病気のこと、友達のこと、あちら側とこちら側。

こんにちは。

友達について話をしたいのだけど、その前に少し僕の病気について話そうと思う。

念のため。
別に不幸自慢をしているつもりはないけれど、精神疾患的な話が苦手な人は読まないでほしい。

病気のこと

症状のこと(1)

僕は精神的な病気を抱えていて、会社に出した診断書には双極性障害という病名がついている。
簡単に言えば気分が普通ではないくらい乱高下する精神的な病気だ。


気分、という言葉から軽いものという印象を受けるかもしれないけれど、病気として扱われるくらいだから当然病的なまでに上下する。
酷い時は、だけど。

それから僕自身の体感から類推するに、双極性障害の症状はそのまま自分に当てはまるとは思わない。
上手く言えないけれど、僕の場合は、単純な上下ではないのだ。


例えるなら、インプットに対して普通ではないアウトプットが出てくるというか、感情の調整弁が壊れてしまっているような感じだ

その服似合いますねって褒められたら、ちょっと嬉しくなる。
良い映画をみたら感動する。
理不尽に怒られたら、凄く腹立つ。
あの日々を思い出せば、ノスタルジックな気分になる。
というのが割と普通の感覚だと思う。

症状のこと (2)

だけど、症状が酷い時の僕は違う。インプットとアウトプットの前後関係の脈絡が、失せてしまうのだ。

その服に合いますねって褒められたら、猛烈に腹立つ。
良い映画を見たら常軌を逸するくらいの勢いで感動する。
理不尽に怒られたのに少しむかつくだけ。
何にもしてないのに猛烈に落ち込んでくる。
とか、自分でもよく分からない感情反応が自分の奥から湧き出てくる。

流れ出る感情の勢いがまるで違うし、流れ出てくる感情のカラーもまるで違う。
例えるなら、普通だったら赤い激流が出るはずなのに青い弱流が出てきたり、
何も出てこないはずなのに、突然真っ黒い噴水が噴き出す。


当然感情の状態がおかしいのでよく分からない行動をとることもある。
ファミレスの店員さんにやたらと感謝しちゃったり、というのが書いても差し支えない奇行だろう。
それから病休を取る寸前の会社での僕は、いつ怒り出すか分からない異様にピリピリしながら土日も出勤しているような奴だった。

調子が悪いときは本当に苦しい。
ただ、そこまで悪くない時はなんか変だな、って感じるくらいで済む。
ぐっとこらえれば、それ相応のストレスを精神に溜めつつも表面上はいつも通りにふるまえるし、だいたい反射的にそういう振舞いをしてしまう。


(それから僕の場合は、頭の中におかしい時の自分を客観視できる自分がいる。ある程度自己対処できるので、大変ありがたい)

そして、溜め込み過ぎちゃうと不安定になる。

何百年か前に生まれていたら、きっと「狐憑き」と呼ばれていたかもしれない。

症状はラベルに過ぎない

少し話が脱線してしまった気がする。

僕は確かにいわゆる双極性障害とは違うかもしれないけれど、大まかな意味では双極性障害というラベルを張られる症状ではあると思う。

ワインレッドでもバラ色でも、赤は赤。
少なくとも青だとラベル張りされるよりはマシだ。

赤なのに青として扱われる息苦しさは、想像を絶するだろう。

病気の後先

もう一度言っておくけど、この症状は病気であり、病的だ。
日常的な「腹が立つ」とか「感動」するとか「落ち込む」とは、もうスケールが違う。
体感していないと共感しにくいだろうな、とは思う。
僕だって以前は病気ではない側の人間だったから、理解できないという感覚は痛いほど分かる。



ただ、今だから分かることもある。

病気を発症する前から、僕の感情反応には発症後のそれと似ているところがあった気がするのだ。
もちろん病的なほどではないのだけど、時折インプットに対してやや普通ではないアウトプットが出ていたと思う。
感情のブレーキが少し効きにくいというか。
誰かと話をしていてちょっと嬉しくなりすぎちゃうような。
誰かに何かをされて、過剰に落ちこんじゃうような。

普通の人が白だったとしたら、当時の僕は薄い灰色。
つまり、病気前の僕から病気後への僕は、白から黒へとがらりと変わったわけじゃない。
病名でラベルを張られてしまう以上、周りからはそんな風に見えてしまうことは仕方ないことだとは思う。

ただ、実態としてはじわじわと黒に侵食され、追い詰められ、融点を超え、真っ黒くなってしまった過程なのだ。

だから、もっとちゃんとケアしていれば今みたいに真っ黒にならずに済んだかもしれないとは考える。

詮無いことだと、分かってはいるのだけれど。

友達のこと

病気と友達

僕は元々友達が少なかった。
僕の性格にはクセがあったし、内向的だから積極的に友達を作ることもなかった。

もちろん、友達が全くいないわけではなかった。
ただし、年を取るごとにどんどん減っていって、発症したらさらに減った。

病気になったら減るのか? 減る。
なぜか? ラベルを張ってしまうから、お互いに。

FとDについて

FとDの話をしようと思う。
元々Fは中学時代からの友達で、DはFの大学の同級生で、いつしか僕達は時々一緒に飲みに行くようになった。
結構仲は良かったと思う。男3人で旅行に行ったりしてたのだから。


