彼女は世界を変えたかった。イエメンのラッパー。児童婚について。

イエメンと児童婚

イエメンについて

イエメン。

まず最初に確認しておこう。
イエメンは国だ。
イエメンについて僕たちはどんなことを知っているだろうか?
その名を聞いて、具体的なイメージや情景を思い浮かべることができるだろうか?

大抵の人は、できないんじゃないだろうか?

そもそもイエメンはどこにあるかも分からないという人も多いはずだ。
イエメンは、中東だ。

古来より交易の中継地点として発展を極めていたが近代に入るとイギリスの植民地となり、第二次世界大戦後は度重なる内線にあえいでいる。

2010年以降の「アラブの春」ではチュニジアやエジプトの影響を受けて政権を交代させた、しかし、イスラム教シーア派の武装組織によるクーデターが起きて、内戦状態が激化した。しかも、サウジアラビアやUAEが軍事介入することになっている。

2017年以降、国民の間ではコレラが深刻化、安全な水にさえアクセスしにくい状況が続いている。

イエメン発のカルチャー

こんな状況に置かれた国にもポップミュージックは存在する。
それはどんな音楽なのか、想像することができるだろうか?

イエメンだからこそ生まれた、美しいポップミュージックを一曲だけ聴いてみよう。

彼女はAmani Yehia。
Amani Yehiaはイエメン初の女性ラッパー。らしい。
男性優位で女性は家の外で何かを成すという概念が薄い社会で、非常に苦労をしながら活動をしていたらしい。
そんな彼女が残した曲の中でも、 Maryamはイエメン社会に大きな波紋を呼び起こした。


テーマは児童婚。
イエメンでは女性が児童と呼ばれるような年齢で結婚させられることが珍しくない。
法律上も結婚できる年齢の下限が存在しない。
そして、この手の結婚には本人の意思が尊重されるはずもない。
自分を守るはずの両親さえ敵に回ることも多いようだ。

児童婚に関する全てが虐待、そう断言しても良いだろう。

「地方では特にそうですが、人々は児童婚がどれだけ最悪か分かっていません。しかし、私にとってはそれは殺人のようなものです」と Amani Yehiaは言う。

Amani Yehiaは十一歳で結婚させられる少女 Maryam の運命について憤り、怒りを解き放った。

僕の英語力ではコーラスしか分からないけれど、少しだけ訳してみよう。

彼女はささやかな夢がある。本、おもちゃ、それから遊び場。彼女が必要としているもの。今や、貴方たちはその夢を殺したのです。彼女を苦しませたのです。

https://www.youtube.com/watch?v=LQsB96bgIlM&feature=youtu.be

鮮烈な言葉。
清冽な怒り。

少女たち強いられるが圧倒的な理不尽を、Amani Yehiaは大人たちの鼻先に突きつけた。

彼女の言葉を借りれば、イエメンでは女性のミュージシャンは演奏する場所を見つけたり演奏をするのも大変らしい。
それはつまり男性が圧倒的に強い立場にいるからだろう。

そしてえ、社会的な強者を敵に回せばどうなるか。

結論から言えば、ご想像のとおり。

彼女とその家族はイエメンにいられなくなった。
メディアに取り上げられた後、死をちらつかせる脅迫が届いた。
彼女の電話は鳴りやまなくなった。

逃げ延びたサウジアラビアでも音楽を作ることをやめるように説得され、公には活動をすることをやめた。

彼女の残したもの:成し遂げられなかった理由

完璧な怒り:共感:アート

彼女はMaryamの運命に衝撃を受けた。
そして、心のうちから沸き上がった怒りを透明で真っすぐな言葉で突きつけた。

それは多くの人の共感を惹きつけた。事実、彼女の演奏会には多くの人が押しかけ、その中にはアメリカやフランスの大使館員もいたそうだ。

正義感を持つ人々を、彼女は自分の環の中へと引き入れた。怒りと共感がきっとその環を支配していただろう。
そして、その中心にいる彼女の言葉や可能は、きっと美しかったはずだ。
美しかった。それはつまり、アートとしては完璧だったということを意味する。

しかし、彼女の言葉は社会に受け入れられなかった。

世界は変わらず、彼女はマイクを置いた。


世界を変えるためには音楽だけじゃあまりにも足りない

正論は何も変えない

彼女は世界を変えたのだろうか。
たぶん、変えたかったはずだ。インタビューからはそんな言葉が垣間見えた(ここでは敢えて引用しない)

児童婚をやめさせたかった。
だからこそ、マイクを取って歌ったはずだ。
清冽な怒りでライムを刻んだはずだ。
男性社会に指を突きつけ、貴方たちは間違っていると叫んだはずだ。

