B.C.1177 古代グローバル文明の崩壊/エリック・H・クライン



こんにちは。

『B.C.1177 古代グローバル文明の崩壊』は古代オリエントに関する研究書です。

いわゆる『海の民』の登場によって引き起こされたとされてきた紀元前12世紀の古代オリエント世界の文明崩壊を、最新の考古学的研究の成果を還元させたうえで改めて検討しています。

なお、著者のエリック・H・クライン先生はジョージ・ワシントン大学に所属する歴史学者・考古学者です。

それでは見ていきましょう。

『B.C.1177 古代グローバル文明の崩壊』の魅力 古代オリエント世界の従来の仮説を覆す魅力的な新説

本書は5章構成になっています。

  • 1章から3章にかけて紀元前十四世紀から十三世紀の『海の民』到来直前までの社会的変化を描き、
  • 4章で『海の民』の実像に迫り、
  • 5章では紀元前十二世紀の社会崩壊の原因を考察し、
  • エピローグで文明崩壊が後の社会に与える影響を描く。

といった内容です。

それでは見ていきましょう。

そもそも海の民とは

『海の民』は紀元前十二世紀に現れ、古代オリエント世界を侵略して次から次へと荒廃させて回ったとされる、様々な部族の集合体とされる人々です。

彼等の侵略活動が古代オリエントの衰退を招いたというのが従来の学説ですが、本書においてはそれを疑問を呈するために論を展開しています。


そして、そんな『海の民』がラムセス3世統治下の古代エジプトに押し寄せたのが紀元前1177年とされています。

大国エジプトは『海の民』を撃退しますが、その後徐々にその勢力を弱めることになります。
また、他の大国も消滅へと向かって古代オリエントの栄華は消えていきます。

第一章 武器と人について 紀元前十五世紀

『古代グローバル文明の崩壊』の内容は、古代オリエント世界が繁栄から衰退に至るまでを紀元前15世紀をスタート地点として分析しています。

古代オリエント世界において交易が盛んにおこなわれるようになったのは、紀元前15世紀以降です。ミタンニ、クレタ島、シリア、アッシリア、時に交易、時に戦争、とにかく様々な人や物が行き交うことになります。
例えば、ミュケナイ(ギリシアのメロポネソス半島)式の剣がヒッタイトの首都であったハットュシャで見つかるようなことありました。

そんな折、トルコ北西部のヒッタイト影響下にあったアッシュワという小さな国家が、反乱を起こします。さらにヒッタイトの記録には合わせてアッヒヤワという地域での反乱についての同時に記録が残されています。

ここで面白いところはこの反乱をトロイア戦争の原形の一つなのではないかとい続けているところです。
『イリアス』は紀元前1250年頃にトロイア戦争が起こったとしていますが、作中の武装などは明らかにそれ以前のものであり、トロイアとアッヒヤワの間の言語的な類似性も指摘します。

そして、『イリアス』においてヘラクレス達の世代に行われたトロイアとの戦いが紀元前十五世紀のアッシュワとアッヒヤワとの戦いの歴史的事実に依拠していると仮定しています。

第二章 (エーゲ海版)めぐり逢い 紀元前十四世紀

第二章では紀元前十四世紀のエジプトの王アメンホテブ3世の葬祭殿に、エジプト史上初めてエーゲ海諸国の名前が現れたことに注目しています。

そこにはクレタ島とギリシャ本土の重要な都市の名前が挙げられており、その都市からはエジプトのフォラオの名前が刻まれた遺物が出土しています。

また、時を同じくしてエーゲ海のクレタ島で見つかるエジプト遺物が減少し、ギリシャ本土での出土量が上がっていきます。

また、この頃シュピルリウマ1世のもとでヒッタイトが台頭し、同じ大国のエジプトとも婚姻関係を結ぼうとしましたが、ツタンカーメンの妻からの要望で送り込んだ息子ザンナンザは途中で殺されてしまいます。
そして、ヒッタイトはその報復としてシリア地域を襲い、何千人もの捕虜を連れ帰りました。

そのようにエジプトと対立していたヒッタイトの首都にはオリエント各国からの輸入品が見受けられましたが、エーゲ海からはありませんでした。

ヒッタイトと対立していたエジプトの禁輸措置があったからと著者は推測しています。

第三章 神々と国の戦い 紀元前十三世紀

紀元前十三世紀頃に沈んだ交易船には、青銅を作るのに必要な銅と錫、壺、香辛料、象牙などが搭載されていました。
多くの交易がおこなわれていたことを示していますが、この頃は大きな戦争が多発していた時代でもあります。

ヒッタイトのムワッタリ2世とエジプトのラムセス2世という超大国が戦ったカデシュの戦いが有名でしょう。
カデシュ地域の覇権をかけて戦いますが、やがて休戦となります。