若い社会人が集まれば、当然会社の愚痴にもなる。
旅行の夜、ホテルで缶ビールを飲みながら病休をしている年上の社員の文句を言ったことも何度かあった。

あいつが休んでるせいで俺達は余計な苦労をしている、とか。
何で出来ない年上社員のフォローしなくちゃいけないんだ、とか。
病気とか言ってるけど甘えてるだけなんじゃないのか、とか。
あれだけ無能なんだからやめることも出来ないんだろうな、とか。

旅行はいつも楽しかった。
安酒のつまみ代わりに、僕達は精神疾患の連中を馬鹿にしていた。
手頃に盛り上がれる共通の話題として。

そして、僕は双極性障害になった。

病休

発症してからも、5年近く働き続けた。
病気の僕はだいぶ判断力が鈍っていた。
自分に自信がなかった僕は会社という居場所を失いたくなかった。
皆で馬鹿にしてた連中と同じ病気になってしまったと認めたくなかった。

だけど、それが良くなかった。
もっと早く休んでいれば、ここまで悪化することもなかったと思う。
ついに僕は大爆発をして会社に行けなくなった。

医者に診断書をもらって、病休に入った。

その後、僕はしばらく安静に過ごす。
ストレスから身を置いて半年も経つと、大抵の時は(毎日10錠以上の薬を飲みながらではあるけど)普通に振舞えるようになった。

ただ、これもなかなか繊細なバランスのうえに成り立っているのだけれど。

それはさておき、僕は段々人と話を出来るようにもなり、
一緒に飲みに行ったり(僕は飲まないけど)、一緒に旅行に行ったりもした。


亀裂:FとD

でも、FとDとは全然上手く行かなかった。
僕達は昔みたいに振舞っているはずなのに、お互いへの軽蔑や怒りを隠しきれてないのだ。


たぶん、僕達は無意識のうちに、互いを「あちら側」の人間だと認識しているのだ。

FとDは僕の症状が良くなったことを伝えると喜んでくれる。
そして、しんどい思いをしているというと元気づけてくれる。
ただ、もうそれは本音じゃない。

僕は自分の症状についてことあるごとに説明してきた。
僕達が病休を取っている人間について馬鹿にしてきたことを知ってたから。
だけど、「こちら側」は僕達が想像していたよう場所じゃないって分かって欲しかったから。
だけど、全然伝わらなかった。

病休中の同僚の話題になれば、僕のことを気遣って直接できな表現は言わない。
だけど、ふとした拍子にFとDは以前と同じように「やつらは哀れだ」と言う。

「普通に振舞えるようになったけどまだ安定していないし、昔の状態には程遠い」と僕が告げる。
彼等は怪訝な様子で「もう治っただろ」と言う。

躁状態のまま飛び出すことを遊んでると捉え、何度症状を説明しても理解してくれない。

あとは、なかな具体的なエピソードとして短く書くのは難しいのだけれど、節々から明確に僕の扱いが一段下になっている。

なぜ下になったのか。
FとDは僕に「病休の人間」のラベルを張ったからだ。

精神疾患のラベル

日本のサラリーマン社会における病休/精神疾患者のラベルには、「本当は大した病気じゃないくせに会社で自分達に迷惑をかけている甘ったれた野郎」という意味が込められている。

彼等の気持ちを、僕はよく分かる。
なぜなら僕だって、病休の人間の穴埋めを必死にやっていたからだ。

だけど、彼等が創り上げたそのラベルは、病気の実態とあまりにも違う。
ラベルに喩えるなら、同じ赤でも深紅と薄桃色くらい違う。


ただ、精神の病気というのは、どうしても病気にならないと体感できない。
だから口で伝えてもなかなか伝わらない。

それに彼等にはストレスだらけの会社生活で醸成された、<見下される存在として精神病>へのステレオタイプがある。
彼等のストレスにとっての安全弁でもある。
もちろん、偏見でもある。
ただ、何にせよ、それを覆すには想像を絶する労力が必要になるだろう。


そもそも、こういう「偏見」を生み出さざるを得ない構造が社会や文化にあるのだ。
噴き出してくる蒸気だけを親の仇みたいに袈裟切りしても、得る者は少ないだろう。


僕はもう「あちら側」になってしまった。
そして、そう認識した瞬間、僕もまた彼等が自分の側にはいないとラベルを張ってしまった。

そして、これだけは正直に言わなくてはならない。
彼等が僕にそんなラベルを張り付けたことが、断固として、絶対に、許すことができない。




僕達はお互いの間を自分達で切り裂き、深い溝を作ってしまった。

僕達は誰かを理解するとき、ラベルを張り付ける。
相手や世界はとても複雑でその全てを理解するなんてできないから、無意識のうちに単純化してしまう。

それは相手を理解する行為ではあるけど、相手の姿を歪めるという行為が内在している。

相手は僕達が思うよりも遥かに遠い存在であり、僕達が思うよりも遥かに近い存在でもある。

だからこそ、僕達は時々決定的に間違えてしまう。

友へ

僕は彼等を責めようなんて思わない。
だって、彼等は凄いからだ。

彼等は人生というレールの上を歯を食いしばって進んでいる。
大きな会社で少しずつ出世して、結婚して、Fには子供もいる。

それがどれだけ大変なことか、振り落とされてしまったからこそよく分かる。

お前らは本当にかっこいいのだ。

だから、過ぎた過去に浸るより、無常な未来を悲しむより、僕達が築き上げてきた時間に敬意を表そうと思う。







お前らは世界で一番最高だ!


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