「怒り」VS「正論」の先にあるもの、『ヨブ記』。 なるべく簡単に、名言を含みつつまとめてみた。



こんにちは。

紀元前文学第15回、『ヨブ記』です。

旧約聖書の一部を成し、『諸書(ケスビーム)』に分類されます。
現代的な観点から見た哲学的・文学的な深さがあり、ドストエフスキー、ゲーテ、キルケゴール等々数え切れない作家に影響を与えています。

成立年代は紀元前5世紀から2世紀、おおむねとされています。

古代イスラエルが、アケメネス朝ペルシャからプトレマイオス朝エジプトの支配下にあった年代です。

『ヨブ記』のあらすじ なるべく簡単に。

主な登場人物

  • ヨブ     主役。神を敬い、豊かな財産と多くの子供に恵まれる。
  • 敵対者    ざっくりいうと、悪魔(サタン)。
  • ヨブの友人達 病気になったヨブの様子を見に来る。敬虔。3人登場。
  • エリフ    3人の友人と一緒に見舞いにきていた。
  • ヤハウェ   神。全知全能。泰然、気まぐれ。

(1)ヨブ、神の気まぐれで何もかも失う。

ヨブには7人の息子と3人の娘がいます。
家畜も奴隷も沢山いて、とても裕福な家柄です。
さらにヨブは敬虔です。
子供達がのため毎朝祈っていました。

ちょうとその頃、天上では敵対者ヤハウェの前に現れます。
ヤハウェ敵対者達に対して、ヨブの敬虔さを見習えと言います。
これに対しての敵対者の反論が見事です。
ヨブとて理由もなしに神を崇めたりするか」と言い放ち、さらにお前が加護してやってるからあいつは裕福なのだと主張しています。
そそのかされてしまったのでしょうか、ヤハウェ敵対者達に彼の資産を奪い取るように指示します。

そして、ヨブは財産も子供達も、盗賊と天災で全て失ってしまいます。
さらに、彼の全身は悪い腫れものに覆われてしまいます。

そんな姿の彼から人々は遠ざかっていきます。
ついには、奥さんから「――神を呪って死んだらいい」とまで言われてしまいます。


幸福の只中から急転直下、ヨブは何もかも失ってしまったのです。

(2)ヨブ友人達との激しい舌戦

ここが『ヨブ記』の核となるパートです。

ヨブの様子を聞きつけて3人の友人(テマン人エリバス、シュア人ビルダデ、ナーマ人ゾパル)が見舞いにやってきます。

友人達ヨブの変わり果てた姿を見て涙を流し、7日7夜無言のままともに過ごしました。
深い友情を感じさせる一幕です。

7日後、ヨブはようやく口を開きます。
そして、友人達は驚きます。
ヨブの口から放たれたのが己を呪う壮絶な言葉だったからです。

何故わたしは腹から出て死なず 胎から出たまま息絶えなかったのか。

何故わたしは死産の子のように 光を見ない赤子にならなかったのか。

『七 ヨブの最初の独白』,p14,ヨブ記,岩波書店,1971

ヨブは絶望と憎悪に呑まれていました。
友人達ヨブをいさめようとします。
しかし、話はこじれだし、ヨブは怒りを爆発させ続け、友人達ヨブを嘲るようになっていきます。
そして、ヨブと友人達の長い長い口論が始まります。


