黒い人生と白い自分

人生とチェス

人生を起死回生させるための機会を何とか掴もうとしている。


人生をチェスだと考えよう。
黒い駒なら僕は白い駒。
僕はボロボロになった白陣営を冷静に見つめ、残り少ない手駒を的確に配置すべく頭を使っている。
そして、クイーンやキングのような重要な駒の、次の一手に僕は頭を悩ませている。

大切な一手だ。何せ僕に残された時間は少ない。
重要な局面、
逃げちゃいけない場面、
勇気を奮い立たせなきゃいけない全てが終わる瞬間。
だけど、僕は手を打たずにそのまま時間だけが過ぎている。

ウジウジと悩んでいる。何故か?
どう、駒を動かせばいいのか分からないのだ。
攻めあぐめて何もできない状況が随分と続いている。

結果として、僅かではあるが僕の状況は悪化している。

悩みの種

なぜ次の手を打てないのか。

正解の一手を思いつく創造性が欠落しているからだ。
最初の一歩を踏み出す勇気がないからだ。
道を間違えずに歩み続ける賢さも足りていないからだ。

どれか一つでもあったなら、果敢にチャレンジはできたはずだ。

もちろん盤面を俯瞰的に見た場合、躊躇なく進められている局面もある。
(それは状況が良いことを意味しない。ただ、現状においてなすべきこと、出来ること、出来ないことが明確なだけだ)
ただし、一番大事な部分がどうしても進められない。

それはどうやって飯のためを稼ぐかということだ。

現状の確認

今のところ、僕は休職中という立場を維持できている。
だから元の場所に戻るという選択肢もある。
この駒をキープをしておくのは極めて妥当な判断だ。

ただ、あの場所は僕には向いていなかったと思うし、最後に人間関係を大爆発をさせて休職している。
今も居場所があるのか分からない。

そして、特殊な業界だったのでどう転職するにしても未経験になる。
別の組織に雇用されるにしても大きなリスクが伴う。
(そもそも採用されるかがあれだけど)
雇用されないパターンならもっと凄まじく大きなリスクになるだろう。

打つ手がない、とは考えてない。
そんなに絶望的とは思えない。
自分を奮い立たせるためにではなくて、本当に冷静にそう思う。

ただ、次の一手が閃かないのが大きな問題なのだ。
創造性がない。
そのうえ勇気さえない。

創造性があれば良い手が思いついただろう。
勇気があればとりあえず走り出しただろう。
そして賢さがあれば、なんだかんだで上手くやって行けただろう。

分かってはいたことだけど、僕には何もない。

複数の選択肢

いや、違う。ある。あるのだ。
上手く言えないけど、本当はあると思うのだ。
だけど、それを引っ張り出す術が分からないまま長い年月が過ぎてしまった。

「今の会社にしがみつくべきだ」って皆から言われて、僕はそれを真に受けてきた。
他に選択肢はない。そう思い込むことで僕は余裕をなくしていた。
だけど、本当はもっともっとあったはずなのに!

最も重要なことは複数の選択肢を持ち続けることだ。

頭の中に複数のプランがあれば、どれか一つが潰れても余裕を保てる。
「この会社に馴染めないならじゃあ、そうだな……」と他のプランを考えられるようにしておくべきだったのだ。
だけど、捨て犬のように哀れな僕は、会社に馴染むべく健気な努力を続けていた。

僕は悲観を気取ることで格好をつけていた。

「自分にも何もない」なんて、それはただの悲観的ナルシズムだ。
僕はそうやって自分を守って本当に傷つくことから逃げてきただけだ。

だけど、たぶん僕は何かを見逃したまま悩んでいる。

ありきたりな言葉を今から書く。
世間の常識とか上っ面なだけのアドバイスを、僕はろくに考えずに受け入れていた。
だけど、自分の頭を使ってもっと早くから考えておくべきだったのだ!

敗北へのジャイアントステップ

僕は考えたい。
勇気を持って一歩を踏み出せる日はこないかもしれない。
常識的に考えれば来ない確率のほうが高いはずだ。

ただ、どうするにせよ納得だけはちゃんとしたい。
誰かから押し付けられた思想や役割はうんざりだ。

納得をして、胸を張って最後の一手を盤面に打てるように。
そんな贅沢を味わえるように。
足掻き続けよう。

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