アステカ王国の生贄と祭祀~血・花・笑・戦 /岩崎 賢



こんにちは。

『アステカ王国の生贄と祭祀』は茨城大学や中央大学などで非常勤講師をされている岩崎賢先生による著書です。



日本語では非常に珍しいアステカ文明に関する研究書です。
とっても面白かったので個人的に印象的だったところをまとめてみました。

『アステカ王国の生贄の祭祀』の個人的に面白かったところの要約

本書の内容は主に二点に要約できます。

  1. 従来は野蛮とされてきた生贄を捧げる彼等の心性を捉えなおす。
  2. アステカ人にとって生きる意味とは何だったのか?

どちらもすっごく面白そうですね。
では、順番に見ていきましょう。

アステカの特殊性:血の生贄

アステカ人はもともと中央アメリカの弱小集団でしたが、水上都市テノチティトランに定着して以来、徐々に勢力を蓄えていった部族です。
中南米文明において大きな位置を占めるアステカ王国ですが、彼等が行っていた宗教儀礼の特殊さゆえに誤解されてきたと著者は指摘します。

特殊さとは何か。
それは人身御供です。
アステカ王国では一年間を通して様々な儀礼をおこなわれていました。
そして、ほとんどの儀式で生贄が捧げられました。


子ども達であったり、女神の化身たる女性だったり、あるいは捕虜になった敵国の戦士であったり。
彼等は概ね神殿の頂上で生きたまま心臓を取り出され、死んでいきます。
場合によっては、その死体を食べることもありました。
現代日本人には多かれ少なかれ驚きを与えるでしょう。

さらには52年に一度訪れる「新しい火の祭り」も見逃せません。
アステカ人が使い分けていた祭祀歴と太陽暦の暦が噛み合うときが52年に一度で、ざっくり言うとそこが火の更新時期になります。

人々は家や神殿のなかを空っぽにしてます。
夕刻のなると神官達が火起こしの錐と呼ばれる星座が夜空のとある地点を通過するのをじっと待ちます。

一方全ての光を失ったテノチティトランでは闇の中で不安におびえながらじっと空を見上げます。無事に星座が通過していれば再び火を使うことができますが、そうでなかったらツィツィミメと呼ばれる魔物に皆殺しにされるからです。
そして、この儀式でも生贄が捧げられます。

メタファーとしての血:神と人との循環

こういった神々に血を捧げる儀式のせいで後代の研究者は「人身御供は神々の地を捧げる儀式」であると認識されてきました。

著者はこれに異議を唱えます。
そして、従来はあまり研究の対象となっていなかった図像に焦点を当て、「神から血を頂く」というシュチエーションが多くみられることを指摘します。

太陽・月から流れ出る血、神々から血を注がれるトウモロコシの世界樹、ケツァル・コアトル神から注がれた血によって人類が生まれたという神話。
アステカ王国の世界観において、血液は一方的に神にささげるものではなく、脈打ちながら循環をするものだったのです。

血液とは人間が神々に捧げるものではなく人間と神々が等しく持つものであり、その価値は等価であったと考えています。
アステカ王国においては血液は世界中を循環するものであり、世界は一つの大きな生命体なのです。


また、余談ですが、「蛇」は大地から発生する生命力の発芽という概念もアステカ王国にはあるそうです。面白いですね。

「花」と言う言葉が持つ意味:命を燃やすように生きる

ここで著者は少し話を変え、アステカ王国において「花」という言葉が持っていた意味が、現代日本のそれとは異なることを論じます。

「花」という語はいわゆる「花/フラワー」だけでなく「歓喜・笑い」という意味を持ち、「花する」という動詞になると「人を惹きつける」「楽しませる」という意味も持っていました。

また、雄弁さで人を惹きつけている図像などでは漫画の拭きだしのように花が現れることもありました。

さらに「咲く」と言う動詞は「発芽し成長する」「光り輝く」「火の中でものが破裂する」という意味を持っていました。

そして、これらの言葉は戦士に対しても使われました。
アステカ王国は、マヤ文明辺境の弱小王国であった頃からがむしゃらに戦い続け、勢力を拡大していました。
だから、アステカ王国においては戦うことは生きることでした。
「花の如く戦い、死ぬ」という言葉は喜びを意味したそうです。
戦場で誇り高く戦うことはアステカ人にとって名誉でした。

アステカ人の人生は戦いそのもの。
彼等は燃え尽きるように咲き誇り、燃え上がるように輝き消える、そんな人生があるべき姿だったのです。

まとめ  『アステカ王国の生贄の祭祀』 はなぜ面白いのか。

いかがでしたか。

『アステカ王国の生贄の祭祀』、読み物としてとても面白かったです。
アステカ王国について分かりやすい文章で説明してくれているし、選んでいるテーマがとても面白いのです。

ショッキングな生贄の儀式が持つ意味が実は既存の説とは違うのでは?という意見、
アステカ人にとっての生きる意味は何だったのか?という深い問い。

そして、もう一つ。
著者自身の「自分が生きる意味は何だ?」とひたすらに問いかけている熱い魂が込められています。

文学作品ならまだしても歴史学専門書でこれほどの熱を感じられるのはとても稀だと思います。



岩崎 賢先生の全てを注ぎ込んだ魂の一冊、是非読んでみてください。


それでは。

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