『悪霊に対する呪文』病魔に倒れた人を救う、神々の知恵と呪力

こんにちは。
紀元前文学第35回はバニロニアの『悪霊に対する呪文』です。

紀元前二千年紀前半ころ、バビロニア人は様々な病気は全て悪霊の仕業だと理解していました。
つまり、この『悪霊に対する呪文』は、病気を治すための呪文ということになります。

似たような呪文が多く存在していましたが、この『悪霊に対する呪文』が最も一般的なモノだったそうです。

『悪霊に対する呪文』の概要・あらすじ

『悪霊に対する呪文』は呪文と言いつつも、物語的な起承転結があります。その流れに沿ってあらすじを説明します。

短い作品なので、あらすじも短めです。
ご容赦下さい。

場面1:悪霊にやられる人間たち

前半部では悪霊たちが静かな通りを歩く人間に襲い掛かる様が描かれています。

悪いウドゥグ霊――静かな通りを、夜密かに横行し、道路に覆いかぶさる者。(中略)ディムメとディムメア――、人間の上に降りかかる者。(体躯の)疾病、心臓病、(病)苦、頭の病気、そして(人間の)上に覆いかぶさる(魔の病力)、(かれら)はその往来している人をまるで嵐でもあるかのように打倒してしまった

「悪霊に対する呪文」『シュメール神話集成』2015,筑摩書房,P165~166

病気が悪霊となって暴れまわっています。
場面を「静かな通り」に設定している点も、文学的な演出を狙っているように感じられます。

はた目には静かに見える道でも、実は様々な悪霊たちが跋扈している。
そして、人間はなすすべもない、というわけです。

場面2:神々が手を差し伸べる

ここで神々の介入が入ります。
神々の魔術師アサルルヒは人間を救うべく、彼の父水と豊穣の神エンキに教えを請いに向かいます。

エンキは「お前の知らないことなど何もないではないか」と言いながらも悪霊を追い払う手段を教えてくれます。

場面3:呪文の唱え方

ここでようやく呪文についての具体的な説明に入ります。

アンザム壺と呼ばれている金属勢の壺の中に薬草を投げ入れ、タマリスクとサボン草をその中に投げ込む。病人の上に水をかける。

そして、ここから作業の過程を描写しつつ、呪文らしい祈りの言葉が入ってきます。

(高炉)と松明を(彼に近づけるならば)(その人の体内に)宿っている(ナムタル霊たちは)そこから飛び出してしまいますように!

「悪霊に対する呪文」『シュメール神話集成』2015,筑摩書房,P168

悪霊たちが「外に出てしまいますように!」という呪文らしい願掛けの言葉が、折に触れて登場します。

当然、「外に出て行ってしまいますように!」という言葉と共にエンキの言葉は終わり、呪文/物語も終わります

『悪霊に対する呪文』の面白さ

やはり呪文であること自体が本作の面白さだと感じました。

人の病気を治すには、水を張った金属製の壺にタマリスクとサボン草を入れる。
それを病人に投げる。
そして、松明を近づけながら呪文を唱える。


当然、そんなことで病気が治るわけがありません。
しかし、この呪文は長く受け継がれ、新アッシリア時代にも受け継がれていたそうです。

しかし、遡ること紀元前2650年頃には「想い」や「感情」をぶつけて物事を解決しようとする「呪文」ではなく、こうしたほうが患者の身体に効率よく作用するはずだという理論的な思考に基づいた「医学」が存在していたそうです。

ただし、その「医学」も亀甲やビールを患部にもみ込むような内容だったそうです。
どれほど効果があったかは疑問ですね。

現代でも、理屈ではなく、好悪などの感情に基づいて「世界」や「他人の言動」を(時に想像力豊かに)解釈する人間がたくさんいます(いわゆる「無知の知」を知らないからこそ……という方も多いですね)

「ここまで曲解/拡大解釈されてしまうのか」とあっけにとられた経験もありますし、尊敬している人の言葉をきちんと受け止めずに傷つけてしまったこともあります。

人間は今も昔も、そんなに変わらないのでしょう。

「医学」が消え、「呪文」が生き残ったのは当時の人々にとっては「呪文」の方が優れていたものであり、有用なものだったからです。

その事実を馬鹿にするのは、現代人に対する「ブーメラン」な気がします。

主要参考文献

「悪霊に対する呪文」『シュメール神話体制』2015,筑摩書房

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