では、それぞれの主張を要約しましょう。

ヨブ側:
生きることは苦しい。神は理不尽である。あれだけ祈っていたのに、こんなひどい運命を強いるなんて。神に一言モノ申したい。

わたしは神に抗議したいと思うのだ。

『十七 ヨブの第三回弁論・続』,p49,ヨブ記,岩波書店,1971



友人側:
全ては応報だ。何か悪事を働いたから、その結果として君はこんな目にあっている。神に怒るのは筋違いだ。

考えてもご覧。誰が罪なく滅びたか、正しい者で亡ぼされた者がどこにある。

『八 エリンズの第一回弁論』,p18,ヨブ記,岩波書店,1971

基本的にはこの意見のぶつけあいが続きます。

悲嘆に暮れて死を願うヨブに対して、友人達ヨブの振舞いに罪があったから現状があるのであることを指摘します。

古代イスラエルともなれば、神に疑問を呈するなど倫理的に許されぬことはずです。
友人達が怒るのも無理ないことかもしれません。

しかし、ヨブとしては毎日真摯に神に祈っていたつもりだったのです。
つまり、罪がないのに自分は滅びてしまったと感じているわけです。
ただでさえどん底にあるのに、友人達から神経を逆なでされればさらなる怒りに身を燃やすのも詮無いことです。

友人達ヨブを嘲りながらも怒ります。
そして、友人達ヨブが兄弟から理由もなく質として着物を取ったり、飢えた者に水やパンを与えなかったりと悪辣なことをしていることを指摘します。

これ、信仰的には結構アウトな気がします。
しかし、ヨブは悪事を働いたのは自分だけ、という謎理論で一切取り合いません。
要するに降り注ぐ受難に見合うようなことを自分はしてないと考えているのです。
割に合わない! とヨブは言いたいわけです。


口論が長くなるにつれ、ヨブはだんだん感情的になっていきます。
そして、ヨブの主張に友人達はだんだんと押されていきます。
上っ面な正論よりも迫真の怒りのほうが力を持つようになっていくのです。
ヨブの感情を一度受け止めてあげるだけでもだいぶ違った気はします)

途中から口論に参加したエリフの主張にも一切動じませんでした。

(3)ヤハウェヨブの論争

ヨブは嵐の中、ヤハウェと邂逅します。

そして、いきなりヨブの怒りをへし折ります。

地の基いをわたしがすえたとき、君は何処にいたか。

語れ、もし君がそんなに利口なら。

『四三 神の第一回弁論』,p142,ヨブ記,岩波書店,1971


ヤハウェは世界の中心は自分であることを指摘します。
世界の中心たりえるのは、全能たる神のみというわけです。
決して人間たるヨブではありません。

ヤハウェはそのことを示すように自分が為した偉業を披露します。
地の広がりを知っていること。
大雨が降り注ぐ水路を作ったこと。
金星の軌道を調整すること。

ヨブは圧倒されるしかなかったようです。


ヨブにとって信仰はあくまでも自分の利益を目的にしていました。
だからこそ、自分の思い通りにならなかったから怒っているのです。

ヤハウェの指摘によって、ヨブは自分が世界の中心ではないと気付かされます。

続いて、ヤハウェヨブと一緒につくったカバについて言及します。
これはヤハウェヨブを自らの被創造物として秩序の中に組み入れなおしとも解されるようです。

友人達相手には烈火のごとく言い返したヨブですが、ヤハウェ相手には一発KO。
ヨブは自分の無知と過ちを認め、悔い改めることを誓います。
自己中心的・御利益ください的な信仰では神へと近づけないということでしょう。

(4)物語の結末

ヤハウェ友人達にお叱りの言葉を下知します。
彼等の言葉が
ヨブを救えなかったからです。
そして、家畜をヨブの捧げるように命じます。

そして、ヤハウェヨブの運命を転じます。
去っていった人々が帰ってきて、ヨブに贈り物を捧げます。
また、当初ヨブが所有していた2倍以上の家畜がヤハウェから与えられます。
息子7人と娘3人も生まれ、
ヨブは末永く生きました。


テーマがどうであれ物語はこうでないと、という結末ですね。

『ヨブ記』の魅力を簡単に 果たして名言か? パンチラインか? それともありふれた人間関係か?