その怒りは、とても尊いものであるはずだ。
何故なら、その怒りはとても正しいものだからだ。

ただ、それと同時にこうも思うのだ。
人を動かすのは、正論じゃない。

貴方の周りにもいないだろうか。
正論をバシっと突きつけ、結果として場の空気をもっと悪くしているような人を。

本当かどうかは知らないけど、警察が犯人を自白させようとするときは厳しいヤツと優しいヤツの二人をセットで用意するなんて話を聞いたことがある。

人を動かすのは、真実じゃない。
怒りの火炎放射器をぶちまけても、相手の心は変わらないだろう。

もちろん彼女たちを虐げた男性は罪を認めるべきだろう。
だが、正論を突きつけられたところで、誰もが誰も素直に心を入れ替えるわけではない。
入れ替えやすいルートを考えてやるほうがはるかに効率的だ。

連中の心に訴えかけたいなら、美しいアートは効率的ではない。
その一方、怒りを内から放出したり共感や連帯感によって快感を感じたいのなら、アートは効率的だろう。

昔どこかのミュージシャンが「音楽には『こんな問題がある』と気づかせる力がある」と言っていたような気がする。
良い言葉だ。
だが、もっと正確に言うのならば「音楽には『こんな問題がある』と気づかせる力しかない」だろう。

世界を変えるには、次の一手が必要だ。

定点カメラが世界を救う


共感や連帯感は、個人的に音楽を楽しむ要素としては魅力的だ。

だが、世界を変えるためには一切不要だ。
それどこか、時に世界を見る目を曇らせてしまう。

彼女の歌は素晴らしいものだった。
ポップ・ミュージックとして、
ヒップホップとして、
アートとして、
非の打ちどころがなかった。
でも、彼女が世界を変えたいと願っていたならば、敢えて残酷な言い方をするのであれば、彼女のしたことはただの自己満足に過ぎなかった。

世界を暴くだけではだめだった。純粋無垢な怒りだけではダメだった。
変えたい相手に効率的に働きかける何かが必要だった。

たぶん、世界を観察する定点カメラになる必要があるのだ。
時にはモチベーションとしての怒りは捨て去る必要がある。
怒りはエネルギーであり、バイアスでもある。
世界を変えるために必要なのは、無感情なカメラとなって全てを理解することだ。

守りたくなる人々も怒りで声を荒げたくなる蛮行もじっと捉え、なぜそんな動きが発生するのかを観察する。

そして、世界を自分の望む方向に動かすには、世界とどんな関わり方を考えなくてはならない。

嫌いな奴らのことも学び、正しく理解し、どう動かせば最短で動くのか。
頭を使わなくてはならない。

だが、世界を変えるのは理性だ。

そこに問題が存在していることに気づくためには、鮮烈な怒りや共感は重要だ。
だが、それを変えたいと思うなら、持ちうる理性の全てを動員し、世界にも自分にも問いかけ続けなければならない。

自分のやっていることは、正しいのか?

Amani Yehiaの偉業

さっき、僕は彼女のしたことは自己満足に過ぎないとも書いた。
だけど、世界を変えるという観点から見たら、の話しだ。

問題を気づかせる、という意味ではものすごく意味のある事だった。
黒人差別の問題に比べたら遥かに認知度は低いけれど、「世界の片隅」でこんなに残酷なことが起こっていると世界に伝えたし、当たり前だと思っている国内に対しても問題を投げかけた。

その事実は世界に知識として蓄積されて、いつか誰かが彼女の足跡を辿ってさらに前に進んでいくだろう。

ただ、もし。
ただ、もし理性的に世界を変えようとする人が彼女の傍にいたのならば、彼女が魂を削って放出したエネルギーはもっと無駄なく、世界を変えるエネルギーへと変換されていたとも思う。

何かを変えたいなら怒りは対費用効果が悪すぎる。

ただ、彼女の気高さはそんな打算的な部分がないから存在しているのも事実だ。

不器用だからこそ、美しいのかもしれない。

ただ、そんな「悲運の英雄」的な美的感覚は、もう捨て去るべきなんじゃないかとも思う。

彼女は誰からも称賛されるべきだったし、世界も変わるべきだった。

主要参考サイト

https://www.theguardian.com/music/2015/jun/08/amina-yahya-yemens-first-female-rapper-i-will-find-a-way-i-will-shine

https://www.afpbb.com/articles/-/3213123

https://scenenoise.com/Features/13-of-the-best-independent-female-singers-in-the-middle-east

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