本書においては、それはぞれぞれ別の戦争を戦わなくてはならなかった可能性があると主張しています。
すなわち、ヒッタイトはトロイア戦争、エジプトはイスラエル人の出エジプトです。

トロイアのあった地域でアッヒヤワ王の兄弟が反乱の準備をしているという記録が残されています。
そして、ミュケナイとヒッタイトはこのアッヒヤワ(トロイア)を巡って対立をしており、さらにはミュケナイ本土でも防壁の強化などが同じ時期に行われています。

著者はこの戦争がトロイア戦争の原形になったと考えています。

出エジプトについても、もしも起きたのであれば、紀元前13世紀に起きた可能性が高いと述べています。
また、紀元前13世紀にはカナン地域に荒廃の形成が見られる(つまり、エジプトを脱したイスラエル人がさ迷っていた可能性がある)として述べています。

第四章 ひとつの時代の終わり 紀元前十二世紀

シリア北部にあった一大交易都市ウガリトは、『海の民』の侵略によって滅ぼされたとされています。

ただし、最新の研究成果によれば、大破壊の前にも小さな移民があったことが明らかにされており、状況は『海の民』の虐殺で全てが滅ぼされた、という単純なものではありません。

また、『海の民』によって滅ぼされたとされているメギド、トロイア、ハットゥシャ、キュプロス、ミュケナイといった都市についても細心の研究成果によれば時期が一致しない、あるいは不明瞭、さらには『海の民』による被害であるか確認できないと指摘しています。

ただ、破壊の形跡が各地で見られることは明らかであり、以前の時代の繁栄は見る影もなくなってしまいました。
しかし、その荒廃における『海の民』の影響は過大評価されてきたことも明確です。

第五章 厄才の「パーフェクト・ストーム」?

ここでは紀元前十二世紀におけるグローバルな文明な崩壊の原因について改めて考察しています。
地震、戦争、内乱、気候、社会変化などを考えますが、どれかを決定的な要因と判断できる史料は残されていません。

そもそも、『海の民』がやって来た頃には、考古学の成果を踏まえ、既に多くの都市が捨てられていたのも事実です。
当時の荒廃の原因を安易に『海の民』に帰すべきではありません。


そして、『海の民』はただの急襲ではなく、数十年をかけた移住の動きであると理解すべきとしています。
(その一部がカナン地域に辿り着いて聖書におけるペリシテ人になっているのも知的好奇心をくすぐられるところかもしれません)

では『海の民』が紀元前十二世紀の文明崩壊の理由ではないとしたら、その原因は何なのでしょうか。
本書においてはドミノ効果と乗数効果を伴うシステム崩壊であると述べています。

決定的な要因があるわけではなく、自身や内乱など様々な要因が絡まり合って相乗効果を起こし、文明の崩壊へとつながったというものです。

本書では例として、ヒッタイトを襲った悲劇を挙げています。
紀元前十三世紀に大国アッシリアに敗北したヒッタイトを、その戦果に勇気をもらった小国カシュカが首都を攻撃し、焼き払われるという大打撃を受けています。

さらに崩壊に繋がるような小さな要因が既に数多く存在している現代社会への警鐘も鳴らしています。

エピローグ

崩壊した後のいわゆる「暗黒時代」についても最新の研究成果を踏まえたうえで述べられています。

次の時代に花開く新たな文化の触媒が多く存在しているということです。
フェニキアやイスラエルなどが残した文化遺産がその例として挙げられています。

所感 『B.C.1177 古代グローバル文明の崩壊』を読み終えて

ヘラクレスの戦いやトロイア戦争という伝説のもとになった戦争を考古学資料や文献資料を丹念に読み解いて大胆に推測していく個所などは非常に知的好奇心をくすぐられました。

また、紀元前十二世紀の文明崩壊の原因はシステム崩壊という結論も、現代社会の危機を読み解くために振り返る古代オリエント社会という視点を形成し、古代オリエント研究の有益性を高めたという意味で非常に意義深いと思います。
(ただ、システム崩壊という回答はあくまで過程であり、さらなる探究が待たれるのではないかとも思います)

さらに言えば、本書『B.C.1177 古代グローバル文明の崩壊』の視点はやはり西洋社会の源流としてのオリエントという見方に偏っています。トロイア戦争、出エジプトといった彼等のアイデンティティを成す部分に、本来のテーマ『海の民』を語るうえ必要がないくらいの熱量が割かれています。

日本の出身者としては、そこには歪みがあるように思うのです。
古代オリエントは古代オリエント、古代オリエント像の再定義はいつかされて然るべきだと思いました。


それでは。

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