魅力その1 ヨブ友人達のラップバトルさながら熱い舌戦

彼等の韻文バトル、本当に面白いです。
当時の社会にとって絶対的倫理観であった信仰と神について凄まじく熱い舌戦を繰り広げます。

『信仰と神』なんて言うと縁遠く感じますが、要するに道徳でもあるので、「ちゃんと生きてるのに何で報われないんだ?」というテーマにも置き換えることが出来ます。
この世の理不尽と神の横暴さを怒るヨブと彼に対して、神には逆らってはいけないという一般的な正論を友人達はぶつけていきます。

バトル・ルールはヨブが何か言う度に友人達が代わる代わる反論していくもの。
しかも原文は韻文。訳文でもリズム感は圧巻。
マイク一本で相手をぶちのめそうとするがごとき迫力があります。

友人達の言葉は正論なので、一見した限りでは説得力があります。
しかし、ヨブという人間が直面している個別具体的な状況を見ようとしていないので、どうにも上滑りになってしまいます。
そこに対して、ヨブは実体験に即してこの世の倫理観に挑戦をしていきます。
歪みも誇張もありますし、自我肥大的でもあります。
しかし、圧倒的なエネルギーで数に勝る相手を徐々に圧倒していきます。



ヤハウェ相手になると一発KOなところも面白いですが。

魅力2 人間関係の難しさが見える?

『ヨブ記』は聖書に組み込まれている以上、結末にも神への再回帰という宗教的な意味合いを持ちます。

しかし、『ヨブ記』は宗教色を抜いても十分に意義深いと思うのです。
例えば、現代の人間関係においても見返りを期待して何かを相手に与える、ということは当然にあります。

ヨブヤハウェに対して自分でも気づかぬうちにこの見返りを求めていました。
そのうえ、それが果たされないと怒り、自意識を肥大させ、思い通りに行かないと喚き散らしていました。

これ、「俺は(私は)こんだけしてあげてるのに何で!?」という言われたり言ってしまったり思われたり思ったり、ありがちな一言に収束していきます。

そして、親しい友人でさえ過酷な状況に陥ってしまった者を救うのは難しいのです。

魅力 3 名言ではなく『ヨブ記』の構造

『ヨブ記』にも名言はあります。
ただ冗長な言葉の中で切れ味鋭い一閃が登場したり、あるいは様々な言葉を積み重ねた頂にあるからこそ重みを感じられたりするのものが主です。
話全体の構造から切り取られてしまうと、美味しさは感じられないです。

『ヨブ記』の魅力は、ヨブという人物が現実に打ちのめされ、もがき苦しみ、どうにか立ち上がっていく過程にあります。

屈辱と憤怒にまみれながら、どうにか成長をする物語なのです。
そういった一連の流れが素晴らしいので、是非読んでほしいなと思います。

魅力4 神への挑戦の言葉

ただ、せっかくなので一つだけ名言を引用したいと思います。
神が全能たる世界で、ヨブが神に向けた一節がとても美しいのです。

何故わたしと争われるかを示したまえ

『十四 ヨブの第二回弁論・続』,p39,ヨブ記,岩波書店,1971

絶対的強者・絶対的倫理観に一歩も引かずに立ち向かう。
もちろん、ヨブにも多々多々問題はありますが、おかしいものにおかしいと言って立ち向かっていくパワーには感銘を受けました。



と、いったところでしょうか。

それでは。

3 件のコメント

  • 『NHK_こころの時代』の「内村鑑三その面影をたずねて」にて、内村が、この『ヨブ記』を読んで、自分の現状と照らし合わせ、涙して読み、そして、その後、新たな心境を得たとの話があり、『ヨブ記』に興味を持ちました。

    このサイトを拝見し、ヨブも、決して聖人君子でなく、実に人間的な感情を持った私達と同じ人間なのだとわかりました。このサイトは、単に、宗教の勧めでなく、人としてどう生きるかを、考えさせてくださるサイトです。ありがとうございます。

  • 正論太郎01 様

    コメントありがとうございます。

    そのようなテレビ番組が放送されていたのですか。
    私も是非見てみたかったです。

    また拙セイトへのご評価、誠にもったいないお言葉であり大変光栄に思っております。
    私もそのお言葉から大切な力を頂けました。

    ありがとうございました。

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