こんにちは。
Coboltはスウェーデン出身の4人バンドです。
ジャンルとしてはSlow Core/Sad Coreに分類されるのが一般的でしょう。

特徴としては、物憂げに透き通るような空気感と時折見せるラウドな高まりでしょう。
ややアメリカーナな匂いのするアメリカのバンドとは違い、音の質感がしっとりとしているのも面白いところです。
さらに言えば、メンバーには元RefusedのベーシストMagnusもいたりします。
本記事では、そんな彼等の全アルバムを紹介します。
Coboltの全アルバム Slow Core/Sad Core(スロウコア/サッドコア)に潜む物憂げな水晶
文章だけでは分かりにくいので、各アルバムの特徴・相互関係をグラフにしてみました。

いかがでしょうか。
リリースを重ねるにつれ、サウンド面でも感情面でもヘヴィさが薄れていく傾向にあります。
(1st)Eleven Storey Soul Departure
1997年リリースのデビューアルバムです。
蒼いジャケットが印象的です。
特徴としては、Coboltの中で最もヘヴィなアルバムであることでしょうか。
とりわけCodeineからの影響が顕著です。
スロウなドラムス、地を這うようなベース、ラウドなギター、陰鬱な旋律を紡ぐボーカル。
「静」「動」の緩急を使い分け、聴き手の感情を揺さぶってきます。
楽曲の骨組みはCodeineとその影響下にある他バンドに類似していると言えます。
ただし、それはあくまで骨組みだけの話です。
本作にはCodeineにはないオリジナリティがあります。
それはアルバムの空気感が、透き通るように美しいことです。
本作は北欧出身のバンドが持つ、幻想的な湿り気をうっすらと帯びています。
もちろん、Slow Core/Sad Core特有の陰鬱でスロウな空気感は本作にもあります。
そこに北欧特有の幻想的透明感を重ね合わせたバンドは稀有と言えます。
組み合わせとしては非常にマッチしていて暗闇の森で出会った淡く輝く魔法の泉のように、この世ならざぬ蠱惑さがあります。
しかし、本作はただただ美しいだけではありません。
音に込められている苦悩の若々しさからも、強烈な印象を受けます。
鳴らされる音が、非常に激情的なのです。
同時代のエモを思わせる激情が、物憂いSlow Core/Sad Core的空気の基底で暴れるように渦巻いています。
幻想的に美しい透明感と若々しい激情が、陰鬱でヘヴィなサウンドの中で混ざり合っているのです。
かき鳴らされるクランチトーンの余韻から、
平坦な歌声が一瞬奏でる感情的な旋律から、
力強く鳴らされるシンバルから、
儚いほどに澄み切った感情があふれ出ています。
若く、ヘヴィで、美しいアルバムです。
(2nd)Spirit on Parole
1998年にリリースされた2ndアルバムです。
ヘヴィさが落ち着き、ノーマルなSlow Core/Sad Coreサウンドへと移行しています。
その一方、前作の美しい透明感は健在です。
透明感漂う物憂いサウンド・レイヤーの下は、はち切れそうな激情が相変わらず濁流のようにうねっています。
コード弾き主体のエレキギターは清澄に響き、
ピアノは豊潤な音色を残していき、
ストリングスは息を呑むほど艶やかで、
かすれ気味のボーカルは胸を打つメロディを紡ぎ、
ドラムスとベースは緊迫しながらも息を潜ませるように。
それらの要素は寄り合わさり、緊迫感を漂わせながらも密やかなサウンドを創りだします。
もっとも、感情を爆発させるときはディストーションとともに激情を吐き出しますが。
また前作と比べ、サウンド全体の色彩は淡く明るくなっているため、激しさの中にもどこか突き抜ける青空のような吹き抜けの良さがあります。
物憂げであり、緊迫感もあり、吹き抜けが良い。
何とも絶妙なバランス感覚だと思います。
陰鬱な透明感の奥底に潜むフレッシュさを感じられる、非常に美しいアルバムだと思います。
(3rd)Passoa
2002年リリース。2019年現在、最新アルバムになっています。
過去2作よりも、全体的に落ち着いているのが特徴です。
爪弾かれるアコースティックギターと共に始まるような曲もあり、良い意味でこざっぱりとした印象を受けます。
もちろん、スロウで物憂げな曲調は変わりません。
ラウドに盛り上げる曲での「静」「動」のスタイルも引き続き使用されています。
ただ、情感の表現がやや軽くなっています。
憑き物が落ちたように、感情の不安定さによる激情さが霧散しています。
さっぱりとしたエレクトリックギターのストローク、
普通のインディーロックのようなセンチメンタルな旋律を奏でるボーカル、
ドラムスとベースはよりシンプルなロックサウンドに近づいてます。
濃霧のように立ち込めるSlow Core/Sad Core的な重たさが、かなり弱まっているのです。
そして、霧が引き、代わりに顔を出すのは彼等の曲を形作る美しい感性そのものです。
しかも、剥き出しの感性がまた非常に美しいのです。
また、「エモさ」も激情的なものではなく「大人びたせつなさ」へと変わっています。
特にアルバム後半ではひそやかな曲も多く、美しくもどこか諦観を含んだ味わい深い感情を垣間見ることが出来ます。
透明感はそのままに、深みを増したアルバムと言えるでしょう。
終わりに Cobolt、マイナージャンルなSlow Core/Sad Core(スロウコア/サッドコア)でも奥地の極みみたいなバンドです。
いかがでしょうか。
アメリカで発生したSlow Core/Sad Coreですが、かなり早い段階でスウェーデンに波及していたんですね。
ただ、Refusedというかなりハードコアなバンドにいた人が参加しているのですから、スウェーデンでもアメリカと似たような空気感があったんでしょう。
日本では、どうだったんでしょう。
ふと気になりました。
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