、「自分の子供がいい歳して働いていないクソみたいなやつになったら、地雷撤去に行かせる」と妙に大きな声で言ったのだ。

気のせいなんじゃないの?
と言われれば、
まあ、そうですよねえ
と俺は答えると思う。

ただ、復職してから退職するまでの半年間、その人と同じような人たちの陰口に延々晒され続けた身としては、その匂わせ方が全く一緒としか思えなかったのだ。

聞かせたい言葉を絶妙に大きくするときのねとついた鋭さには、身に覚えがあった。

クソ。その言葉を強調するように数回言っていたと思う。
どうしようもない、とかそんな言葉も行っていたような気もするけど覚えてない。

まあ、本当に陰口なのか断言はできないけど。
俺のことなんて眼中になくて、本当にいい歳して働いてない奴はクソだと憎く思っていたのかもしれない。
(ただ、今の俺は会社に雇用されていないおっさんなので、その人の定義するクソにはどっちみち当てはまる)

ただ、そんなことはどっちでも良い。
重要なことはその言葉がヘヴィに効いたということだ。

本来、この出来事は単に「俺の心のドブ川に、ボロボロの自転車が放り込まれた」に過ぎない。

自分で言ってて悲しくなるけど、俺は惨めな思いをすることにはもう慣れている。
いつもの俺なら、ちょっと落ち込むくらいだと思う。

ただ、今の俺はいわばノックダウンしてテンカウントを待っているような状態なのだ。
そして、ダウンしている人間への振り下ろすような一撃は、残酷なまでに響く。

頑張り続けて、何もかも空回りして、落ちるところまで落ちて。
そんなときに他人からクソという言葉を聞くのは、なかなかしんどい。
仮にその言葉がある面においては正しいとしても。

ドリンクバーへと流れ着き

次の日、俺は落ち込みながらもデイトレの研究をしたり音楽聞いたり、今まで通りの(貯金が尽きるまでの)日常を過ごした。

だけど、俺のドブ川は取り返しがつかないくらい澱み、蛆が湧いていた。
ずっと、クソという言葉が繰り返され、過去の嫌な思い出も今までにないくらいの頻度で蘇る。

どんなときも、何をしていても、あまりにも悲しかった。

もう一度気分転換をしようと出掛けた。
ただ、喫茶店にはいきたくなかったのでドリンクバーがあるファミレスに足を運んだ。

そこで、自分でもよく分からないけど、なぜか久しぶりにコーヒーを飲もうと思った。

たぶん、ドブ川の奥底に沈んだコーヒーカップに目が行ったんだろう。

コーヒーの味、俺は好きだ。
気分を高揚させたり落ち込ませたりするカフェインがなければ毎日飲んでもいい。
実際、会社勤めをしていた頃はコーヒーを飲まなければやってられなかった。
ただ、飲み過ぎたコーヒーは俺の崩壊の要因にもなっていたかもしれないけど。

砂漠の底の宝石

俺は珈琲を飲みながらなんとなくスマートフォンを見てみる。
一人でエジプト旅行に行った時の写真に目が留まった。

一気に過去の記憶が蘇る。

本当に楽しかった。
最初は全然英語が通じなくて、ホテルのフロントに切れられたりして。
でも、メーターを改竄したうえに目的地についても降ろそうとしないタクシードライバーと出会って、全然交渉ができなくて、このまんまじゃ本当に死ぬかもしれないと思ってからは多少まともになった。

昔、メジャーリーグに川崎って日本人選手がいたとおもうんだけど。
あれくらいハイにコミュニケーションを取ったら少しずつ気持ちが通じ合うようになったのだ。

日本語だと言葉を駆使出来てしまう。だから、微妙なニュアンスを伝えることは出来るけど、気持ちを伝えることをおろそかにしてしまいがちだ。

たださ、一番大切なのは、気持ちでしょ?

全力で、気持ちを、必死に。
そういう感覚、随分、忘れていた。

もちろん、これは誰かとコミュニケーションをする話ではない。
俺が、俺の心にどうやって向き合うかの話だ。

俺の気持ちを、俺の心にちゃんと伝えるんだ。
こうしたいって、
ああしたいって、
生きていたいって。

そうすれば、きっと活き活きしてくるって。
楽しくなるって。
前にだって、進めるかもしれない。

カフェインの幻想/地底湖の邂逅

気持ちが上向いている。
すぐに俺は問いかける。
これ、カフェインの作用では?
間髪入れずに俺は答える。
うるせえ、黙れ。
泥沼から這い上がるのに手段を選んでる余裕はねえんだよ。

まあ、青臭い話は俺みたいな「クソ」が言っても痛々しいだけだ。
だから、そうだな。Vtuberあたりに言わせてみたらどうだろうか。

心の奥底の、そのまた奥の洞窟の、そのさらに奥の地底湖に住むキュートな男の子。
歳は12,3歳くらいかな。
マジシャンみたいなシルクハットとタキシードを着ているけど、サイズが少し大きそう。
そいつは朗らかで、ハイテンションで、誰とでも仲良くなれて。

俺の心の中にいるくせに、なぜかYoutubeでマメにゲーム実況とかしてる。
おっちょこちょいなところもあって、時々配信を切り忘れて素の独り言をもらしちゃったり。

誰かがそいつに相談する。
「もう打ちのめされてしまいました。心の糸が切れてしまいました。何もする気が起きません。僕はどうすればいいのでしょう」

そいつは声変わり前の澄んだ声で元気よく微笑みかえる。
「僕が一緒にいてあげる」
そして、画面に向かって右手を差し出す。
「僕といれば楽しいよ、たぶんね!」



その日は気分が良かったので、久しぶりに銀だこを買って帰った。
もちチーズ明太は、いつ食べてもジャンクで美味しい。

未来の自分へ

俺の心は人より不安定だ。
今の気持ちもあっという間に消え失せ、すぐに元通りのドブ川を這いまわる日々に戻るかもしれない。

だから、どうか。
どうか、その時の俺が、この文章を思い出してくれますように。

自分の気持ちに真っ直ぐに向き合って。
そうすれば、きっと楽しい気持ちが還ってくるはず。

だから、どうか。

どうか。


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